浦安混声合唱団演奏会(2)何だこりゃあ!
2004.10.31
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篠崎正利
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(つづき)
それでは続きをお知らせしよう。「何だこりゃあ!」となっているのは写真を見ればお分かりでしょう。
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(5)第3部「ヨーロッパの郷愁」(欧州音楽紀行)
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写真1 異様な雰囲気のステージ照明(これから何が始まるのか?)
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指揮者が舞台の下に移動した。なるほど、読めた。座席の前2列はテープが張られており、使用禁止になっていた。指揮者の近くに聴衆が座らないように、との配慮だ。また、405席が満席にならないだろうという予測にも裏付けられている。
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写真2 1曲ずつなされた曲目紹介(ソプラノソロの助っ人)
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G「歌の翼に」(ハイネ作詞、メンデルスゾーン作曲)
「何だこりゃあ!」(その1):次の写真3と写真4を見た瞬間の印象である。男声のこのど派手な衣装がその驚きの第一の原因だ。男性はみんな還暦か?第2部の男声は英国風だと述べたが、これは何風だ。ヨーロッパ風というところか?還暦風ではあるまい。
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写真3 「歌の翼に」(最初は女声コーラスなので、男声は口をつむっている)
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写真4 「歌の翼に」(男声も入って混声4部合唱。バスの人の左腕に注目方)
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このバスの男の人は左腕をいつも曲げて、腹に当てている。胃潰瘍でもあって、シクシクと胃が痛むのではないだろうか?
H「マンマ」(ケルビーニ作詞、Bixio作曲
この歌は女声が唄う歌だと40年間思っていた。ペギー葉山がよく唄うせいでもある。それで昔、ボイストレーナーの中村博之氏(二期会、テノール)が持ち歌にしているのを、密かに恥ずかしく思っていたし、自分が歌うのも気が引けていた。ところがこの曲の解説には第二次世界大戦中にイタリア兵士が愛唱歌として唄ったと紹介されている。「前線の、明日の命も知れぬ若い兵士達が、故郷の母親を慕って歌ったのだろうか。」と書かれていた。日本ではさしずめ「誰か故郷を思わざる」であろうか?
I「ラ・メール」(C.Trenet/A.Lasry作詞、C.Trenet作曲)
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写真5 男女入り乱れた配置(大久保氏は美人の間にさっさと割り込んだ)
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J「恋のアランフェス」(ロドリーゴ作曲)
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写真6 大久保氏のソロ(アルトのソロが肩に手を掛けた!何だこりゃあ!)
曲の始めに大久保氏が前列から離れ、そろそろと出てきた。
やおらソロを唄いだした。なかなかの美声であった。
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写真7 ソロが終わって二人は別れた(悲恋の歌か?二人は俯いて)
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K「盗賊の唄」(スペイン・カタロニア民謡)
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写真8 前列左のテノールが盗賊礼賛のソロをした(スペインにも義賊がいるらしい)
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L「ローレライ」(ハイネ作詞、ジルヒャー作曲、近藤朔風訳詩)
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写真9 ローレライを唄う大久保氏と団員
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余りにも有名な曲である。ハイネはユダヤ人だったそうで、この曲はナチスドイツ下で排斥されそうになったが、民衆は作詞者不明として唄い続けたそうだ。時の権力に負けず、頭を使って切り抜ける民衆がどこの国にもいるもんだ。ハイネがユダヤ人であったと聞けば、そうかアンネもそうだったなと思い出した。
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M「野ばら」(ゲーテ作詞、シューベルト/ウェルナー作曲、近藤朔風訳詩)
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写真10 「野ばらを」唄う大久保氏
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僕は一番好きな歌は何かと聞かれたら、「ウェルナーの野ばら」と言おうと学生時代に思っていた。「シューベルトの野ばら」リズミカルであり、ゲーテの詩にあまり相応しくないような気がしている。この曲は源田俊一郎という人が編曲して二つを一緒にしたものである。最初はシューベルトであり、後半がウェルナーであった。ただし、最後のワンフレーズが急にシューベルトになり、意外な結末となった。
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N「ウィーンわが夢のまち」(ズイーチンスキー作詞・作曲、あらかはひろし訳詩)
ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでも演奏されたこの曲は文筆家によって作られたという。ご当地ソングはやはり首都が最も多い。東京も例外ではない。
O「トリッチ・トラッチ・ポルカ」(ヨハン・シュトラウス作曲)
ワルツ王のシュトラウスが「おしゃべりポルカ」あるいは「ぺちゃくちゃポルカ」を作曲した。ご婦人のおしゃべりとゴシップ好きは世界共通らしい。「どこのー誰がー、浮気をしたとか振られただとかー、トリッチ・トラッチ、、、、」と歌う。
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写真11と写真12を見ていただきたい。
写真11では整然と並んで唄っている。大久保氏の隣の女声に注意してください。
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写真11 トリッチ・トラッチ・ポルカを唄う大久保氏と団員
写真12 噂をし合う大久保氏とみんな(口臭は大丈夫?)
写真12では隣同士で「どこのー誰がー、、、、」と、ひそひそ話が始まった。大久保氏は隣のアルトと、他の人はまたそれぞれにひそひそと噂をし合う。これは何も女声に限ったことではない。噂話をするとか、秘密の話を誰かに打ち明けるというのは、人間にとってストレスを開放する最も良い方法なのであろう。
この曲を最後の曲に選んだのは正解であろう。第3部の和やかな感じが一杯に溢れ出たステージになった。おめでとうございます!
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(6)フィナーレ
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写真13 指揮者とピアニストがお礼 写真14 花束を貰ってもう一度
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写真15 アンコールの「風」
昭和40年代、フォークソングブームが到来した。
その中の1曲、「風」を森山良子が歌った。
指揮者の島津勲氏の友人の音楽家が氏のために編曲してくれたのだという。
写真はその「風」を見事に映像化したものである。
2006年には発足20周年を迎える。
新たな飛躍が期待される。
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(7)終演後ロビーで
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写真16 喜びの大久保団長
写真左のアルトの女声は今にもくしゃみが、、、。
薄着をしすぎたかしら?
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写真17 お祝いの言葉を受ける大久保団長
左:グァッハッハと快心の笑い。右:遠方からよく聴きに来てくれたネエと。
今回はステージに上がれなくて済みませんと若者
20周年は頑張ろうなと団長
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写真18 筆者も記念に撮影してもらった (首に下げているのはデジカメのケース、ジャンパーで冬支度、置き忘れてもよい傘、頭が寒いので帽子を持参した)
この日は寒かった。12月の恰好をしている田舎オヤジである。
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写真19 ソロをしたソプラノの女声と(茂原のレクイエムを聴きに来てくれた)
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写真20 矢野修也氏(元川鉄研究同期。松本幸四郎に酷似)
帰りの道すがら、音楽について語り合った。
若いときは染五郎にそっくりだった。
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写真21 高橋栄輔氏(経理畑の元川鉄マン。元川鉄ライフ(株)常務)
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<完>
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