末広帖 445-460


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● 460 本部同窓会 平成21年度幹事会及び歓送迎会開催のお知らせ
25 Mar (Wed) 08:01 
From:濱 田  人 南高 14期  

4月25日午後4時から本部の幹事会及び歓送迎会が開催されます。
東京支部会員で参加ご希望の方は、当サイトのHOME下段表示の連絡先までメールください。本部役員さんに転送し、便宜を図ってもらいます。(事務局より)

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● 459 3/28の文化フォーラムの後、お花見に行きませんか
23 Mar (Mon) 12:12 
From:伊藤規志子 南高 18期  

 アークヒルズで桜祭りがあります。南高の文化フォーラムの後で、ぶらっと
桜祭りに出かけてみませんか。

 六本木1丁目から3分
    カラヤン広場 サントリーが解放されます。
  
 

趣味など:映画鑑賞  ダンス  おしゃべり あれこれ考えること 絵画鑑賞  A型
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● 458 書物「日本一短い『家族』への手紙」について
23 Feb (Mon) 02:42 
From:岡田 次昭 南高 11期  

福井県坂井市丸岡町・財団法人丸岡文化振興事業団は「日本一短い手紙」をシリーズものとして出版しております。
その内、「日本一短い手紙、母への想い」「日本一短い父への手紙、父からの手紙」につきましては、既に掲示板に投稿しました。
今回は、「日本一短い『家族』への手紙」を皆さんに紹介します。
さて、この書物は、平成6年度の第2回「一筆啓上賞─日本一短い『家族』への手紙」(福井県坂井市丸岡町・財団法人丸岡文化振興事業団主催、郵政省、日本 ユニセフ協会、住友グループ広報委員会特別後援)の入賞作品をもとにして編集されました。今回の応募は60,000通を越えたと報じられております。同賞 の選考委員は、黒岩重吾、俵万智、時実新子、森浩一の各氏です。
なお、本書では、年齢・職業・都道府県名は応募時のものを掲載しております。
黒岩重吾氏は、「有意義な選考」のところで次のように述べています。
「私が選考の基準にしたのは、本音で書いているということと、どこかに光のある作品だった。どんなにうまく作られていても、作品を飾ろうとして作りすぎて いるものは何となく色褪せて見える。これはどんな世界でも言えることだが、造花はどんなに煌びやかでも、人の心にしみるという点では、山陰に咲いた一輪の 花に及ばないのである。ことに今回のような短文の場合は、感動や閃きを作らずに、そのまま伝えた方が、案外読み手の胸を打ったりするのである。
たとえば、一筆啓上賞に、十二歳の中学生と、十一歳、七歳の小学生の作品が受賞しているのが、好い(ヨイ)例であろう。なにしろ今回多くの作品を読み、私は感動を得ただけではなく、色々と考えさせられる点があった。有意義な選考であった。」

なお、本書では、年齢・都道府県名は応募時のものを掲載しております。



(原文のまま)

T. 一筆啓上賞 (郵政大臣賞 10篇)

01 (夫へ) この間、口内炎が出来たのを見てもらった時、
顔が近づいてドキッとしたわ、久々に。
(滋賀県 28歳)

02 (娘へ)父は風呂場の君に、「熱くないかい」と聞いただけじゃないか。
なぜ水をかける
(静岡県 36歳)

03 おばあちゃん、夜ひこうきにのったら、ちきゅうのそとにでたよ。
(愛知県 7歳)

04 「地球の彫刻師だ」と土方(ドカタ)仕事。母の彫刻刀(ツルハシ)、重かったろう。もういいよ。地下足袋脱ぎなよ。
(群馬県 24歳)

05 (誕生したわが子へ) やあ。出てきたね。どうだいこの世界は。
しばらくは一緒に生きてゆくんだよ。
(愛知県 33歳)

06 お母さん、お父さんの口にミニトマトを入れるのを見ちゃったよ。
まだ新婚さん?
(鹿児島県 12歳)

07 もうやめようよ! みんなで同じ事ばかり言って 
僕がみるよ、おふくろの事
(石川県 42歳)

08 (妻へ) 昔 君が「あなたに付いていきます」と言った。
今では、僕があなたに付いていってます。
(三重県 39歳)

09 (小さな家族へ) ゴロウとレイナと セナとムウラとザリこうと
フナ一号、二号、三号 みんなすきだぞ。
(千葉県 11歳)

10 (息子へ)〔ボク負け犬じゃない……疲れた〕天国で一休みしたら戻るのよ
母さん待ってるから
(埼玉県  50歳)


U. 秀作(10篇)

01 (子へ)お前が山で逝って、仕事が増えました。
母さんへやさしい言葉をかけることです。
(神奈川県 45歳)

02 父ちゃんの事 嫌ってた私が一番父ちゃんの墓参りしてるなんて
笑っちゃうよね!!
(千葉県 31歳)

03 何も語らず、何も釣れず、ゆっくり流れる『時』が好き。
また釣りに行こうね、お父さん。
(兵庫県 22歳)

04 (おなかの子供へ)超音波で見た君は、おなかの中で敬礼をしてくれた。
心のくす玉がパンと割れたよ。
(奈良県 35歳)

05 (息子へ)孝也、母の情け。
未来のお嫁さんには内緒にしてあげる。
「オッパイ触って眠る癖」は。
(京都府 32歳)

06 合格発表の時、「車で本読んでる。」と言ったお父さん。
あの時、本逆さだったよ。
(広島県 19歳)

07 (家族全員へ) 排気ガスのような父  洋服のお化けの様な母
ゴミ箱の蓋のような弟
僕は恥ずかしい
(福井県 12歳)

08 おとうの骨壺、言いつけ通り、例の滝壺に沈めるよ。
でもさえ、冬はさむいんじゃない。
(東京都 33歳)

09 (妻へ) ケイコさん、少しだけ、少しだけ、肩の力を抜きませんか、
オレ、息が詰まる。
(和歌山県 45歳)

10 (父へ) 極道であるあなたの娘に生まれたことを
恥ずかしいと思ったことは一度もない。
(兵庫県 27歳)

V. 特別賞 (北陸郵政局長賞 20篇の内10篇)

01 (娘へ) 三十の愚かな母は 三歳の貴女と別れて
一日も忘れはしない 柔らかなぬくもりを
(神奈川県 58歳)

02 ふしぎね。おとうさんと私。 赤ちゃんをあやす時 
同じしぐさをしている。
(宮崎県 39歳)

03 (長女へ) 亜希、ありがとう 貴女が不登校になって母さんは、
沢山の宝物をもらいました。
(岡山県 46歳)

04 嫁ご 寿美子様  亡妻にまさる毎日の味噌汁。
天使のようなことば。感謝。合掌。
(山梨県 82歳)

05 義父さん(おとうさん)、お義母さん(おかあさん)のこと愛してる?
言葉の刀で刺さないで。お義父さん。
(福島県 30歳)

06 (夫へ) あの世で再び出会うことがあれば、
今度は互いに挨拶だけで行き過ぎましょう。
(広島県 54歳)

07 (息子へ) 出来るなら いじめぬかれたあの1年
あなたの人生から消してあげたい。
(愛知県 40歳)

08 (中2の娘へ) 「一生のお願い!」ばかり多すぎる。
お前は人の何倍生きてくつもり?
(愛知県 48歳)

09 (亡き父へ) 「生むだけで何もしてくれんと」 そう言った私を
ノコギリ持って追いかけた父よ。
(東京都 47歳)

10 待っていた長男に嫁さんが来た、
カラフルな洗濯物が風に揺れる いいもんだ。
(岡山県 59歳)

W. 佳作(200篇の内15篇)

01 反抗期、学生運動、11回の転職、離婚、脱サラ、
苦労をかけます お母さん。
(北海道 50歳)

02 部屋を見た時、
東京で一人頑張っているお父さんの淋しさが、わかりました。
(北海道 25歳)

03 雨の音って、違うんだよね。こっちのは少し悲しげなんだ。
梅雨明けこそ、帰るよ。
(北海道 31歳)

04 「たまには、帰って来なさい。」
お母さんの、その声が小さかったから、明日、帰ります。
(宮城県 44歳)

05 天国のおじいちゃんへ
あなたがいなくなった分だけ、家の電気明るくしたよ。
(秋田県 9歳)

06 (息子へ) 手紙なんだから、金送れだけでなくて、何か書け、
余白が もったいないだろう。
(福島県 69歳)

07 「お母さん」、「なぁに」の、「なぁに」がなんだか嬉しい。
心が、ほかほかしてくる。
(福島県9歳)

08 お母さんの手術の日、熊のようなお父さんが小さく見えた。
二人は最高の夫婦だよ。
(福島県 20歳)

09 前略 あなた 雨に洗われた新緑が光っています。
私達 もう一度話し合いしましょう!!
(埼玉県 42歳)

10 お父さん、結婚を決めてから彼の事色々言うのやめて下さい。
不安になります。
(埼玉県 27歳)

11 (夫へ) 私は十九で貴方の、もとへ。
娘はもう二十三歳ですョ。 許して上げて。
(千葉県 44歳)

12 母よ、貴方の得意科目は「叱ること」。
苦手科目は「ほめること」。
(長野県 17歳)

13 (夫へ) 一生懸命、生きてきて、ボケたあなた、
人にバカにされるけど、最後まで、私が守ります。
(愛知県 60歳)

14 親父がお袋と結婚した年になりました
ちょっと変な気分です
(兵庫県 23歳)

15 一筆啓上 家族とは何か、考えたことはあるか、ないだろう。
それが一番幸せなんだ。
(兵庫県 58歳)

(了)

A型
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● 457 曽野綾子氏著「人にしばられず自分を縛らない生き方」について
23 Feb (Mon) 02:37 
From:岡田 次昭 南高 11期  

この書物の著者である曽野綾子さんは、1931年9月17日生まれです。
満77歳の現在においても執筆を続けられております。彼女はNGO活動「海外邦人宣教者活動援助後援会」(通称JOMAS)などを通じて、世界に視野を広げた社会活動でも注目を浴びています。
その彼女が、今般この書物を上梓しました。自分の著書を含む約60冊の中から素晴らしい言葉を選んでこの書物を編集しております。
「まえがき」の最後のところで『普段は深く思うこともなく、平均的市民の暮らしをどうやら続けているのだが、実は自分を過不足なく表し、他人を好悪の感情 なしにあるがままに見ることは、実にむずかしい勇気の要る操作なのだ。しかし、個性を完成し表現することは、人生のもっとも基本的なスタートラインである と同時に、最終最高の境地だから、それを追い求めずにはいられない。もちろん理想に到達できる生涯などというものはほとんどない。しかし、人はすべて悲願 を抱えて生きる。その哀しさと暖かさを願ったのが、この本の意図なのだと思って頂けたら幸いである。』と述べています。
発行所は、株式会社扶桑社 (2008年12月20日初版発行)

この書物は239ページもあります。長文と短文の文章が混ざっております。
ここでは短文の一部を下記に記載しておきます。



(原文のまま)

01 人生とは、理解され、誤解されることだ。本能的に生にしがみつきながら、死に解決を求めようとすることだ。これほど簡単な矛盾があちこちに転がっているこ とを、恐らく学校秀才に違いない新聞記者がなぜわからないのだろうか。反面教師をいくら願い下げにしても、反面教師は人間が生きる限り、出続けるだろう。 いや「教師」にできればおめでたいことなのだ。
「言い残された言葉」

02 親や他人に理解されるとかされないとか、そんなことは、或る意味では、人生のほんの小さなことに過ぎない。大切なことは、本質だけだ。
「人間の罠」

03 誤解も苛めも、決していいことではない。しかしはっきり言っておこう。誤解や苛めがなくなる社会など決してありはしない。だからそれらをどのように自分の心の中で処理し、それから学ぶかが自分に対する教育なのである。
「言い残された言葉」

03 母の一言で、私は人生を生きる姿勢を教えられたのです。自分で生きなければならない、ってことですね。母であろうと人の言ったことで不幸になってはたまらない、と思ったんです。
「二月三十日(一言)」

04 人間社会には、善悪を越えて常に理解しがたい人々がいて当然だ、と私たちは最低限知るべきなのである。
「平和と非凡な幸運」

05 印度というのは、らっきょうの皮みたいなところでね。剥いても剥いても、中身はわからないんだ。そんな所で、外人が正気で暮らせる訳はないのだ。だから俺は酔っ払ってるのさ。今にあんたにもわかる。
「人間の罠」

06 本当の人間の想いは決して外にはわからないのが普通なのである。
「春草の夢(椅子の中)」

07 そうだ、自分はフラーシャムを翻訳することによって、かなり救われていたのかも知れない。フラーシャムの、外見は健全でありながら、内面が病んでいるとい うその救いのなさを、依田は他人事とは思えなかったのだ。どのような人間も、傷を持っているのだろう。単純な人間は外的な不運がなければ内面の傷があろう とは思わない。しかしどうして、事はそれほど単純ではないのだ。人間は皆、座っているだけで、脅えもし、傷つきもする。
「ひとりだけの哀しみ(冬の蛍)」

08 私はその時、大昔から代わらない真理でありながら、決してその現実を皆が確かめようとしないことを一つ、はつきりと悟ったのだ。それは内面のめろめろに暗い人間に限って、例外なく、明るく人づきあいがいいということなのである。
「春草の夢(椅子の中)」

09 福沢諭吉の「心訓」はまだありました。
一、世の中で一番みにくい事は他人の生活をうらやむことです。
一、世の中で一番尊い事は人のために奉仕し決して恩にきせないことです。
僕はびっくりしましたね。「これって最近書いたみたい」だって格差社会を是正するという情熱は、つまり人の生活をうらやむ人がいるからでしょう。奉仕活動は強制ではいけないという理論があるけど、福沢諭吉は全くそんなふうには考えなかったみたいですね。
「非常識家族」

10 ありがたいことに老年の衰えは、誰にもよく納得してもらえる理由だ。その平等の運命を敢然と受けることが老人の端正な姿勢だと私は思う。最盛期を体験する のも恩恵だが、哀しさを知る時期を持つのも、人間の生涯を完成させる恵みの一つなのである。体力、財力の、当然の変化を、社会の冷遇だとか、弱者の切り捨 てだとか、いう言い方が最近流行ってきた。再び言うが、政治が国民の生活を引き上げる努力をし続けることは当然の任務である。しかし個人しては、誰にでも ある凋落の季節を、その人の哲学で処理せず、社会の流行の考え方で扱うのは、自分の財産か生涯の一部分を安易に失うのと同じような気がする。
「言い残された言葉」

11 いくら年寄りでも、原則として自分のことは歯を食いしばってでも自分ですること、できれば人のために働き奉仕することを栄光に思うこと、などといった姿勢ができていなければならないだろう。しかし今の年寄りほど、甘やかされた世代はない。
「戦争を知っていてよかった」

12 生は狂躁で、死は完成である。蝉たちは、叫び声をあげてそのことを知らせている。
「春草の夢(椅子の中)」

13 五十歳という年が一つの節目なのかと夕子が思ったのは、それまで同じような日々が同じような登場人物の周囲に過ぎて行くものだと信じられていたのに、登場人物が少しずつ退場したり、性格が変化して来たことだった。
「二月三十日(おっかけ)」

13 人は生きるのに、一流でなくても少しも困らない。それどころか、これは邱永漢氏の名言なのだが、「誰が幸福と言ったって、小金のある庶民ほどしあわせな階 層はない」という定義は、今も真実だと私は思っている。その定義の示すところは、小金のある庶民だけが生き方を自由に選べるということだ。レストランの食 事も出来るが、にぎり飯の立ち食いのうまさも知っている。官吏にも弁護士にも、映画俳優にも絵描きにもなれる。豪華なホテルにも質素な湯治場にも泊まれ る。車も買えるが、足で町の雑踏を歩いて楽しむこともできる。生き方の選択肢が豊かであることだけが、ほんとうの上流の資格であろう。
「すぐばれるようなやり方で変節する人々」

14 私のしたい仕事の中には、職人さんの真似事も多かった。もともとペンキ塗りや壊れ物直しが好きである。アクセサリーの修理や包丁研ぎを始めると、上手とは 言えないが時間を忘れる。私の家は四十年も経つ古家なので、いつもどこか磨いたり繕ったりしていないとみじめな姿になる。その仕事も好きだ。縁のかけた茶 碗に金継ぎをする初歩的技術も習いたいし、禿げた漆をほんの一部塗り直す方法も覚えよう。こういうことに執着するのは、もちろん私の性格がケチだからなの だが、第一には例の「もったいない」をずっと生まれてこの方やってきているからである。直したものは、命をもらいなおして落ち着いて輝いている、その姿が 大好きなのだ。
「平和とは非凡な幸運」

15 ほんとうの病気は別として、私のように、人と付き合うのが苦手だと思っている人は、程度の差こそあれ、世間にはたくさんいる。しかし多くの人が部分的に妥 協して人と接して生きている。そして礼儀と優しさから、人に会う時だけは、できるだけ相手のいい聞き手になり、たとえ心の中にどんなに苦しい日でも、明る く応対しようと試みている。それと同時に、自閉的な性格の人たちは、自閉的でない人にはわからない人生を送っているという自覚もあるだろう。かつて吉行淳 之介氏は喘息でない人は人に非ずという感じだった。喘息を分からない人には、繊細な人間の心のひだもわからないだろう、ということなのだろう。自閉的な人 には、多分自閉的に生きている人の美学と誇りがあるのだ。
「すぐばれるようなやり方で変節する人々」

16 私の知人に、六十歳を機に、家中のいたるところ十カ所に近く、鏡をおいたという人がいる。それくらいの年になると、もう年だから外見はどうでもいいや、と いう気になる。その気の緩みが、古めかしい服を着て、背中を曲げ、髪がぼさぼさでもいたし方ない、という結果を招く。しかしそれぐらいの年からこそ、人間 は慎ましく努力してあり続ければならない。そのためには差し当たり、姿勢を正し、髪も整え、厚化粧ではなくても、品のいい生き生きした老人でいなければな らない、と思ったからこそ、その人は鏡を十枚もおいたのだろう。私はその話にいたくうたれた。別に新しい服を買わなくても、高い宝石を身につけなくても、 背を伸ばすだけでも人は五歳は若くすがすがしく見える。
「言い残された言葉」

17 私は今日、美しくなっている必要があった。女は美しくなっているという自信がなければ、物事を良く見られないものなのだ。
「婚約式」

18 私は建築後約四十年も経つ古い家に住んでいる。増築した書斎以外は、断熱材も入っていない。しかし夫が断じて立て直しをしないというので、その意見に従っ ている。「うちの前の豪邸の買いたい工事を見てただろう?鉄筋コンクリートだから、壊すのに二ヶ月かかった。壊し賃も億単位だろう。その点うちなんか木造 だから壊すのも三日だ。我々が死んだ後、三日で跡形もなくなる。簡単なもんだ。」人間は死んだ後に何も残さないのが最高、と私たちは思っている。 
「平和とは非凡な幸運」                   

19 私の実感では、ボケ防止に最高のものは、いわゆる掃除、炊事、洗濯などの家事である。なぜかというと、それらの仕事にはすべて「段取り」が必要とされてい るからだ。(中略)……私の場合、家事に一番有効な性格は、私が怠け者である、という点だ。だからおいしいものを作るにも、洗濯するにも、どうしたら簡単 に手抜きをしながら目的を果たせるかを終始考えている。
「平和とは非凡な幸運」 

20 人はその人が生きた時点で、自ずから「できること」「するべきこと」がある。
それを認識するかどうかで、神にもなれば、詐欺師にもなるようだ。
「平和とは非凡な幸運」 

21 至福のときであった。ふと何も考えたくない、と思った。友衛は今までいつも、人間にとって至福の時とは何かを考えている時間だと思っていたが、今初めて、 何も考えない時も至福であることを知った。堕落か老いか、よくわからない。しかしそれを知らなかった自分は、未熟だったような気はした。
「アバノの再会」

22 (中略) 一部は嘘だけど、完全に隠すよりも、一部は告白した方が、気が楽なんだね。
「春草の夢(予言者の悲しみ」

23 思えばものごとをきちきちに考えて少しの余裕も認めない、というのは巧者のすることではない。もっと儲けたいという慾をごまかすのも生命力に欠ける。人間は機械ではないのだから。あらわでありながら、かつ余裕や誤差の出ることは、充分に人間的なことなのである。
「戦争を知っていてよかった」

24 私は過去に二十三年間、年に一度ずつ、約二週間、障害者と海外旅行をして来た。たくさんの元気なボランティアが助けてくれるお陰で、障害者もボランティア もどちらも同じ料金を払ってでかける。入浴の介護でも食事の世話でも、できる人ができることをする。盲人の柔道の先生が参加した時は、力持ちなので車椅子 を押してもらって大いに楽をした。だから旅が終わってお別れの時には涙をこぼすような友情を築いてきた。日本に帰ってからは、私は仕事に忙しくて除け者に なるが、同じ旅行をした人たちは、泊まりに行ったり訪ねたり、外出のサポートをしたり親戚づきあいをしている。友情ができる基本的な原則はお互いに「尊 敬」を持ったかどうかなのである。だから障害を持っているかどうかなどは全く関係ない。第一、この旅にボランティアとして参加する人の多くもまた人には言 わない程度の障害を持っている。肝臓が悪かったり、癌の手術後だったり、姑との軋轢に精神的におかしくなったり、リスト・カットを繰り返したりするような 経験をも持っているのである。
「言い残された言葉」

25 私は過去に少し聖書を勉強して、そこでギリシャ語のいろはを囓り(カジリ)ました。「勇気」というものは、平和な時にこそ、一人一人の自己との闘いのた めに必要なものですが、ギリシャ語においては、「勇気(アレーテー)」という言葉は、同時に「徳」「奉仕」「男らしさ」という意味も含みます。かつて日本 人の常識の中では、勇気のある人は蛮勇はあっても徳はなく、徳のある人は控え目で優しく勇気とは無関係、という考え方もあったように思います。しかしギリ シャ人にとって徳と勇気とは完全に不可分のものでありました。政治家になられる、ということは、自己の利益や権勢のために働くことではなく、人々のために 自ら進んで死ぬ準備があると言えることでありましょう。それができないようなら、すぐにも私のように、卑怯者でも嘘つきでもどうにか務まる職業に転職され ることをお勧めします。
「釜鍋と愛国心」

26 他人・他国のことより、日本はまず国民の感情が根本から荒れていないうちに、人間性の保持、道義や道徳の更なる構築に教育的に力を入れるべきだ。ニセモノ を売る国、故障の多い商品を売る国の品物はいつか必ず売れなくなる。怠け者、嘘つき、汚職、犯罪者の多い国も、世界の一流国のパートナーとして明らかに嫌 われる。「武装」の代わりに精神の「徳装」が必要だ。「徳装」が経済の繁栄に現実に繋がる時代になっている。
「すぐばれるようなやり方で変節してしまう人々」

27 誰にせよ、子供っぽいより大人の考えができるほうがいい、と私はいつも考える。大人の考えというものは、決して単純ではない。あれかこれかどちらか、と二 者択一でもない。あれでもあり、これでもある、と考えられ、時にはその矛盾に気づきつつ総合的に包括的に生きるのが大人である。
「言い残された言葉」

28 人間の生活は、簡便にして合理的である利点と、手をかけた個性的な贅沢との双方の要素がなければ完結しない。今日本人は簡便な方法だけ手に入れて、自分らしい豊かさを生活に取り入れる面を放棄している人も多い。
「平和とは非凡な幸運」

29 『易経』には「君子豹変、小人革面」という表現がある。君子(人格者)でも小人(小人物)でもたやすく変わる。どの国、どの人の言動にも一喜一憂することはないのであろう。
「平和とは非凡な幸運」

30 ほんとうは、人間には、どうしても隠さなければならないほどの秘密などないのである。多くの人が、自殺したいと思ったたことも、こいつを殺してやりたいと 殺意を抱いたこともあったに違いない。しかし多くの人は、行動にはでなかった。その時周囲に、その危険な心理的状況を乗り越えさせてくれる愛の力があった のだろう。心で思うことは、大きな罪ではない。思うことと、実行することの間には、大きな落差がある。脱税願望も、親子喧嘩も、秘密の情事も、借金も、知 られたくないと思う醜い心の動きは誰にでもあるだろうけど、当人が必死になって隠すほどのことはないだろう。そんなことは、世間に人の数だけあるのだ。
「言い残された言葉」

31 外国のコトワザに「人間は一度に二枚の服は着られない」というのがあると教えられて、選んで生きることの大切さを痛感したことがある。人間が生きるという 行為は、必ず何かを捨て、何かを取らなければならない。その選択を自ら放棄すると、だらだらと時間を使うばかりで、結局したいことをしていないか、専門を 持たない人になる。
「平和とは非凡な幸運」

32 真実というものはザクロの実のようなもので、それはたった一つの完結したものだという人もあるかも知れないが、実は、中がザクロの実のように分かれていて、つまりあの小さな一個づつの実の分だけ、一つ一つ味の真実がつまっている、というべきではないだろうか。
「人間の罠」

33 人間は大していいことなどしなくていいのだ。ただ、深く人を傷つけるようなことだけしなければいいのだ、となぜ教師も親も教えないのだろう。
「言い残された言葉」

34 昔から私が好きなのは、「一日一善」という言葉だった。つまり一つだけ片づけられたらもう後はしない、ということなのである。しかし一つもしないよりはま しだ。死ぬまでに家の中をがらがらにして死のう、というのが私の希望だった。実母が始末のいい人で、着物は二枚、草履は一足のみ残して亡くなった。母の死 後、私は部屋を片づけるのに半日しかかからなかった。そこまでは出来ないだろうが、私の死後、家族ががらくたの山に困り果てる姿は見るに忍びない。
「すぐばれるようなやり方でへんせつしてしまう人々」

35 人のために生きる、ということを、これほど見事に完璧に果たしている人達はなかった。私の幸福は、幼い時から、こうした生き方をしている人達を見馴れて暮 らせたことであった。若い修道女達の中には、まだ、二十歳代の人もいるであろう。私は、幼稚園の時から、修道女の先生達に育てられてきたから、彼女達と、 あらたまって、どうしてそのような生活に入ったかを話し合ったことはないのだけれど、何となく、動物的な本能で、彼女達がそのような道を選ぶまでには、決 して俗人の考えるような、失恋だとか、家庭的な不幸だとかが、あったわけではないということを知ってしまっているのである。今こうして若い修道女達の生活 を見ていると、改めて私は、このような生活を選んだのは、彼女達のいわば生涯を賭けた好みのためなのだ、と思わずにはいられなかった。このような言い方 は、彼女達の犠牲的な生活に大していささか失礼にあたるかも知れない。しかし、誰に知られなくても自らそこに喜びがあるのではなくて、どうしてこのような 地味な、ある意味では報いられない仕事を続けていけるものだろう。
「春草の夢(青い蜜柑)」

(了)

A型
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● 456 映画「余命」について
17 Feb (Tue) 04:05 
From:岡田 次昭 南高 11期  

映画「余命」について
      
この映画の原作は「余命」です。著者は、谷村志穂さんです。今般これが映画化されて、反響を読んでいます。外科担当の女医が、妊娠と同時に乳がんの再発を感知し、治療もせず、誰にも言わずに出産していく過程を見事に描いております。
女性必見の映画です。
その女医を演じたのは、松雪泰子・その夫を演じたのは椎名桔平です。いずれもその持てる才能を遺憾なく発揮して素晴らしい映画に仕上げております。
私は、この映画を見て、久しぶりに感動しました。
あらすじは、次の通りです。
主人公の百田滴(モモタ シズク 松雪泰子)は、大学病院に勤務する38歳の外科医です。
夫は医学部の同期生である百田良介(椎名桔平)です。
滴は、24歳の時に国家試験に合格しましたが、良介は不合格の通知を受け、医者になることを諦めて、売れないカメラマンとなっていました。
二人は満ち足りた夫婦生活を送っていたところ、結婚10年目にして、待望の子供を授かったことを滴は自ら検査して知りました。この事を最初に告白したの は、親友の女医である保井きり子(奥貫薫)でした。その後、良介と一緒に馴染みのコーヒー店に行って、良介と店主夫婦に妊娠の事実を告げました。
これまで子宝にめぐまれなかった夫婦にとって、妊娠は最高に嬉しい出来事でした。この後、保井きり子と店主夫妻は、色々と滴の面倒を見て、滴に感謝されました。
滴は、10年前に乳がんを患い、大学の教授である諸井康平(橋爪功)の薦めにより、右胸の乳房の全摘出の手術を受けていました。それ以来、滴は子供をほし がりながらも、すでにあきらめの境地に達しておりました。それが思いもかけず、妊娠したことで喜びが倍増したわけです。そんな幸せな日々を送っていたある 日、鏡を見ていた滴は自分自身の胸の異変に気づきます。外科医であるが故に、それが乳がんの再発ではないかと滴は疑いを持ちました。ある夜、大学病院に誰 もいないことを見計らって、エコーを使って検査したところ、それは紛れもない乳がんであることを滴は確信しました。10年前に患った炎症性乳がんの再発で した。炎症性乳がんは再発すれば、完治する見込みはないと滴は判断しました。滴は、治療をせずに子供を産むか、子供を諦めて治療に専念するか二者択一を迫 られました。子供を産めば治療が遅れる分、余命は短くなる恐れがあります。子供を諦めた場合、余命は延びるけれども、死へと向かうことはやはり避けること は出来ません。どちらを選んでも、もはや自分一人の力ではどうすることもできないために、ジレンマに陥り、滴の心は千々に乱れます。
本当に辛い現実に直面したわけです。夫の良介に乳がんの再発を打ち明ければ、絶対に出産は反対されると思うと、どうしても告げることの出来ない滴でした。
滴は答えを出すことが出来ないまま、休暇を取って滴の亡き母の故郷である奄美大島へ旅行することにしました。勿論良介も一緒です。
当地では、従姉妹のひかり(市川実和子)の家族達が温かく迎えてくれました。奄美大島では、青い空に、青い海、美しい夕陽が綺麗でした。この島の自然を前 にして、「この美しい夕陽をわが子にも見せてやりたい」と考えた滴は出産を決断したのでした。そして、滴は病気のことを良介にも誰にも告げずに、たったひ とりで病気に立ち向かうことを決意したのでした。
暫く滞在して、東京に戻ると、滴は教授に突然辞表を提出しました。身重の体では患者の手術をすることは困難となり、出産準備のことを思って辞表を申し出たのでした。
お世話になった教授にも、滴は病気再発のことを告白することはできませんでした。
さて、家庭内において、良介は、主夫を演じておりました。要するに、滴の収入に期待しながら、気儘な生活を送っていたのでした。自分がこの世からいなく なった時、良介と子供は生活していけるのかどうか大きな不安を滴は抱きました。何も知らない良介に明るく振る舞う毎に、滴の心は沈み、疲れを覚えるように なったのです。将来のことを思うと滴は良介に対していらだちを覚えてくるのでした。それでも良介に告げることの出来ない滴は、一人で悩み事を隠さなければ なりませんでした。そのような気まずい状態のまま、良介は月30万円のカメラマンの仕事を引き受け、3ヶ月の契約で東京から600qも離れた鳥島へ出かけ てしまいました。アホウドリの保護増殖事業のプロジェクトが開始され、良介はプロジェクトの全行程を記録するカメラマンとして参加したのです。
出産予定日まで後半月のところで、滴は破水し、救急車で病院に運び込まれました。良介からは何の連絡もないため、滴はひとりで出産を余儀なくされました。 そして、難産の末、滴は男の子を出産しました。産婦人科の女医は、赤ちゃんにお乳を飲まそうとして、滴の胸をはだけたところ、右胸に炎症性乳がんの徴候が 現れていることに気づきました。滴は、観念して、「実は私も医者なのです。この乳がんは、再発です。妊娠を知ったとほぼ同じ時に、今回の再発にも気づいた のです。覚悟の上で、産んだ子供です。私の代わりに産まれてきた子供なんです。」と女医に告げました。この話を聞いた女医は、「さすがに、冷静に分析され ていますね。覚悟という言葉は私も好きなんですよ。」と優しく滴に語るのでした。
出産後、滴は家に閉じこもり誰とも接触しませんでした。しかしながら、滴の身体を病魔は休むことなく蝕んでいきました。ある日のこと、子供を抱いてスーパーで買い物をした後、滴は意識不明となり倒れ込んでしまいました。
救急車で病院に運ばれ、応急の処置を受けて、何とかその場を凌ぐことが出来ましたが、子育てと病気の進行で滴は精神的にも肉体的にも疲労が募ってきておりました。
3ヶ月の契約期限より1ヶ月遅れて、鳥島から帰ってきた良介の姿を見ると、幾度となくメールをしても音沙汰なく、そのために感情が高ぶって、滴は激しく良介を責めました。良介は滴から病気のことを聞くと、何故自分に言わなかったのかと滴に訊ねました。
「産ませてくれないと思った。……あなた、私のこと好きだから」と滴は良介に初めて自分の素直な想いを告げました。そんな滴を良介は優しく受け止めて、涙ながらに滴を抱きしめたのでした。
いつも光輝く瞬間を切り取るように、それでいて太くとの考えから、二人の意見は一致して、子供の名前を「瞬太」と名付けました。
良介は、滴の希望通り、滴の残された日々を奄美大島で過ごすことを決意しました。あのとき余命は1年と言われたけれども、乳がんが再発してから、6年経過しても滴は生き長らえておりました。
しかしながら、乳がんの進行によって、骨まで犯されて骨折の恐れがあるため、滴は車椅子での生活を強いられておりました。
滴の最後の場面は、映画では描かれておりません。この映画を見る人に滴の死は避けられなかったということを想像させたのです。
数年後、奄美大島の浜辺にて、中学生になった瞬太は母と同じように綺麗な夕陽を見ていました。そこに郵便屋が来て、高校入学の手紙を彼に渡しました。それ は合格のお知らせでした。瞬太は自転車で父の診療所に駆けつけ、父に合格を伝え、約束通りニコンのカメラを父から譲り受けました。
良介は何回も医師の国家試験を受け、ようやくこれに合格し、奄美大島に診療所を開業していたのです。診察室にある机の上には滴のカヌーを漕いでいる写真が 飾られており、良介はこれを見て、瞬太の中に滴の命が確かに続いていることを確認します。映画はここで終わりを告げます。
この映画は、一人の女性の生き様を通して、命の大切さと尊さ、そして生きることの素晴らしさを見事に描いております。
このような女性心理と行動につきましては、世の男性は永遠に理解することが出来ないと考えます。
(了)

(ご参考)
(登場人物)   (男優・女優)    (役柄)
百田 滴    松雪 泰子     外科医
百田 良介   椎名 桔平     滴の夫 カメラマン のち医師
保井 きり子  奥貫 薫      親友の女医
宮里 光    市川 実和子    従姉妹
百田 瞬太   林  遣郎     二人の間に生まれた子供
産婦人科医   かとう かず子   瞬太を取り上げた産婦人科医
諸井 康平   橋爪 功      大学教授  滴の上司
吉野 秀美   宮崎 美子     コーヒー店の妻
吉野 晃三 二階堂 智     コーヒー店の主人 

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● 455 小冊子「松蔭先生のことば」について
17 Feb (Tue) 02:33 
From:岡田 次昭 南高 11期  

私は、昨年の10月9日と10日、1泊2日のバス旅行(松山発)に参加しました。
私は萩のお土産屋さんにて、この小冊子に出会いました。
この小冊子は萩市立明倫小学校が監修したものです。萩藩校明倫館の跡地に建つこの小学校では、毎朝、各教室で子どもたちが全員で「松蔭先生のことば」
を朗唱しているとのことです。
吉田松陰(1830〜1859)は本州の最南端、長州萩にて誕生しました。黒船来航に危機感を募らせ、アメリカ密航を企てましたが失敗しました。その後、 故郷で松下村塾を主催して指導にあたりました。彼は幕府の外交政策を激しく批判した故に「安政の大獄」に連座し、処刑されました。しかしながら、「安政の 大獄」に連座しました。安政6年(,1859年)10月27日、井伊直弼の命令により彼は斬刑に処されました。享年30歳の若さでした。しかしながら、そ の志は高杉晋作・久坂玄端・伊藤博文・井上馨を初めとする門下生たちに受け継がれ、松蔭の処刑から9年後に、日本は「明治」という新時代を迎えました。
余談ながら、関ヶ原の戦いの後の1608年、毛利輝元が日本海に張り出した指月山の麓に萩城を築城し、以後山口の政事堂に藩庁が移されるまでの260年間、当地は、長州藩36万石の城下町として発展しました。
この萩は、明治維新の胎動の地として有名です。
松蔭は、30年足らずの短い人生の中で、実に多くの著作を残しました。岩波書店は『吉田松陰全集』全十二冊を昭和15年に出版しております。膨大な分量の文や詩に込められた崇高な志がこの全集に収められています。
松蔭は生前「自分の骨はどこに曝されるか知らないが、自分の書いた文章が保存されれば、道端で死んでも構わない」「遺著を公にして不朽ならしむるは、万行の仏事に優る(スグル)」との言葉を残しております。
それではこの小冊子の一部を下記に記載しておきます。現代におきましても十分通用する含蓄のある言葉です。



(原文のまま)

01 万巻(マンガン)の書を読むにあらざるよりは いずくんぞ 千秋の人たるをえん
(解説)
多くの本を読み、勉強しなければ、どうして名を残すような立派な人間になることができようか、しっかり勉強しなさい。

02 凡そ(オヨソ)生まれて人たらば 宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし
(解説)
人間として生まれてきた以上は、動物とは違うところがなければならない。どこが違うかというと、人間は道徳を知り、行うことができるからである。道徳が行われなければ、人間とは言われない。

03 凡そ読書の功は昼夜を舎てず(ステズ)寸陰を惜しみて是を励むにあらざれば 其の功を見ることなし
(解説)
読書の効果をあげようと思えば、昼と夜の区別なく、わずかの時間でも惜しんで、一心に読書に励まなければ、その効をみることはできない。

04 体は私なり 心は公なり 私を役して公に殉う者(シタガウモノ)を大人(タイジン)と為し 公を役して私に殉う者を小人と為す
(解説)
人間は精神と肉体の二つを備えている。そして、心は肉体よりも神に近いが、肉体は動物に近い。ここでは、精神を公とよんで主人とし、肉体を私と呼び、従者 とする。すなわち、人間は公私両面を備えている。なお、精神を尊重するのは、良心を備えているからである。主人たる心のために従者たる肉体を使役するのは 当然のことで大人の為すところ、これに反し、従者たる肉体のために、主人たる精神を使役するのは、小人の為すところ。同じことを繰り返すが、肉体を使役し て、徳を修め、未知を行うことに心がける者は大人、反対に、道心、天理を犠牲にして肉体の欲望を満足する事を目的とするものは小人。
(注)
これは小学6年生が1学期に学ぶ言葉です。私は、こんな難しいことを同時期に学んだ記憶はありません。

05 世の人は よしあしごとも いわばいえ 賤(シズ)が誠は神ぞ知るらん
(解説)
(海外渡航の企てについて)世間の人は、私のとった行動をよくないという人もいるだろうが、私の国を思う真心は神だけが知っているだろう。

06 一己(イッコ)の労を軽んずるにあらざるよりは
いずくんぞ兆民の安きをいたすをえん
(解説)
自己一己の事も骨身を惜しまず働く用でなければ、どうして多くの人のために尽くすような立派な人間になれようか。

07 志を立ててもって万事の源となす
書を読みてもって聖賢の訓(オシエ)をかんがう
(解説)
何事をするにも志がなければ、なんにもならない。だから、志を立てることが第一である。書物を読んで、聖人、賢人の教えを参考として自分の考えをまとめることが大切だ。

08 道は則ち高し 美し 約なり 近なり
人徒に其の高く且つ美しきを 見てもって及ぶべからずと為し
而も其の約にして且つ近く 甚だ親しむべきを知らざるなり
(解説)
人の道は高大で又美しく、同時に簡約であり、手近いものである。しかし、人はその高大で美しいのを見て、とても自分には出来ないことだと、初めから決めて かかるが、(それは間違いであって)道徳とうものは簡単なもの、手近い物であり、又最も親しむべきものであるということを知らない。(日常生活と離れたも のではない)

09 親思うこころにまさる親ごころ
きょうの音ずれ 何ときくらん
(解説)
子供が親を慕う心持ちよりも、親が子を愛する親心は、どれほどまさったものであろう。死なねばならぬ私の頼りを知って故郷の両親は、どんなに悲しむことであろう。

10 朋友相交わるは 善導をもって 忠告すること 固より(モトヨリ)なり
(解説)
友達と交わるには、真心をもって、善に導くようにすすめることは、言うまでもないことである。

11 人賢愚ありと雖も 各々一二の才能なきはなし
湊合(ソウゴウ)して大成する時は 必ず全備する所あらん
(解説)
人には、それぞれ能力に違いはあるけれども、誰も一つや二つの長所を持っているものである。その長所を伸ばせば、必ず立派な人になれるであろう。

12 其の心を尽くす者は 其の性を知るなり
其の性を知れば則ち天を知る
(解説)
人というものは、その心の奥底までを辿り究めて行けば、その本性の善なることが知れる。その性の善なることを知れば、その性はもと天から受けた所であるから、従って、天が善を好むということが知れる。

13 仁とは人なり 人に非ざれば仁なし 禽獣是れなり
仁なければ人にあらず 禽獣に近き是れなり
必ずや仁と人と相合するを(アイガッスルヲ)待ちて 道というべし
(解説)
仁とは、仁を行う所の人のことである。人でなければ、人徳を行うことはない。禽獣に仁はない。故に、人徳なければ、人ではない。禽獣に近い人がこれである。それで、人徳と人の身を相合するとき、道というのである。

14 天地には大徳あり 君父には至恩あり 
徳に報ゆるに心をもってし
恩を復す(カエス)に身をもってす
此の日再びし難く 此の生復び(フタタビ)し難し
此の事終えざれば 此の身息まず(ヤマズ)
(解説)
天地には、万事を生々養育するという大きな徳がある。また、主君と父母とには、情愛にみちた恩愛、洪大な有り難いご恩がある。天地の大徳と君父のご恩に対 しては、心身の全力を尽くしてご恩報じにつとめねばならない。「一日再び晨なり難し」という古人の句があるが、今日の日が暮れると、今日という日は二度と 来ないし、この生命も一旦死ぬれば、再び此の世に生まれ出ることはない。よって、前述したような報恩の事を成し遂げるまでは、少しの時間も無駄にせず、勉 強でも、一生懸命務め励まねばならない。
(了)


(ご参考)

1. 萩市立明倫小学校6年生 水澤 舞さんの感想
「パワーを感じる松蔭先生の言葉」
私たちの学校では、松蔭先生の言葉を毎朝朗唱することで、一日が始まります。朗唱していると、松蔭先生が言っておられるように実行しようという気持ちになります。
私は、松蔭先生の言葉には、何かすごいパワーがあるんだと思います。朗唱するとその日一日をがんばろうという気持ちになります。
これからも、毎朝、大きな声で朗唱して私自身を高めようと思います。

2. 萩市立明倫小学校6年生 吉岡笙子さんの感想
「私を励ましてくれる、松蔭先生の言葉」
私たちは、毎朝松蔭先生の言葉を朗唱しています。
松蔭先生の言葉は「自分の立っている場所だけではなく、もっと大きな視野を持って生きていこう。」という私たちへの応援であり、励ましの言葉なのです。
明倫小学校では、みんなが必ず「松蔭先生」と呼びます。今では、肖像画でしか会うことのできない松蔭先生ですが、その言葉は、私が苦労してやり遂げたい事 をあきらめてしまいそうになった時「どんなことがあっても夢をあきらめてはいけないよ」と、私をはげまし続けてくれています。

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● 454 書物「世界の名言100」について
17 Feb (Tue) 02:30 
From:岡田 次昭 南高 11期  

今回は、書物「世界の名言100」を皆さんに紹介します。これにはCDが付いております。英語と日本語の音声を聞くことができます。
監修の七田眞氏は、古典・名著を学習する意味、英語を音読する効果を次のように語っております。
「古来から、音読を大切にする学習法が広く世界中でなされてきました。音読学習は人間の能力を開く定番です。音読・暗唱学習する効果は、記憶力が磨かれ、 理解力が深まるばかりでなく、読む人の文章の骨格づくりになります。それだけでなく、思想の骨格まで作ります。従いまして、同じ英文を読むのでも名文を読 み、暗唱することが大切です。」
ここに記載されております名言は現代においても十分参考になります。
なお、英語を再勉強されたい方は、この書物を購入して名文を耳で聞き、暗記してください。
それに、短い文章かつ暗記すべき英文については、適宜表記しました。
ここでは、すべてを紹介することはできませんので、100のうち59の名言を下記に記載しておきます。



書物 世界の名言
監修 七田 眞
著者 ハイブロー武蔵+ペマ・ギャルポ
発行所 総合法令出版株式会社
初版発行 2005年2月8日

(原文のまま)

01 他人に批判されたくなかったら、なにもやらず何も言わなければいい。
しかし、それは生きていないのと同じではないか。
(エルバート・ハバード アメリカの教育家 1856-1915)

02 優れた道徳心は習慣からしか生まれない。私たちは、自分でつくった習慣のようにしかならないのだ。節制している人は節度のある人となり、勇気ある行動を続けている人は勇敢な人となる。
(アリストテレス 古代ギリシャの哲学者 BC384-BC322)

03 幸せは、ただお金を持っているというだけで感じられるものではない。それは目的を達成したときの喜びの中に、そして自分で工夫して頑張りぬくというスリルの中にあるものだ。
(フランクリン・ルーズベルト 第32代アメリカ大統領 1882-1945)

04 あなたにできるよいことは、すべてやりなさい。
あなたにできるすべての手段で。あなたにできるすべての方法で。
あなたにできる時間のすべてを使って。あなたにできる人のすべてに対して。できるかぎりのことをやりなさい。
(ジョン・ウェスレー イギリスの宗教家 1703-1791)

05 私たちは他から得たもので生活をし、他に与えることで人生をつくっていく。
We make a living by what we get, but we make a life by what we give.
(ウィンストン・チャーチル イギリス首相 1874-1965)

06 すべての本当の勇気は良心から生まれる。人が勇敢であるためには、自分の良心に従うことが大切なのだ。
(ジェームス・フリーマン・クラーク アメリカの聖職者 1810-1888)

07 人生における悲劇は、目標を達成しなかったことにあるのではない。それは人生に目標を持たなかったことにある。
(ベンジャミン・メイズ アメリカの教育者 1895〜)

08 私たちの幸福のほとんどは、その境遇にあるのではなく、心のありようで決まるのだ。
The greatest part of happiness depends on our disposition, not our circumstances.
(マーサー・ワシントン ジョージ・ワシントンの妻 1731-1802)

09 あなたの生活をシンプルなものにすれば、宇宙の法則もシンプルなものになる。孤独は孤独でなくなり、貧しさは貧しさでなくなり、弱さは弱さでなくなる。
(ヘンリー・D・ソロー アメリカの随筆家 1817-1862)

10 人は信じなさい、しかし、油断もしてはいけません。
Trust everybody,but cut the cards.
(フィレイ・ピーター・ダン アメリカのユーモア作家 1867-1936)

11 どんな人でも、少なくとも1日に一つ、自分には難しいと思えることに挑戦し、それをやり抜かないかぎり、人として大した成長はできない。
(エルバート・ハバート アメリカの教育者 1856-1915)

12 生まれついての真のリーダーはいない。リーダーは他のことと同じく、大変な努力によってつくられていくのだ。そうした努力は、真のリーダーになることをはじめ、私たちが目的を達成するためには必ず求められるものである。
(ブィンス・ロンバルディ アメリカンフットボールのコーチ 1913-1970)

13 名ばかりの成功者になるよりも、真に価値ある人になれるように努力しなさい。
Try not to become a man of success,but rather try to become a man of value.
(アルバート・アインシュタイン ドイツの理論物理学者 1897-1955)

14 失敗する人には2種類がある。考えたけれども実践しなかった人と、実践したけど考えなかった人だ。
(ローレンス・J・ピーター アメリカの教育者 1919-1988)

15 私は人の考えを最もよく知りたいときは、その人の行動を見ることにした。
(ジョン・ロック イギリスの哲学者 1632-1704)

16 自分を信じられない者は、他人を信じることもできない。
A man who does not trust himself can never really trust anyone else.
(レッツ大司教 フランスの聖職者 1613-1679)

17 真の友情は、本当のことを教えられるということである。友情は、盲目と無知の中には存在しないのだ。
(ヘンリー・D・ソロー アメリカの随筆家 1817-1862)

18 人間の一番の友は、自分の持っている10本の指である。
(ロバート・コリャー アメリカの聖職者 1823-1912)

19 人付き合いの上手な男は、女性の誕生日は決して忘れないが、年齢は忘れる。
(ロバート・フロスト アメリカの詩人 1874-1963)

20 愛の最高の証は、信頼することである。
The best proof of love is trust.
(ジョイス・ブラザーズ アメリカの心理学者 1925-)

21 愛のある人の第一の義務は、相手の話を聞くことである。
The first duty of love is to listen.
(ポール・ティリッヒ ドイツの神学者 1886−1965)

22 本は文明の運び人である。本がなければ歴史は何も語れず、文学は沈黙し、科学は無能となり、思想と思索は立ち止まったままとなる。
(バーバラ・タックマン アメリカの女性歴史家 1912-1989)

23 自分の息子のことをよく知っている父親は、賢い父親である。
It is a wise father that knows his own son.
(ウィリアム・シェイクスピア イギリスの劇作家 1564-1616)

24 父親が子どもたちのためにできることで一番重要なことは、子どもたちの母親を愛することである。
The most important thing a father can do for his children is to love their mother.
(センドア・ヘスバーグ アメリカの神学者 1917-)

25 教えることは、2倍学ぶことである。
To teach is to learn twice.
(ジョセフ・ジュベール フランスの思想家 1754-1824)

26 優れた質問は知恵の半分と言える。
A prudent question is one-half of wisdom.
(フランシス・ベーコン イギリスのキリスト教神学者 1561-1626)

27 もし、あなたに大きな悩みがあれば、次の三つの手順で解決していきなさい。
@起こり得る最悪のことは何かを考えてみる。
Aそのことを受け入れる覚悟をする。
Bそれから、落ち着いて、最悪のことを改善していくことを始める。
(デール・カーネギー カーネギー研究所設立 1888-1955)

28 きつい、そしていらついた言葉を口にするのは愚かしい。しかし、より愚かなのは、それを手紙に書いて送ることである。人は無礼な手紙を受け取ると、すぐに 10倍もひどい内容にした無礼な手紙を送り返すだろう。そして、どちらの手紙もゴミ箱に投げ捨てられることになるのだ。
(エルバート・ハバード アメリカの教育家 1856-1915)

29 人生が楽しいことしかないならば、私たちは、勇気と忍耐を学ぶこともないだろう。
We could never learn to be brave and patient if there were only joy in the world.
(ヘレン・ケラー アメリカの教育家 1880-1968)

30 あなたはお世辞にも批難にもとらわれてはいけない。どちらにとらわれてしまっても、それはあなたの大きな弱点となる。
(ジョン・ウッデン アメリカのバスケットボールのコーチ 1961-)

31 本物の人格は、安楽と平穏からはつくられることはない。挑戦と失敗の苦しみの経験を通してのみ、精神は鍛えられ、夢は明確になり、希望が湧き、そして成功が手に入る。こうして始めて本物の人格ができあがるのだ。
(ヘレン・ケラー アメリカの教育家 1880-1968)

32 人格は木のようなものであり、他人によるうわさはその影である。影は想像上のものであって、木こそが真実なのである。
(アブラハム・リンカーン 第16代アメリカ合衆国大統領 1809-1865)

33 成功が成功をもたらすというのは間違いであって、むしろ失敗が真の成功をもたらす。他人による教訓、勉強、忠告そして手本などは、人を自らの失敗ほどには教えることができない。
(サミュエル・スマイルズ スコットランドの医師 1812-1904)

34 本をよく読むことで自分を成長させていきなさい。本は著者がとても苦労して身につけたことを、たやすく手に入れさせてくれるのだ。
(ソクラテス 古代ギリシャの哲学者 BC469-BC399)

35 私たちは、三つの異なった方法で人生の意味を発見する。それは
@よいことをすることによって
A価値のある体験によって
B苦しむことによって
の三つである。
(ビクトル・フランクル オーストリアの精神医学者 1905-1997)

36 飛ぶためには抵抗がなければならない。
To fly ,we must have resistance.
(マヤ・リン アメリカの芸術家 1959- )

37 労働が身体を強くするように、困難は心を強くする。
Difficulties strengthen the mind, as labor does the body.
(セネカ 古代ローマの政治家 BC4-AC65)

38 人はほとんど見えるものより、見えないことに思い悩むものである。
(ジュリアス・シーザー 古代ローマの政治家 BC100-BC44)

39 話の聞き方を身につければ、あなたは話の下手な人からも、ためになる話を聞き出せるだろう。
(プルターク ギリシャ人著述家 46-127)

40 世界は危険でいっぱいだ。なぜなら、それは悪事を働く者がいるからというのではなく、それを見て見ぬふりをする人がいるからだ。
The world is a dangerous place, not because of those who do evil, but because of those who look on and do nothing.
(アルバート・アインシュタイン ドイツの理論物理学者 1897-1955)

41 あなたの自由は、他の人の自由が守られてはじめて守られることになる。つまり、私が自由であれば、あなたも自由であり、私が自由でなければ、あなたも自由とは言えない。
(クラレンス・ダロウ アメリカの弁護士 1857-1939)

42 一票の方が一発の弾丸より強い。
A ballot is stronger than the bullet.
(アブラハム・リンカーン 第16代アメリカ合衆国大統領 1809-1865)

43 この世において、純粋な疑うことを知らない無知と人のよい愚かさほど危険なものはない。
(キング牧師 アメリカの黒人公民権運動の指導者 1929-1968)

44 みんなの考えが同じということは、だれもよく考えていないということだ。
Where all think alike,no one thinks very much.
(ウォルター・リップマン 政治評論家 1889-1974)

45 平和とは戦争がない状態をいうのではない。平和な状態とは徳のあることであり、心の安定であり、親切な行為であり、信頼と正義があることである。
(スピノザ オランダの哲学者 1632-1677)

46 前の時代に生まれた哲学は、次の時代の常識となる。
The philosophy of one century is the common sense of the next.
(ヘンリー・ワード・ビーチャー アメリカの牧師・作家 1813-1887)

47 すべての人は世界を変えたいと思っているが、自分を変えようとは思っていない。
Every one thinks of changing the world,but no one thinks of changing himself.
(トルストイ ロシアの小説家 1828-1910)

48 質素であることは最も素敵なことだ。
Simplicity is the ultimate sophistication.
(レオナルド・ダ・ビインチ 1452-1519)

49 よいユーモアは、あらゆるものを耐えさせてくれる。
Good-humor makes all things tolerable.
(ヘンリー・ワード・ビーチャー アメリカの牧師・作家 1813-1887)

50 「天は自ら助くるものを助く」という格言は、人類の多くの試練を経て生み出された。この短い言葉には、数限りない人々の経験から導き出された、人生で成功 するための法則が示されている。自ら助くという、いわゆる自助の精神は、人間が真に成長していくための根本となるのである。また、この自助の精神が、国民 一人ひとりの中に多く見出されるかどうかが、その国が活力のある力強い国となれるがどうかを決めるのだ。
(サムュエル・スマイルズ スコットランドの医師 1812-1904)

51 あきらめない力と忍耐力があれば、どんな困難も打ち破り、どんな障害物も消し去るほどの魔法のような力が湧いてくる。
(ジョン・クインシー・アダムス 第6第アメリカ合衆国大統領 1768-1848)

52 創造性は、結果を恐れない勇気を持つことから生まれる。
Creativity requires the courage, to let go of certainties.
(エリック・フロム ドイツの社会心理学者 1900-1980)

53 要するに富への道は、それを望めば簡単なことなのだ。それはビジネス上の取引のやり方と同じである。勤勉と節約だ。
時間とお金を決して浪費せずに、この二つを最大限に活用しよう。まじめに働いてお金を得、必要な支出を除いて、得たお金を貯金するのである。こうすれば、 必ずお金持ちになれる。正直に努力するすべての人に祝福をお与えになる神様が司るこの世界においては、必ずそうなるのである。
(ベンジャミン・フランクリン アメリカの政治家 1706-1790)

54 わが人生は三つの熱情で支配されてきた。愛への熱い思い、知識欲、それに人類がこうむってきた苦難への耐え難い怒りである。
(バートランド・ラッセル イギリスの数学者、哲学者 1872-1970)

55 日常生活において守るべき十戒。
@ 今日できることは明日まで延ばすな。
A 自分でできることは他人にやらせるな。
B お金を手にする前に、お金を使うな。
C 安いからといって必要でないものを買うな。それは結局高くつく。
D 見栄は飢え、渇き、そして寒さよりもお金を使わせることになる。
E 食事は腹八分目にせよ。
F 自分が自発的にやれば何も苦労はない。
G 取り越し苦労はやめよ。
H 何事も無理しないやり方でやること。
I 怒っている時は話す前に十数えよ。とても怒っているときは百数えよ。
(トーマス・ジェファーソン 第3代アメリカ合衆国大統領 1743-1826)

56 目標を決めて諦めずに進めば、すべてが変わっていく。
Choosing a goal and sticking to it changes everything.
(イシュメール・スコット・リード アメリカの黒人小説家 1938-)

57 思いは花であり、言葉は芽であり、行動はその後に実をつける。
Thought is the blossom,language the bud; action the fruit behind it.
(ラルフ・ワルド・エマーソン 思想家 1803-1882)

58 不成功の99パーセントは、言い訳ばかりをする習慣を持つ人から生まれてくる。
Ninety-nine percent of failures come from people who have the habit of making excuses.
(ジョージ・W・カーバー 農学者 1864-1943)

59 私たちにその夢を追う勇気があれば、すべての夢は実現する。
All our dreams come true, if we have the courage to pursue them.
(ウォルト・デイズニー アメリカの映画監督 1901-1966)

(了)

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● 453 書物「にほん語 おもしろい」について
14 Feb (Sat) 01:30 
From:岡田 次昭 南高 11期  

平成20年11月上旬、二子玉川の紀伊國屋書店にて素晴らしい書物に私は出会いました。それは「にほん語 おもしろい」です。
この書物は2008年11月1日に発行されました。
著者は、坪内忠太氏です。彼は書籍編集の傍ら、30年に亘って雑学知識を収集しております。
彼は「まえがき」において、次のように述べています。
『日本語は空気のようなものだから、日々使っていて何の違和感もない。それはそれでいいのだが、日々使っている言葉に、ちょっとだけ疑問を差し挟んで見ると、もっと面白く、楽しく、意外な世界の広がっていることをこの本でお知らせしたい。』
これを読み始めますと、私は時間を忘れて一気に読了しました。
私はこの書物を読んで、如何に間違っていたか或いは誤解していたかがよく分かりました。
例えば、次の言葉について、私は、理解もせずに会話したり、書いたりしておりました。大いに反省しなければなりません。
『「なおざり」と「おざなり」をうまく使い分けられるか?
「仕事をなおざりにした」と「仕事をおざなりにした」は、同じように聞こえるが意味は逆である。前者はほとんど「仕事をしなかった」のであり、後者はいい 加減にではあるが「仕事をした」のである。なおざりは等閑と書く漢語で、なすこともなくうかうかと過ごすこと、一方、おざなりは漢字で御座なりと書き、そ の場凌ぎでいい加減にやるという意味である。』(15に記載しております)

それにこの書物は分かり易い日本語で書かれております。一読すれば容易に理解できるようになっております。
題材は295もあります。その一部である39を紹介しておきます。
A4で11枚あります。パソコンの画面で読みますと目が疲れますので、印刷して一読してください。
なお、出版社は新講社、定価は税込みで1,365円です。この書物に興味をお持ちになった方は、是非ともこれを購入して、日本語の素晴らしさを堪能してください。


(原文のまま)

01 「敗軍の将、兵を語らず」の兵とは、部下の兵のことではない?
サッカーや野球の負け試合で、よく監督が「敗軍の将、兵を語らず!」という。続けて「連戦で、故障者も多かったし……」と本音を言って周りを白けさせたり する。が、この「敗軍の将…」の使い方は間違っている。監督は選手を「兵」と思っているようだがそうではないからだ。この「兵を語らず」の「兵」とは「兵 法」のことだ。「敗軍の将に兵法を語る資格はない」というのが本来の意味である。負けた監督が、選手の故障や凡ミスに触れないというのではなく、まして や、敗戦を選手のせいにしないということでもない。「負け試合の監督には、作戦(兵法)について語る資格などないよ」と自分を批判する時に使う言い回しで ある。

02 「さいさきが悪い」という言い方は、ちょっと変?
大相撲の初日に客の入りが悪くて、「さいさきがよくないですね」と解説の親方がテレビ中継でいっている。いろんな所で「さいさきが悪い」はよく使われてい るが「さいさき」は漢字で書くと「幸先」だから、後に続くのは「いい」でなくてはならない。朝飲んだお茶に茶柱が立っている時、「今日はさいさきがいい な」と使うのが正しい。初日から客の入りが悪いのは「縁起が悪い」と言うべきだろう。

03 みんなに反対されることを「総スカンをくらう」というが、スカンとは何か?
総スカンという言葉は会話の中で使われ、「ソウスカン」と音で記憶されるので、その由来を考えることはないだろう。しかし、文字で書く時は、「総スカン」 とカタカナ表記するので、「スカンとは何だ?」とふと思ってしまう。が、しかし、その意味と結びつく「スカン」にはなかなか思い至らない。「スカンピン」 の「スカン」か、はたまた「スカンク」の「スカン」か。しかし、これが「好かん」だと知れば、なるほどと納得できる。「みんなが好かんから」から「総スカ ン」だったのだ。カタカナで表記したりするから「何のことやらわからんかった」のである。

04 刺身はどう見ても切り身なのに、なぜ「刺す」か?
魚の切り身を見ただけでは、料理人ならともかく、一般の人には何の魚か分からない。そこで、昔は、魚の尾鰭(オヒレ)を切って身に刺して出した。だから「刺身」だ。また「切る」は縁起の悪い言葉(忌み言葉)とされていたので避け、「刺身」にしたという側面もある。

05 「その一言で夫婦の絆が深まった」は間違い。どこが?
信頼関係が強くなることを「絆が深まる」と誤解し、会議で激しく対立した相手と「かえって絆が深まった」といったりするが、これはおかしい。絆とは牛馬を つなぎ止める綱のことである。それが「人と人との結びつき」に転用されたものだが、綱だから深くはならない。それを言うなら「強くなる」「太くなる」「固 くなる」だ。

06 図抜けてすごいことを「超ド級」というが、「ド」とは?
スポーツ紙の一面に踊る「超ド級」のホームランは目を引く言葉だ。この「ド」とは何かと言うことだが、二十世紀初頭ににイギリスが造った超性能戦艦「ド レッドノート」に由来する。各国はこの超性能戦艦ができた時これを看過できず、その上を行く性能を備えた戦艦の建造に狂奔した。ドレッドノートを超える戦 艦は「超ドレッドノート級」だが、長いので新聞は「超ド級」と見出しを打った。超弩級という漢字もあるが当て字ある。語源からいって超ド級だ。

07 故郷やどちらを見ても山笑う(正岡子規)「山笑う」とは何のことか?
早春の山に木々が芽吹く。「山笑う」は、春の日に照らされた山の明るい色づきのさまを表した俳句の春の季語である。この山は高山ではなく、雑木林におおわ れた近在の山だ。散歩のついでにちょっと登りたくなるくらいの高さである。中国・宗の禅宗画家・郭熙(カクキ)の「春山淡冶(タンヤ)にして笑うが如く」 が出典。冬の季語である「山眠る」と対比され、明るく楽しい春山の景色を表している。

08 詭弁を弄することを三百代言(サンビャクダイゲン)というが、三百とは?代言とは?
1893年(明治26年)に弁護士法が制定されるまでは、1872年(明治5年)にできた代言人制度による弁護士の役割をしていた。しかし、弁護士の前身 といっても裁判官や検察官と違って社会的地位は低く、訴訟の仕事を300文という格安価格で引き受ける者も少なくなかった。300文とは二束三文である。 そんな代言人はいい加減なことをいい、いい加減な仕事をしたので、そうしたことをひっくるめ、世間では、自分に都合よく勝手をいうことを、三百文の代言人 がいうことを囃して(ハヤシテ)「三百代言」といったのである。

09 なぜ、スイカ(西瓜)は西でカボチャ(南瓜)は南か?
アフリカ原産のスイカはヨーロッパでは早くから栽培されていたが、日本に来たのは室町時代以降である。織田信長に南蛮人が献上したのが最初といわれる。
もともとは水瓜だったが、西洋から伝わったということから、他の瓜と区別するため後に西瓜の字が当てられた。果肉にはカリウムが含まれ夏ばて防止の効果が ある。一方、カボチャは戦国時代に九州に漂着したポルトガル人が種を持って来た。その船はカンボジアから来たので、カボチャといった。スイカの形に似てお り、また、南蛮国からやってきたというので南瓜の字が当てられた。

10 説得に行った人が逆に説得されることを、「木乃伊取りが木乃伊になる」と言うが、なぜ木乃伊か?
木乃伊はオランダ語のmummieを漢字表記したものだが、昔、木乃伊には不老不死の薬効があると信じられ、珍重された時代があった。そこで木乃伊を墳墓 に取りに行く人がいた。中には墳墓で事故にあって帰ることができず、その遺体が乾燥して木乃伊化することもあった。木乃伊取りが木乃伊になるのである。

11 酒を飲むと、「君子豹変して大暴れ」は間違い?
君子は君主ではない。品格を備えた人物のことである。そんな人は、酒を飲んだくらいで態度を変えない。君子豹変は「徳の高い人は自らの過ちに気づいたら、 躊躇なく改める(豹変する)」ということ。単に、何か原因があって様子が変わったとか、急に態度を変えたというのではない。問題があれば、その原因を自ら に問い、除去し、改める。そのプロセスが周りに分からないので豹変したと見えるのである。

12 大工の親方は、なぜ「頭」でなく「棟梁」か?
「棟(ムネ)」は日本家屋の屋根の一番高いところで、ここに架ける太い横が棟木である。「梁(ハリ)」は柱と柱を結びつける横木、つまり、どちらも日本家 屋にとっての最重要部分だ。親方は、大工仲間の最重要人物だから、この二つの最重要部分をくっつけて「棟梁」と呼んでいる。

13 なぜ、別れる時の挨拶は「さようなら」か?
「さようなら」を漢字で書くと「左様なら」「然様なら」である。もともとは武士の言葉で、訪問先を辞する時「左様ならば、おいとま申す」といっていた。そ の後半が省略され「左様なら」だけが残ったのである。「左様ならば」は、堅苦しくいうなら「そういう事情ならば」ということだが、ここは別れ際だから大し た意味はない。

14 なぜ、アメリカは米国、イギリスは英国、フランスは仏国か?
江戸時代末期から明治時代の初めにかけ、ヨーロッパの先進文明に接したいという気運が高まったが、言葉が分からなかった。そこで、中国語に翻訳された文献 から知識を得ようとしたが、そこには、アメリカは亜米利加、イギリスは英吉利、フランスは仏蘭西と漢字を当ててあった。しかし、どれも長いので、亜米利加 はその一字を取って米国、英吉利は英国、仏蘭西は仏国としたのである。

15 「なおざり」と「おざなり」をうまく使い分けられるか?
「仕事をなおざりにした」と「仕事をおざなりにした」は、同じように聞こえるが意味は逆である。前者はほとんど「仕事をしなかった」のであり、後者はいい 加減にではあるが「仕事をした」のである。なおざりは等閑と書く漢語で、なすこともなくうかうかと過ごすこと、一方、おざなりは漢字で御座なりと書き、そ の場凌ぎでいい加減にやるという意味である。

16 長崎チャンポンや酒をチャンポンにするの「チャンポン」は何?
現在の「チャンポン」は、いろんなものをごちゃ混ぜにする、性質の違う物を混合するという意味だが、もとを辿るとチャンは鉦、ポンは鼓の音のことだった。 鉦は祭りのお囃子などでチャンチャカ打ち鳴らし、鼓は能の囃し方がポンと打つ。昔は、祭りは大衆的なもの、能は上流階級が楽しむ上品なものとされ、その二 つを一緒に打ち鳴らすのは型破りだった。長崎チャンポンは具がごちゃ混ぜで麺類の食べ方としては型破り、また、酒をチャンポンで飲むのも型破りだから悪酔 いする。

16 ひどく酔っ払うことをなぜ「トラ」というか?
昔、酒のことを竹葉(チクヨウ)といった。竹藪につきものの動物はトラだから、酒=(竹葉)にひどく酔っ払うことを「トラになる」とかけたわけだ。

17 病気をした友に「一病息災」といって慰めるが、本当は間違い?
正しい四字熟語は「無病息災」だ。「一病」ではない。しかし、ストレス時代の今、「無病」という人は稀だろう。大病はダメだが、何か一つ病気を経験したく らいの方が、その後は、体を労り健康に過ごすことができる。その意味で「一病息災」も受け入れられている。これを最初に言いだしたのは大病から立ち直った 松下幸之助氏である。また、かのトルストイも「病気を知らない人を友としない方がいい」といっている。健康自慢はデリカシーに欠けるところがあり、「一病 息災」の人の相手としては相ふさわしくないということだろう。

18 面倒くさくてやる気のないことを「億劫」というが、何のことか?
億劫の「億」は数の単位の億だからいいとして問題は「劫」の方だ。これは、仏教用語で「宇宙が生まれ、存続し、やがて破壊され、無に帰する時間」をいい、 それがどれくらいの長さかというと「一辺160qの岩に100年に一度天女が舞い降り、羽衣でなで、岩がすり減ってなくなってしまう時間」(大乗仏教の論 書『大智度論』)である。その億倍が億劫だから、まさに想像を絶する長い時間だ。そこから、うんざりする、気が進まない、面倒くさいという意味が出てき た。

19 「今年は台風の当たり年」はちょっとおかしい。なぜ?
「当たり年」は、本来、果物の収穫が順調なことを指していうのであって、そこから、いいことがたくさん起こった時に使う。林檎の当たり年、蜜柑の当たり 年、ベストセラーの当たり年、といった具合。よくないことが立て続けに起こる場合は使わない。地震の当たり年、洪水の当たり年などに使うのは的はずれだ。

20 「三国一の花嫁」と花嫁を誉めるが、三国とは?
三国とは日本に伝わってくる時、経由してきた天竺(インド)、唐(中国)、日本のこと。昔はこれが世界のすべてと信じられていた。だから「三国一の花嫁」は「世界一の花嫁」ということだ。

21 「おつにすましていけ好かない人」というが、「おつ」とは何のことか?
「おつにすます」は漢字交じりだと「乙にすます」となる。甲乙の乙だ。それは何の甲乙かというと邦楽用語で、高い音が甲(カン)、低い音が乙(オツ)であ る。甲の音は「甲高い(カンダカイ)」ので高く鋭く、乙の音は低く渋い。そこから「乙」は粋で渋いという意味になり、そんな人を「おつな人」といった。 「おつにすます」は「おつ」を気取ることだから、「いけ好かない人」となる。「おつ」はこの外に「おつな味」とか「着こなしがおつ」という風に誉め言葉と して使われることが多い。

22 低い地位への異動は、なぜ「右遷」ではなく「左遷」か?
日本では右大臣は左大臣の補佐役だから「左」のほうが上である。にもかかわらず、低い地位への異動を「左遷」というのは、中国・漢の律令制度で右が上で左 が下という「右尊左卑」の思想が徹底されていたからである。皇帝の前に並ぶ臣下の席次も、右へ行けば行くほど高くなった。逆に、左に行くことは降格という ことだから、皆、そうなることをひどく恐れていた。その言葉がそのまま日本に伝わった。

22 「あの人の話は、いつも口先三寸だ」は間違い。なぜ?
いつも調子のいい話ばかりをする人を「口先三寸」と評して、言った後でも間違いに気づかない。気づかないのは間違っていると思っていないからである。一寸 は3センチメートルだから、よく考えれば、口先が9センチメートルあるはずがない。その長さが舌の長さと気づけば、これが「舌先三寸」であることはすぐわ かる。

23 常識はずれを無茶というが、「茶」が無いことがなぜ常識はずれか?
昔から、日本人の習慣として、お客が来たらお茶を出して接待するのが常識となっている。だから、要件に気を取られ、うっかりお茶を出すのを忘れると「お茶 もださない!」とその非常識を責められた。そこから常識はずれを「無茶」というようになった。「無茶苦茶」も、もとは「無茶」から派生した言葉である。

23 雪は音もなく降り積もるのに、なぜ「雪やコンコ」か?
小学唱歌の「雪やコンコ」は「コンコンと雪が降る」様子を歌っているのではない。「コンコ」はもともとは「「コムコム」すなわち「来む来む」で、「来なさい来なさい」と、もっと雪が降るように誘っているのだ。

24 タマゴの漢字、「卵」と「玉子」はどう違うか?
タマゴは卵と書くのが正しい。料理で「玉子焼き」「玉子丼」と玉子を使うこともあるが、これらは当て字である。タマゴは、鶏卵や鶉卵(ウズラの卵)のように一つ一つ独立したものと、カエルの卵やスジコのように連なっているものがある。

25 名字の「四月一日」さん、「八月一日」さんは何と読む?
名字にはクイズのような読みのものがある。例えば「小鳥遊」さんは「たかなし」さんである。そのココロは「小鳥が遊んでいる=鷹がいない=たかなし」だ。 で、見出しの「四月一日」さんは「わたぬき」さん。これは4月1日になると綿の入っていない着物に替えるから。また「八月一日」さんは「ほずみ」さんだ が、これは陰暦の8月1日が稲の収穫(ほずみ)を始める日だったからである。

26 あの人はいつも「的を得た発言をする」は、ちょっと変?
的とは、鉄砲や弓矢の標的のことだが、そこから発展して「正しい意見」や「正しい答え」と言った意味で使われる。が、鉄砲や弓だから、的は得るではなく射るである。「的を射る」だ。「得る」と間違えたのは「当を得る」と同じように考えたからではないか。

27 「今日はみんなご苦労」と課長が言ったので、「課長こそ、本日はご苦労様でした」といったらムッとされた。なぜ?
「ご苦労」という言葉は目上が目下に声をかける時に使う。だから部下が課長に「ご苦労様」というのは非礼。どうでもいいようだが、こだわる人はこだわる。こだわる課長はムッとする。ここは「お疲れ様」と言うべきである。

28 四字辱語の「朝三暮四」は、朝と夕でいうことがコロコロ変わることか?
そうではない。これには次の故事がある。ある人が、飼っているサルに餌のトチの実を「朝三ツ、夕刻に四ツやる」といったところサルが怒ったので「朝四ツ、 夕刻に三ツ」と言い換えたら大喜びしたという。目先の利益にとらわれる人を揶揄する話だ。あるいは、目先を変え人の目をごまかすという使い方もある。だか ら「いうことがコロコロ変わる」という意味ではない。それを言うなら朝令暮改だ。

29 料理のコツという時の「コツ」とは何か?
コツは漢字で書くと「骨(コツ)」だ。骨は人体の基本だから、そこから意味が広がって、いろんなことの基礎、その道の奥義、ものごとの勘所の意味となっ た。ならば、漢字の骨でもいいわけだが、骨をコツと読むと、遺骨と勘違いするので「コツ」「こつ」とカタカナやかな表記にしている。

30 「社長の逆鱗にふれた」という時の「逆鱗」とは何のこと?
逆鱗とは、中国で古くから霊獣としてあがめられている竜の顎の下に、1枚だけ逆さ向きに生えている鱗(ウロコ)のことだ。中国・戦国時代に書かれた『韓非 子』に「竜は普段はおとなしく背中に乗ることさえできる。しかし、のどに逆向きに生えた鱗に触れると怒って、触れた人を殺してしまう。君主の心にもこの逆 鱗のようなものがあるので、意見をいう時はそれに触れないよう気をつけなければならない」と書かれている。今なら、君主は社長や上司ということだろう。

31 「この日本酒はコクがあってよろしい」というが、コクとは?
酒や醤油の出来栄えを評する時「コクがある」という。それは、甘いとか、辛いとか、酸っぱいとかいうものではなく、うまいに近いがただうまいのではない。 いわくいいがたいものだが誰もが納得できる味のことをいっている。ビールのコクもそうだ。これは漢字で書くと「極」とかく。極まったという意味だが、それ がどんな味かといったら、酒、醤油、ビール、味噌、それぞれである。すべての味がうまく調和した極上の味ということだ。

32 「二進も三進もいかない」とは、何がどうなることか?
「にっちもさっちもいかない」と読む。もともとはソロバンの用語で、二進は2÷2、三進は3÷3のことだ。どちらもスムーズに割り切れる。
ちゃんと計算できる。だから、それが「いかない」とは、スムーズにいかない、ちゃんといかないということ。行き詰まることだ。

33 「一番違いで当たりくじを逃しほぞをかむ」の「ほぞ」とは?
10枚連番で宝くじを買って、次の一番違いで1億円を逃がしたら、もう10枚買っておけばよかったと「ほぞをかむ」だろう。ほぞは臍、「へそ」だから噛むことができない。すなわち、どうしょうもないのだけれども、どうしても、そのことを悔やまざるをえない時に使う。

34 この四字熟語「画竜点晴」はどこが間違っているか?
正しい四字熟語は「画竜「睛」」と書き、「がりょうてんせい」と読む。「がりゅうてんせい」ではない。見出しのどこが違うのかは、目を凝らさなければなら ない。「晴」ではなく「睛」。「睛」はひとみの意味である。これは、昔、中国のお寺の壁に竜を描き、最後にひとみを入れたところ竜は忽ち天に登ったという 故事から来た。一番大切なことの喩えである。大事なひとみを描き入れるのだからして「点晴」ではなく「点睛」でなくてはならぬ。

35 「寸暇を惜しまず勉強した者は合格する」は間違い?
「寸暇を惜しまず勉強した者」とは、少ししか時間のない時はほどほどにし、そうでない時に勉強した者である。そんな人は不合格になるかも知れない。本当は、少しの時間も惜しんで勉強したといいたかったのだろうから、それなら「寸暇を惜しんで」である。

36 「白黒を争う」は正しいようで正しくない日本語?
刑事ドラマで犯人かどうかという時「白か黒か」という。その流れで、はっきりさせることを「白黒をつける」というが、これは日本語としてよろしくない。 「黒白を争う」「黒白をつける」が正しい。シロクロではなくコクビャクと読む。シロクロも黒白も同じに思えるが、日本語は「雌雄」「上下」「左右」などの ように対になっている言葉は「雄雌」「下上」「右左」としない。「黒白」もこの仲間だから逆にしない。

37 ワスレナグサを漢字で、なぜ「勿忘草」と書くか?
中世ドイツの話。ドナウ川のほとりを散歩していた騎士ルドルフは、恋人ベルタのため、岸辺に咲く花を摘もうとして流れに足を取られた。必死で岸に辿り着く が力尽き、最後にベルタに花を投げ、「忘れないで!」と叫んで消えた。そこからこの花はドイツ語で「Vergiss mein nicht(フェルギス・マイン・ニヒト)」と命名され、さらにイギリスで「forget me not」と英訳された。それが日本に伝わって1905年(明治38年)、植物学者の川上滝弥が翻訳し「勿忘草」の漢字を当てた。「勿忘」は「忘れるなか れ!」すなわち「(僕を)忘れないで!」だ。

38 「傍目八目」は何と読み、どういう意味か?
「傍目八目」とは、囲碁を傍(ハタ)で見ている人は対局している人より8目も先が読めるという意味だが、そこから、当事者より第三者の方が物事の本質がよ く見えるという時に使う。「おかめはちもく」と読む。他人の恋人に惚れることを「傍惚れ」といい、無関係な男女の仲を妬くのを「傍焼き」というように、 「傍」は「おか」と読むこともある。

39 威厳のある人を「貫禄がある」というが、貫禄とは?
平安時代から鎌倉時代にかけ全国的に商業が盛んになり、貨幣が必要となった。しかし鋳造技術がなかったので中国から銅銭を輸入し流通させていた。室町時代 になると、1411年に中国・明の永楽帝が作った永楽銭が大量に輸入され、大名や武士の禄高もこの永楽銭で支払われるようになった。またそうでない場合も 永楽銭に換算され、「永楽銭何貫の禄高」といっていた。これをつづめて「貫禄」といったのである。そこから、貫禄の多い人は威厳があり、周りに影響力を及 ぼすとみられるようになった。

(了)

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● 452 書物「日本語の品格」について
14 Feb (Sat) 01:24 
From:岡田 次昭 南高 11期  

今回は、書物「日本語の品格」について、述べることにします。
この書物は「美しい響きの言葉」「心配りの言葉」を豊富に集めて、「やさしい心配りのある言葉の使い方」を解説しております。これらの言葉を適宜使うことによって、話し相手との会話が和やかになるものと確信します。
今まで詳しく知らなかった言葉もこの書物を読めば納得できます。
編者の本郷陽二氏は「はじめに」のところで次のように述べています。
『人間は感情の生き物です。いかに相手の感情を尊重するか、それこそが、スムーズなコミュニケーションのコツになるわけです。同じ内容を話していても、言 葉の選び方一つで印象が大きく変わってきます。「言葉は人をあらわす」と云いますが、人柄はそのまま言葉になってあらわれると云うことでしょう。私たちの 周囲を見ても、それは良く分かります。感じのいい人は、人から好かれるような言葉使いをしているからです。』

なお、昨年の某日、朝日新聞「天声人語」は、美しい日本語が鬼籍に入ることを心配しております。ご参考までに、下記に記載しておきます。
【「鬼籍に入(い)る」という言葉がある。その意味を女子大生にたずねたら、「長男の嫁になること」と答える者が多かったそうだ。中国文学者の一海知義さんが、人づての話として『漢語四方山(よもやま)話』(岩波書店)に書いている。
この珍解答には腹を抱える人も、さて「憮然(ぶぜん)」や「檄(げき)を飛ばす」の意味をご存じだろうか。文化庁の「国語に関する世論調査」によれば、7割以上が意味を取り違えていたそうだ。
「憮然」は、失望してぼんやりする様子。「檄を…」は、自らの主張を広く知らせて同意を得る。それが元の意味だ。だが多くが、前者を「腹を立てている様 子」、後者を「元気のない者を叱咤(しっ・た)激励する」と誤って使っていた。「日本語の乱れ」と嘆く向きもおられよう。だが、これらはもはや「誤」が 「正」になった感がある。「憮然」から想像するのは仏頂面であって、失望の顔ではあるまい。歩く人が多くなれば、それが道になっていく。
とはいっても、気になるのはカタカナ語である。多いと感じる人が8割を超す。開化期の文化人たちは、なだれ込む外国語と格闘し、「社会」「個人」「哲 学」…と片っ端から新しい日本語の服を着せた。いまは裸のまま、ネットに雑誌にカタカナが躍る。席巻ぶりを、4割の人が「好ましくない」と見ている。
ところで冒頭の「鬼籍に入る」は、人が亡くなることを言う。鬼の字にはもともと、「人が帰る所」という意味があるそうだ。カタカナ語に虫食いにされて、美しい日本語がいつか鬼籍に入ることにはならないか。心配である。】

最近、一部の若い人たちによるKYとかカタカナの造語が巷に氾濫しております。美しい日本語がこのように乱れますと、私は悲しみよりもむしろ憤りが込み上げてきます。
上記の若い人たちがこの書物を読んで、正しい言葉の使い方を自覚して欲しいと願うのは私のみではないと考えます。

それでは、この書物の一部を下記に記載しておきます。



書物の題名 日本語の品格
編者    本郷陽二
発行所   株式会社日本文芸社
初版発行  平成19年12月15日
価格    680円(税込)

(原文のまま)

01 「印ばかりのもの」は若い世代にも受け入れられる
(解説)
贈り物を手渡すとき、食品、品物の両方に共通して使える言葉。「印ばかりのもの」も「つまらないもの」も謙遜の気持ちは変わりませんが、「つまらないもの」という否定形の言葉を使うより、若い世代の人にもすんなりと受け入れて貰えるかも知れません。

02 「心づけはチップにまさる」
(解説)
「心づけ」はチップと異なり、裸のままでは渡しません。ポチ袋や懐紙、白い便せんなどを準備しておくと便利ですが、無いときはチリ紙などに包んでもかまわないとされています。

03 「お口汚し」と、へりくだってすすめる
(解説)
「お口汚し」とは、食べ物や飲み物が少量だったり、粗末なことで、客人に料理をすすめるときにへりくだって言う言葉です。

04 「おすそ分け」はお福分け
(解説)
ご近所づきあいが少なくなるとともに減っているのが「おすそ分け」の習慣でしょう。この言葉は、貰ったものや利益の一部を人に分けて与えることを意味しま す。「おすそ分け」は別名「お福分け」とも呼ばれます。自分に与えられた福を独り占めせずに、人に分け与えたり、与えられたりすることです。

05 「不束者」とへりくだれば好感度アップ
(解説)
未熟で行き届かない、たしなみに欠ける、繊細な配慮が足りない、不調法の者などの意味。身内や自分自身のことを謙遜する言葉としてよく使われます。

06 「痛み入る」を使うと相手は満足する
(解説)
「痛み入る」というのは、相手からの親切や行為に対して、自分にはもったいないことです、という恐縮の気持ちが込められた言葉です。

07 「掌中の珠」ほど大切なものはない
(解説)
「掌中の珠」とは、手のひらの中にある宝石。転じて、極めて大切に思う貴重なものという意味です。

08 「琴線に触れる」と表現すると品がいい
(解説)
日本では深い感動を表すときに「琴線に触れる」という言葉を使います。琴線とは琴の糸のことで、それに少しでも触れると、言葉では言い表せないような美し い音色を響かせます。ある物事に触れることによって、心の奥深くにある感動・共鳴しやすい感情が動かされるという美しい表現です。
「社長のお話は、いつうかがっても琴線に触れます」というように表現します。

09 「丹精」は最上の真心を表す
(解説)
「丹精」は、真心の中でも最上の真心で、それが込められた料理や作品などは、作り手の魂を感じるものです。

10 「いずれ菖蒲(アヤメ)か杜若(カキツバタ)」は優雅な表現
(解説)
菖蒲も杜若も初夏に花をつけるアヤメ科の多年草で、紫色の花を咲かせます。花の中心部分からつけ根にかけて黄色い斑点があるのが菖蒲で、花びらの中心に白 い筋が入っているのが杜若です。大変よく似た美しい花です。このことから、どちらも優れていて選ぶのに迷う喩えとして用いられるようになりました。
「甲乙付けがたい」ほど一般的ではありませんが、なんとも優雅な響きの日本語です。

11 「お下がり」はありがたく頂戴する
(解説)
「お下がり」は、目上の人から譲り受けた使用済みの衣服や品物のことで、もともとは神仏の前から下げたお供え物を意味しています。

12 「ひとしお」を書き間違えないように
(解説)
「苦労しただけに、完成した時は感動もひとしおでした」などのように、「より一層」と似た意味があるのが「ひとしお」です。
もともと染物をするときに使われた言葉。染物は、浸す回数を重ねる毎に色合いを増していくものなので、それが転じて「程度が増す」という意味に用いられる用になりました。

13 「名残惜しい」なら余韻が感じられる
(解説)
「名残惜しい」とは、別れを惜しむ気持ちが強く、離れるのが辛いことや、心残りが多くて別れがたいことを言います。

14 「人間万事塞翁が馬」の心で生きたい
(解説)
「人間万事」とは、この世の中すべてです。「塞翁が馬」は、塞に住んでいた老人の馬のことです。つまり「この世のすべてのことは塞翁の馬のように禍福の予想がつかない」というたとえで、これを略して「塞翁が馬」とも言います。

15 「おもはゆい」ような経験はありますか
(解説)
漢字では「面映ゆい」と書き表します。「面」は顔のことで、「映ゆい」は、「映える」の意味から、明るい光に照らされて輝くことです。つまり、相手の顔が眩しく感じて、しっかりと見ることができないという意味です。
「おもはゆい気持ちで舞台に立った」「上司から褒められておもはゆかった」などのように気恥ずかしさを「おもはゆい」に置き換えてみると、どこか奥ゆかしい印象を与えることができます。

16 「そこはかとない」は繊細な心の表れ
(解説)
「そこはかとなく花の香りがする」「そこはかとない心地よさを感じる」などのように使われます。口ではうまく言い表せない繊細な感情や感覚といったものがあります。そんなときに「そこはかとない」を使うと、知性がキラッと光るかもしれません。

17 「やんごとない」は高貴な人に用いる
(解説)
身分などが高い人や、高貴な人に対して用いられる言葉。「止む事ができない」つまり、そのままにしておくわけにいかないという意味です。「あれだけの警備をしているんだから、やんごとないお方なんだろう」というふうに用います。

18 「しどけない」は色っぽいではない
(解説)
もともとは、身なりがきちんとしていなかったり、だらしなかったり、しまりのない様子を表す言葉です。ちょっと服装が乱れているな、と感じて注意を促す時 には「だらしない服装ね」や「服にしまりがないよ」などと言わずに、「今日の服装、少ししどけない感じがするんだけど……」と言えば、やわらかなニュアン スになります。

19 「鉄火肌」はスカッと気持ちがいい
(解説)
その昔、博徒は「鉄火」と呼ばれていました。これは博徒たちが勝負をする際、熱した鉄のようにカッカと熱くなる様子に由来しております。それが転じて、博徒のように威勢がよく、勇敢で気性の激しい人を「鉄火肌」と呼ぶようになりました。

20 「妙齢の女性」とは何歳の人か?
(解説)
正解は、だいたい二十代前半くらいまでの若い女性のことを言います。その理由は、「妙」という漢字の意味にあります。「妙」には、普通と違って不思議であ ると言う意味のほかに、並外れて素晴らしいという意味があります。そのことから、その美しさが最も輝く年頃を「妙齢」と呼ぶわけです。

21 「砂を噛む」って苦しいこと?
(解説)
「砂を噛む」の本来の意味は、味わいや趣がなく無味乾燥に感じること、うんざりさせられる様子のことです。「冷凍食品ばかりが並ぶ食卓は、砂を噛むように 味気ない」とか「君のレポートは飾り立てた言葉ばかりで、読んでいて砂を噛むような思いだった」のように表現するのが正しい使い方です。

22 「昔とった杵柄」は自信があること
(解説)
若い頃に身につけた技能や、以前に十分経験を積んだ事があるので、今でもその技量を発揮する自信があるという意味です。

23 「よんどころない事情」といわれたら詮索しない
(解説)
「大変申し訳ないのですが、よんどころない事情がございまして、今夜のところはお先に失礼させて頂きたいと存じます」のように使います。これは、もともと 「拠(ヨリドコロ)」が変化したもので、そうする以外にどうしょうもない、なんともしょうがない、という意味です。「よんどころない」は漠然としてあい まいな言葉ですが、時と場合によってはなかなか使い勝手のよい言葉です。

24 「うろんな」電話には気をつける
(解説)
真実か否かわからないことや、正体が怪しく疑わしいのを「うろん」といいます。「これからは、うろんな電話は取り次ぎしないでいいよ」というように用います。

25 「奥ゆかしい」に込められた微妙なニュアンス
(解説)
慎み深く上品で、態度や所作に細やかな気配りが感じられ、そんなところに心が引かれて、もっと奥まで見たい、聞きたい、知りたいと思わせることが「奥ゆかしさ」だといいます。単におとなしく目立たないだけでは、「奥ゆかしい」とは言えません。

26 「休らう(ヤスラウ)」なら優雅で知的
(解説)
「休らう」とは、休息する、立ち止まる、しばし滞在するなどの意味。「木陰に休らう小鳥たち」のように使われ、どことなく優雅で知的な雰囲気が漂う言葉です。

27 「渋皮がむける」は洗練されること
(解説)
女性が垢抜けて美しくなったり、洗練されることを「渋皮が向ける」と言います。ここでいう「渋皮」は栗の皮で、それをむくと、中からきれいな実が顔を出すので生まれた言葉です。「彼女も東京で暮らしているうちに、だいぶ渋皮がむけてきたようだね」などのように表現します。

28 「惻隠の情」を忘れないように
(解説)
「惻隠の情」とは、消えつつある日本の言葉の一つにあげられるもので、相手を可哀想に思うこと、弱者に同情することを言います。「惻」には、心について離 れない、「隠」には、相手の身になって寄り添って考えるという意味があります。相手の立場になって考えることは、一般生活だけでなく、仕事をする上でも大 変重要なキーワードなのです。

29 「鼻薬をかがせる」は薬のことではない
(解説)
ここでいう鼻薬とは、「贈り物」とか「心づけ」のことです。「鼻薬をかがせる」「鼻薬をきかせる」というと、ちょっとしたものを贈るという意味なのです。

30 「一言居士」と言われて喜ぶのはおかしい
(解説)
本当の意味は「何事によらず、何か一言いわなければ気のすまない人」なのです。つまり「あの人は、一言居士だから」と言われることは、口うるさくて周囲に煙たがられている証拠です。

31 「猪口才(チョコザイ)」とお猪口とは関係がある?
(解説)
「猪口才」とは、お酒を注ぐお猪口のように、小さくて取るに足らない才能しかないという意味が転じて、生意気なことや生意気な人のことを示す言葉です。

32 「お蚕ぐるみの乳母日傘(オカイコグルミノオンバヒガサ)は大切に育てること
(解説)
最近では滅多に耳にすることがなくなりましたが、「お蚕ぐるみ」も
「乳母日傘」も裕福な家で、子どもが大事に育てられる様子を象徴する言葉です。

33 「逆鱗(ゲキリン)に触れる」の由来は何?
(解説)
この言葉は中国の故事によるもので、ウロコの持ち主は架空の動物「龍」。この龍の喉の下あたりには、一枚だけ逆さに映えているウロコがあります。それが 「逆鱗」です。龍は普段はおとなしいけれど、このウロコに触れられると激しく怒り狂い、ウロコに触れた者を殺してしまうという伝説があります。それから生 まれた言葉が「逆鱗に触れる」というわけです。
「課長のストレートな発言が、部長の逆鱗に触れてしまった」「会社の営業方針を批判して、会長の逆鱗に触れる」などのように、相手の激しい怒りを買うことを「逆鱗に触れる」と表現します。

34 「かまとと」は女性のしたたかさ?
(解説)
ほとんどの場合、女性に用いられる言葉で、分かっているのにわからない振りをして、上品そうに見せかけたり、うぶを装ったりする人のことです。
今の言葉に置き換えれば、「ぶりっ子」にあたるのが「かまとと」なのです。

35 「灰汁(アク)が抜ける」と魅力的になる
(解説)
「灰汁(アク)が抜ける」とは、人の性質や容姿、趣味などに、嫌みやあくどさがなくなり、さっぱりと洗練されたものになるという慣用句です。

36 「六日の菖蒲(ムイカノアヤメ)」は無用のたとえ
(解説)
「六日の菖蒲」とは、時機が遅れて何の役にも立たないという意味の慣用句です。それは、菖蒲は端午の節句である五月五日に使うもので、翌日の六日は時機に遅れて役に立たないことから生まれた喩えなのです。

(了)

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● 451 書物「日本のリーダー名語録」について
14 Feb (Sat) 01:20 
From:岡田 次昭 南高 11期  

今回は、書物「日本のリーダー名語録」を皆さんに紹介します。
著者は武田鏡村(タケダ キョウソン)氏です。彼はTBSブリタニカ全15巻を初め70冊以上の書物からこの名言を集めております。
「はじめに」のところで彼は『この書物は、近代日本の夜明け、明治・大正、昭和戦前、昭和戦後に分けて、日本の指導者となる方たちの「名語録」を纏めたも のである。その特徴は、指導者が語った言葉、それ自体が時代を作る力となるものであるが、その言葉が語られた状況の一点に凝縮して、その人物が目指し求め ようとしたところをとくに集中的に描いたものである。さらに現代に生きる私たち自身の羅針盤として、先人の示した教えを学んでほしいという目的もある。現 在の日本人がかかえる問題を前提にしながら、日本のリーダーが示した「名語」をできるだけ分かり易く解説し、現代という時代を生きるための糧、時代を読み 取る羅針盤となるように構成したものである。』と述べています。

なお、今回は、江戸時代から明治時代にかけて活躍した偉人の言葉のみを掲載することにします。



書物   日本のリーダー名言録
著者   武田鏡村
発行所  PHP研究所
初版発行 2007年4月9日
価格   1,155円(税込)

(原文のまま)

01 私事、土中の死骨にて偲ぶべからざる儀を忍びまかりあり候次第……、
天地に恥ずかしき儀の御座候えども、今更になり候ては、皇国の為にしばらく生をむさぼり居り候。
(西郷隆盛 1827〜1877)
(現代語訳)
私は一旦死んだ人間であり、土の中の死骨にひとしく、その恥を忍んでいる身だが、今しばらくは皇国のために命を長らえているのだ。
(解説)
勝海舟は「俺は、いままでに天下で恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南州だ。」と熊本藩士で改革を推進した横井小楠とともに称えている。また坂本龍馬は「少しくたたけば少しく響き、大きく叩けば大きく響く」とその人物の大きさを語っている。

02 おれなどは生来人がわるいから、ちゃんと世間の相場を踏んでいるよ。上がった相場も、いつか下がるときがあるし、下がった相場もいつかは上がるときがある ものさ。その上がり下がりの時間も、長くて十年はかからないよ。それだから、自分の相場が下がったとみたら、じっとかがんでおれば、また上がってくるもの だ。
(勝海舟 1823〜1899)
(解説)
浮き沈みのある人生において、含蓄のある言葉です。彼が76歳の晩年に語った語録は「氷川清話」に収められています。この年の春、長く朝敵とされていた徳 川慶喜が始めて宮中で明治天皇と皇后に拝謁して、長年の汚名を晴らしました。江戸城の無血開城から31年、逆賊と呼ばれていた慶喜の名誉が回復されたので す。海舟は慶喜を復権させるために苦労して、ようやくその願いが叶ったのでした。

03 士農工商の間に少しも区別を立てず、固より(モトヨリ)門閥を論ずることなく、朝廷の位をもって人を軽蔑せず、上下貴賤各々その所を得て、ごうも他人の自由を妨げずして、天稟(テンビン)の才力を伸べしむるを趣旨とす。
(福沢諭吉 1834〜1901)
(解説)
彼はまだ幕府が崩壊していない慶応二年(1866年)「西洋事情」にはっきりと人間の平等と能力による自由性を高らかに説いています。彼は、心底から封建制による身分の差別を嫌った人でした。封建制度そのものを親の敵と思っていたからであります。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」という名言はあまねく人口に膾炙しております。

04 君等は我より何を期待せんとする者ぞ。終日、国務に鞅掌(オウショウ)し、頭がクラクラする時、晩酌を傾くるに、制服着用の給侍よりも、無邪気にして綺麗なる芸妓の手の方がなんぼう慰めになるか知れぬ。
(伊藤博文 1841〜1909)
(現代語訳)
君たちは私に道徳的な何かを期待しようとしているのか。一日中、国務に忙しく働いて、頭が疲れているとき晩酌するに際して、制服を着た官吏のお酌より、無邪気で綺麗な芸妓のお酌の方が、どれほど慰労されるか知れぬ。
(解説)
足軽という低い身分の家に生まれて、明治18年に45歳で初代の内閣総理大臣になったのが伊藤博文です。その出世振りは「太閤」といわれた豊臣秀吉と比較 されました。第二次世界大戦後、総理大臣になって「今太閤」と言われた田中角栄も伊藤博文と同じお酒好きで好色家という異名を頂戴しております。

05 それ自由なるものは天地の大道にして、人は之によって生じ、国は之によって立つ。人にして自由なきは、もってその性(サガ)を全うするあたわず。国にして自由なきは、もってその治安を保つあたわざるなり。
(板垣退助 1873〜1919)
(現代語訳)
自由とは天地自然の普遍的な原理であり、人は自由によって生まれ、国はそれによって存立するものである。自由がなければ、人は人生を完遂することは出来ず、国は国家を維持することができないものである。
(解説)
「板垣死すとも自由は死せず」と、岐阜で暴漢に刺されたときに発したとされる言葉は、自由民権論者である板垣退助の面目躍如たるものがあります。彼は、中 国古代の兵法書「孫子」を暗唱していた根っからの兵法家であり、自分の娘に「兵」と「軍」という名前をつけていたことはあまり知られておりません。そり実 力は、日本陸軍の総帥として君臨した山県有朋をして「軍人の道を選べば、元帥になる器(ウツワ)だ」と言わせました。

06 多くの人々が名園を見たいと殺到したとき、急に扉を開いたら、先を争って乱入する。だが人々が群衆にならない前に扉を開いて迎えれば、混乱することはない。国会を開きたいと切望するのは、世論に先立って扉を開いて群衆を誘導することと同じであるのだ。
(大隈重信 1838〜1922)
(注)原文は難しい漢字が多数ありましたので、現代語訳のみにしました。
(解説)
国会開設を主張した政府の重鎮の言葉です。「個人としては幾多の失敗を重ねたが、しかし恐縮はせぬ。失敗はわが師なり。失敗はわが大なる進歩の一部なり」これは人生を振り返ったときの大隈の述懐です。
明治15年、彼は早稲田大学の前身となる東京専門学校を創立して、有為な青年の育成に乗り出しました。不屈と明るさが彼の真骨頂であったといえます。

07 自信は成事の秘訣であるが、空想は敗事の源泉である。故に事業は必成を期し得るものを選び、一旦始めたならば百難に撓まず(タワマズ)勇往邁進して、必ずこれを大成しなければならぬ。
(岩崎弥太郎 1834〜1885)
(現代語訳)
自信は成功する秘訣となるが、現実を無視した勝手な空想は負ける原因となるものである。事業は必ず成功すると考えられるものを選んで、一度始めたならば、押し寄せてくる難問題にも屈せずに勇気をもって前進して、必ず成功しなければならないのだ。
(解説)
土佐の国に生まれ。藩の出先機関土佐商会などで才覚を発揮し、藩船の払い下げを受けて三菱商会を設立。彼は、政府の保護を受けて海運界に君臨し、各種の事業を拡大して、三菱財閥の基礎を築きました。
彼は、一旦始めたならば百難に屈せず、勇猛心をもって邁進して、必ず大成しなければならない、という信念を貫いた人でした。この信念は現代の若い人には、是非とも学んでほしいものであります。

07 人より少なく苦労して、人より多くの利益を得んとするは、所詮薄志弱行の所為たり。此の念一回萌起(ホウキ)すれば、必ず生涯不愉快の境遇に陥るべし。
(陸奥宗光 1844〜1897)
(現代語訳)
人よりできるだけ少なく苦労して、人より多くの利益を得ようとするのは、意志が薄弱で物事を断行する力に欠けるからである。もし、そうした心が芽生えたならば、必ず生涯は不平不満な生活をおくるしかないのだ。
(解説)
紀州藩藩士の子として生まれる。彼は、坂本龍馬がつくった海援隊に入りました。小生意気で同志からは嫌われたといいます。しかし、龍馬は陸奥の能力を認めて、「二本指さなくても食っていけるのは、俺と陸奥だけだ」と評しました。
彼は、第二次伊藤内閣の時に外務大臣を務めました。

08 返し得ぬ借金をなすは以ての外だが、返し得る借金を手の届く限り借入れて、力一杯に之を働かせるのが商家の道である。借入金は決して忌むべきものではない。
(安田善次郎 1838〜1921)
(現代語訳)
返済するあてのない借金をするのは愚かであるが、返す力があるのなら、手の届く限り借金をして、これを精一杯に活用すべきである。借金が出来ないようであれば、とても大事を成し遂げることはできない。
(解説)
富山県生まれ。彼は江戸に出て両替商を開業し、幕末維新の混乱期には太政官札を買い占めて巨利を得ます。安田銀行を設立し、保善社を中核とする安田財閥を作り上げました。

09 商業と道徳とは、油と水の如く相和せぬように思うのは誤りである。如何に知識が発達し、富が増進しても、道徳を欠いては、決して世の中に立って、大いに力を伸ばすことは出来ない。
(渋沢栄一 1840〜1931)
(現代語訳)
主にお金を稼ぐことを目的とする商業と、人の生きる道を説く道徳とは、まったく相反するものであると思うのは間違いである。どんなに知識が深まり、財産が増えたとしても、道徳を無視していては、決して社会の中では存分な力を伸ばすことは出来ない。
(解説)
江戸末期から明治、大正、そして昭和の初期までの四つの時代を生きた彼は、その生涯に五百余の会社を設立し、或いは相談役として関与した実業家の先駆者であります。

10 百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門に対抗し得る。
(東郷平八郎 1847〜1934)
(現代語訳)
兵器に格差があるときには、百発百中の大砲一門だけで、百門を持っているが一発しか当たらない大砲群と互角に戦うことが出来る。
(解説)
薩摩藩出身。戊辰戦争に従軍後、海軍士官となり、イギリスに留学。日露戦争では連合艦隊司令長官として海軍を指揮し、日本海海戦ではロシアのバルチック艦隊に大勝しました。
彼は、日本海軍の英雄であると同時に、イギリス海軍のネルソン提督と共に世界的な名将とされています。
彼が、ロシア艦隊との戦いで得た教訓は、物量的には劣勢であったとしても、訓練に次ぐ訓練を重ねれば勝利することができるというものでした。それを的確に 表したのが上記の言葉です。この名言は、日本海軍の金科玉条となり「月月火水木金金」の猛訓練と不抜の精神力とが、他国の軍事力と比べて劣勢な日本海軍が 対抗しうる唯一の拠(ヨリドコロ)とされるようになっていきました。

11 うつし世を 神さりましゝ大君の みあとしたひて 我はゆくなり
(乃木希典 1849〜1912)
(現代語訳)
この世からかけがえのない尊い神がお隠れになってしまいました。我が神であられる明治大帝の御威徳をお慕い申し上げて、私もお供いたします。
(解説)
萩藩出身。西南戦争に出征、その際、軍旗を失います。日露戦争では第三軍司令官として旅順を攻撃し、多大な戦死者を出した末にこれを陥落しました。
明治45年7月30日、明治天皇が61歳で崩御されました。9月13日に行われた御大葬の日、彼は早朝、夫人の靜子とともに参内して明治天皇にお別れを告げた後、昼近くまで宮中にとどまって参内してくる文武官たちにそれとなく暇乞い(イトマゴイ)をしました。
午後8時、霊轜(レイジュ)の御発引(ゴハツイン)を告げる号砲が響き渡りました。御霊を乗せた車が出門される合図です。乃木夫婦は正座して、明治大帝の御真影に平伏したのち、二人は自害しました。乃木大将63歳、妻靜子は53歳でした。
冒頭の歌は乃木大将の辞世の句ですが、もう一つあります。

神あかりあかりましぬる大君の
みあとははるかにおろかみまつる

妻の靜子の辞世の句は次の通りです。

出てましてかへります日のなしときく
けふの御幸に合ふぞかなしき

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● 450 曽野綾子著「人生の後半をひとりで生きる言葉」について
11 Feb (Wed) 11:53 
From:岡田 次昭 南高 11期  

曽野綾子さんの推定年齢は、七十代半ばです。視力が徐々に衰えていく中で、彼女は様々な書物からすばらしい言葉を集めて、今般「人生の後半をひとりで生きる言葉」を世に出しました。
まえがきで彼女は次のように語っております。
「健康に年老いるということは、体の能力が悪くなった後の時間が短くて済むことを意味します。今、私に分かっていることは、自分の早い死を瞬間的に願うこ とはあるかもしれないけれども、自殺してはいけないということです。人間は生き方において自分の行動に責任を取り、常に自分自身の人生の主人でいなければ ならないのはほんとうですが、寿命は天命に任さねばならないということです。あらゆる動物はそのように生きているのだし、人間もまた動物としての運命に生 きている。人間だけが特別でいいということもありません。」
この書物は、人生の後半において心すべきことを主題としております。
ここに記載した全ての言葉は、今後の人生に大いなる教訓を読む人に与えるものと、私は考えます。すばらしい箴言であると言っても過言ではありません。

下記に例を示しておきます。

この言葉は、ほとんどの男性を痛烈に風刺しております。
「かつて自分は社会的に偉い地位にいたのだから、掃除機を掛けたり、冷蔵庫や物置の中に何があるかなどというくだらないことを考えられるか、と思うこと が、恐らく惚けの始まりだろう。そうした仕事は、女性たちの領域だと考えているのなら、彼らはひどい女性差別主義者である。」
この言葉は、身に沁みます。
「私たちの未来はほんとうにすべてにおいて、一瞬先の保証もない。その中で、たった一つ確実なことがある。それが死なのである。感動的なくらい不思議なことだが、何一つ確実でないこの世で、死ぬということだけが確実である。」
また、最後に記載した言葉は、蓋し(ケダシ)名言です。
「考えてみれば、人生は全て過程である。これで完成ということもなけ
れば、これで失敗ということもない。」



(原文のまま)

01 人生の半分を生きて、これから後半にさしかかると思うと、好きでないことには、もう関わっていたくない、とつくづく思う。それは善悪とも道徳とも、まった く別の思いであった。一分でも一時間でも、きれいなこと、感動できること、尊敬と驚きをもって見られること、そして何よりも好きなことに関わっていたい。 人を、恐れたり、醜いと感じたり、時には蔑みたくなるような思いで、自分の人生を使いたくない。この嵐の中にいるように、いつも素直に、しなやかに、時間 の経過の中に、深く怨むことなく、生きて行きたい。
(燃えさかる薪)

02 人間はどんなに一人ずつか、ということを、若いうちは考えないものである。身のまわりには活気のある仲間がいっぱいいる。死ぬ人よりも、生まれる話しの方 が多い。しかし、どんな仲のよい友人であろうと、長年連れ添った夫婦であろうと、死ぬ時は一人なのである。このことを思うと、私は慄然とする。
(あとは野となれ)

03 思えばやはり、孤独というのは、青春の言葉ではなかった。老年の孤独には、歯が浮くような軽薄さがない。それはしっとりと落ち着いている。
(晩年の美学を求めて)

04 真実をじっくりと見る時、人は自分だけでなく、世間にも同じようないびつな人生があることを知って気が楽になり、開放された気分になる。自分一人が不幸なのだ、と思い込むことがなくて、自分も皆の中の一人だと思えるのである。
(至福の境地)

05 人は孤独な時間を持たない限り、自分を発見しない。人は二つの場面で自分を見つけるのである。群れの中にいる時と、自分一人になる時とである。
人中にいる時も、辛いことがある。自分が何気なく言った言葉で相手を傷つけてしまったのではないかと思う時や、自分の能力や配慮のなさが相手との対比の中で際立って見える時である。
そういう時には、自分一人になりたいと思う。一人なら、相手を傷つけないし、比べられることもないし、バカ丸出しのような失敗もしなくて済む。
(晩年の美学を求めて)

06 一人で遊べる習慣を作ることである。年をとると、友人も一人一人減っていく。いても、どこか悪くなったりして、共に遊べる人は減ってしまう。誰はいなくても、ある日、見知らぬ町を一人で見に行くような孤独に強い人間になっていなければならない。
(完本 戒老録)

07 自立とは、その人が生きている社会形態の中で、ともかくも――よろよろでもいいから――他人に依存しないで生きることである。少なくともこれは、もはや子どもではない、と言われる年ではなくなっている人すべてに課せられた任務である。
(晩年の美学を求めて)

08 この世には、たまたま健康な人といま病んでいる人とがいてこそまっとうなのだということが分かる。
(永遠の前の一瞬)

09 病気と健康とは、こみで一つの人生なのであり、その二つは決して対立せずむしろ全体としての完成のために支え合うべきことが納得される。そして全ての人にとって、生と死はなだらかな一本の道として、坦々と続いている姿が見えるのである。
(永遠の前の一瞬)

10 人は与えるからこそ、大人になり、老いぼれではなく青年であり続けのである。
(晩年の美学を求めて)

11 人生の最後に、せめて人間は自分自身の時間の使い方の主人になるのが自然だ。
(至福の境地)

12 ほんとうに自分を理解してくれるなどということは、人間的にも物理的にも不可能なことだ、と最初から思い諦め、自分で自分を保ち、自分で自分を教育する癖と強さをつけた方がいいと思う。
(自分の顔、相手の顔)

13 とにかく誰でも自分の好きなテンポで暮らせばいいのだ。
(狸の幸福)

14 人間は一人で生まれて来て、一人で死ぬ。
(あとは野となれ)

15 若い方がいい、と人は誰でも言うし、それはもちろん単純な真実だ。
若い人は美しく活力に満ちている。しかし複雑な真実はそうでもない。私たちは、私たちが立っている現在の地点と時点を愛し、それをいとおしみ、それを貴重に思って生きる他はないのである。
(完本 戒老録)

16 年をうまくとるという作業は、年をとってから始めたのでは遅いのではないかと私は思うようになった。子供の時に大人になる準備をするように、老人になるた めに人間はもしかすると中年から、多少学ばねばならないのではないか。もっとも、準備したからといって、決して、「備えあれば憂いなし」ということにはな らない。
(完本 戒老録)

17 人は何歳になっても自分を鍛え続けて当然だろう。遊びもするが、辛いことも少しは忍び、遊びと働きのバランスをとった生活をする。老人になって引退した後は、遊びだけになる、と考えることが間違った考え方だと私は思っている。
(狸の幸福)

18 十月近くになると、誰かが時々「え?もう十月? 早いわねえ。一年はあっという間だわ」と言う。四十代になると、誕生日を祝ってもらって嬉しいなどという気分にならない人もいる。しかし私はよく思うの だ。もし時間が早く経たないという感じになる時があるとしたら、それはたぶん不幸な時なのだ、と。
(社長の顔が見たい)

19 夫婦の一人が欠けると困るのは、話す相手がいないことだ。いや話し相手だけなら、誰かに通って来てもらっても済むことかもしれない。しかし夫婦というもの は、他に便利な点があった。それは心おきなく他人の秘密や自分の醜態をさらしても、それが外に洩れる心配がないことだったのである。
(晩年の美学を求めて)

20 つまり晩年を一人で過ごす淋しさは、気を許した会話の可能性を閉ざされたということなのだ。もう喋る相手はいなくなった。語る時は独り言になったのだ。私は今までずっと、そういう日が来たら、ということに備えていたところがある。
(晩年の美学を求めて)

21 「あそこは今まで何をするにも夫婦一緒だったけど、どうせどちらかが独り残るんだから、それぞれが独り遊びができなきゃいけない、ってご主人がおっしゃるんだって」
つまり意識的に夫婦が一人で遊ぶ練習を始めたというのである。初めは独りで喫茶店に入ることもぎこちなかったが、しだいに馴れて、知らない人とも口をきく ようになった。ホームに帰ると、それぞれがその日に体験したことをお互いに報告する。それが人生を倍に生きていることだと思えるようにさえなった。
(近ごろ好きな言葉)

22 私は友人によって、私の生涯をこの上なくおもしろいものにしてもらった。そのことに対して、私は死ぬまで一度も感謝することもないだろうけれど、心の中では、いつも深い幸福にみたされていることを忘れたことはない。
(悲しくて明るい場所)

23 親たちの長寿を祝う、という気持ちが、家族にあるのは当然である。
しかし六十をすぎたら、その人は、いいところは既に生きたのだ。七十を過ぎたら、もっと余分にいいところは生きたのだ。だから、その後どれだけ長く生きたかということは、たいした問題ではない、と私は思う。
(狸の幸福)

24 七十に近い友人は、まだ活動的だが、十分に親孝行をして、思い残しはない。親子が親子としての関係を味わい尽くして、順を追って立ち去っていく。その典型であった。
(二十三階の夜)

25 時間というものは偉大なものだ。一日、一週間、一年が経つごとに、心の苦しみは少しづつ過酷でなくなって行く。
(悲しくて明るい場所)

26 生きている間に、ものを減らさなければならない、と私は思う。
(狸の幸福)

27 人間の身体は一定の量しか、食べ物を必要としない。しかも年をとるほど、量は要らなくなる。人間は長寿になればなるほど、理性的に食料を適切に減らして行 くことを覚えなければなないのである。食べ物だけではない。人間にはすべて必要とされる「物資」の限界がある。一日に食べる食物の量、家の広さ、適切な衣 服の枚数など、お金持ちであろうと貧乏な人であろうと、ほんとうは違いはないのである。
(悲しくて明るい場所)

28 年をとってきてから、私は奇妙な趣味を持つようになった。
私は十分に強欲で物資的なのだが、自分に必要で適切な量だけ、端正にあることが最も美しく見えるようになったのである。押し入れや箪笥などには、長年の愛用品が入っているのだが、要らないものは整理して空間が残っているようにしたい、と思ったのである。
(社長の顔が見たい)

29 老年は単にものを捨てるだけでなく、一つ、一つ、できないことを諦め、捨てて行く時代だ。しかし諦めとか決別とか禁欲とかいう行為は、人間にとってすばらしく高度な精神の課題である。
老年にはすることがないのではない。そういう執着や俗念と闘って、人間の運命を静かに受容することは、理性とも勇気とも密接な関係にあるこういであるはずだ。
(安逸と危険の魅力)

30 老齢になったら、自然に身を引かなければならない。それとなく、皆様のお目に触れる機会を少なくして行くのが、死の準備として必要と思う。それは若い人を できるだけ立てる、という基本精神とも通じる。それは決して自分の好きなことを全く断ったり、不当な遠慮をしたりすることではない。旅行でも、花作りで も、囲碁・将棋でも、できる範囲の個人の資力・体力でやれることには、なんら差し障りはないのである。
(狸の幸福)

31 年を取って醜いと思うことは、自己過信型になるか、自己過保護型になるか、どちらかに傾きがちになることである。別の言い方をすると、自分はまだやれる、 と思い過ぎるか、自分は労って(イタワッテ)もらって当然、とおもうか、どちらかに偏ることである。これは、二つとも同じ神経の構造によるのではないか、 と思う。
(狸の幸福)

32 物忘れも、足腰の不自由さも、すべて自然そのものである。堂々と忘れ堂々と不自由にふるまえばいいのである。
(完本 戒老録)

33 やはり年を取って身体の衰えを感じる頃から、勤勉とか、向上心とかに
対する一種の「おかしさ」も「おろかしさ」も(そしてもちろん「けなげさ」も改めて)わかってくるのである。
(中年以降)

34 長い生涯を振り返ってみて、私は幸福な人というのは誰のことを思い出すだろう、と思うのである。どこのうちにも不幸があり、誰も重荷をしょっている。それのない人などいない。
(悲しくて明るい場所)

35 死を受容するには、年老いることや病み惚けることが必要なのだ。
生きることがかったるくなったり、生きていても半分眠っている状態になる。その過程が大切だ。「幽明界を異にする」というが、幽明界のぼやける境地が死のためにはいいのである。
(至福の境地)

36 長い年月時間に縛られて暮らしてきた生活に存分に「復讐」して死ぬのはなかなか乙なものだ。しかもこの復讐は陰湿ではなく、笑いがあることがすばらしい。
(至福の境地)

37 しかし定年は突発的にやってくるものではない。地震とか、今まで聞いたこともなかった毒物を撒かれたとか、隕石が落ちた、とかいうものではない。死と定年はかならずやってくるものだ。だからそれで生活が破壊されると思うのは、つまり当人の準備が悪いのである。
(至福の境地)

38 定年後も会社にしがみつくような策のないことは、その人の生涯にかけてはずかしいことだろう。
(日本財団9年半の日々)

39 人間はもともと何も持たず、病気になれば、弱いもので、物資と同様古びていくものなのである。それで私たちは少し手入れする。醜い姿を衣服で隠し、古びた ものは経済の許す範囲で時々新しいものに取り替えて気分を入れ替え、命令系統を示すために、部長の机は課長の机より少し高級なものにしたりする。
(自分の顔、相手の顔)

40 かつて自分は社会的に偉い地位にいたのだから、掃除機を掛けたり、冷蔵庫や物置の中に何があるかなどというくだらないことを考えられるか、と思うことが、 恐らく惚けの始まりだろう。そうした仕事は、女性たちの領域だと考えているのなら、彼らはひどい女性差別主義者である。
(晩年の美学を求めて)

41 ほんとうは、定年後は自由人になれたはずである。勤めに出る必要もない。気の合わない上役の心理を斟酌する必要もなくなった。しかし現実には、自由人どこ ろか不自由人になった人も多い。自分のしたいことが分からない。本も読まない。生活に必要な仕事の内容や手順も知らない。自分に身の回りの家事が一切でき ない。心がけ一つなのだ。おもしろがれば、すべてできる。すべて自分が主体となり、その分だけ自由になる。
人が自分にしてくれることを期待せず、自分が人に尽くしてやることが、大人の目的だったのではないか。老人でも、病気で死を間近に迎えようとしている壮年でも、その原則にはいささかの変化もないはずである。
(晩年の美学を求めて)

42 余人をもって代え難し、という人がまったくいないとは言いませんが、だらだらといつまでも同じ人が同じ役職にいるのは、やはり労害と言われるものが出てくる。どうしても、組織が硬直します。
(日本財団9年半の日々)

43 もらうこと、くれることを納得するようになったら、もう終わりだ、と私はひそかに考えている。なぜなら、もらうこと、くれることを期待する限り、人間は永遠に満たされない。しかし、僅かでも他人に与えることができれば、その瞬間に人間は充足するのである。
(『辛うじて「私」である日々』)

44 人間にとって最も残酷なことは「お前はもういらない」と言われることだ。誰でも病気になり、誰でも年を取るのに、それで差別されるし、自分から差別する人もいる。健康な年寄りなのに「私は年だからもう働けない」とか「労ってもらって当然」とか、思うことである。
自由な心というのは、現状を直視できるはずである。高齢でも他人のために働けたら光栄なのに、そうしない年寄りがかなりいる。年齢で他人と自分を無力な者だと規定して考えてしまうのである。
(幸福の境地)

45 私は働くことを、働かされる、と受け身で感じる老人にだけにはなりたくない。死ぬ日まで老人としてお役に立てる健康を望み、それが可能になる社会を逆に 作って欲しいと願っている。私は幾つになっても人生を能動形でとらえ、他人のために最後の働きをさせていただくことを光栄と思いたいのである。それが私に とっての幸福の形だからだ。
(狸の幸福)

46 突然、老年や晩年になるのではない。長い年月の末に、人間はそこに到達するのだ。だとすれば、そうなる前に、人は種を蒔いておかねばならないのではない か。死の前に、自分はどのような所、どのような風景の中で生きるつもりだったのか。自分で決めておくのが自然である。
(晩年の美学を求めて)

47 病気とか恋とかいうものは、価値観を少し変えるきっかけにすることが多いですね。それは、悪く変えることもあるかもしれない。
つまり、病気になってもうまったく希望がないと思って、病院の何階からか飛び降りる人がいるとすれば、それは悪いほうに解釈したんだけれども、病気が人生を発見させてくれて、謙虚になって帰って来た人は実に多い。
(人はみな愛を語る)

48 病気や苦しみが、人間をふくよかなものにするというケースはよくあるのだが、それはその時今まで自信に満ちていた人も、信じられないほど謙虚になるからで ある。そして謙虚さというものは、その人が健康と順境を与えられた時には身につけることがなかなかむずかしい、かぐわしいものなのである。
(夜明けの新聞の匂い)

49 私は、病気になった時、介抱してもらう人のいる生活を考えてみました。
私は、家に帰れば、息子はいるのですが、彼の生活の中に割り込む気はありませんでした。すると、一人で病み、一人で死ぬということになりましょう。私はそ れをあわれに感じるのはやめにしようと思いました。どんなに騒がれたって、死ぬ時は死ぬのですし、動物は、カモシカだって、キリンだって、多分一人、いや 一匹で病み、一匹で死ぬのです。
(至福の境地)

50 もちろん年を取れば、若い時は健脚だった人も歩けなくなり、記憶していたものもわからなくなる。しかしその人となりに「私」は、私らしい精神の反応を十分 に示す個体であるはずだ。ただ無意識に呼吸を続けているだけが生きることであり、それを何とかして継続する人権だ、などと、少なくとも私の場合は全く思え ないのだ。肉体の生、と、精神の生、は別ものとして存在している。
(部族虐殺)

51 病気が治りにくくなるということは、死に向いていることだ。それは悲しい残酷なことかもしれないが、誰の上にも一様に見舞う公平な運命である。しかしその 時初めて人間はわかるのだ。歩けることは何とすばらしいか。自分で食べ、排泄できるというのは、何と偉大なことか。更にまだ頭がしっかりしていて多少哲学 的なことも考えられるというのは、もしかすると、一億円の宝籤を当てたのにも匹敵する僥倖なのかもしれない。
(中年以降)

52 老人や病人の長い看病は、ほとんど世間から感謝や褒められることがないまま、もしかすると十年も二十年も続くのである。それはただ、神だけが目に留め、神だけが喜ばれるのである。
(部族虐殺)

53 言い訳をするわけではないが、私は自分のを含めて誕生日だの命日だのに実に関心がない。その人の生きていたこと、亡くなったこと、言ったこと、易しかった こと、憎らしかったこと、すべて大切に記憶しているが、それが何年の何月何日だったなんて、どうでもいいことだ、という感じが抜けないのである。
(自分の顔、相手の顔)

54 高齢である、ということは、若年である、というのと同じ一つの状態を示すに過ぎない。それは悪でもなく、善でもない。資格でもなく、功績でもない。
(狸の幸福)

55 老人になると、いや老人でなく中年後期でも、健康保持を最大の仕事にしている人は昨今どこにでもいる。健康に傍迷惑でないという点ですばらしいのだ。しかしできれば片手間でそれができたらもっと粋なのである。
(一枚の写真)

56 しかし、「適当」ということは一種の至芸である。なかなか思い通りにならないのだが、それも人生と思うこともできるようになった。
(社長の顔が見たい)

57 人間は、死ぬまでに、いくら年を取っていても、死の前日まで、いつでも生き直すことができる。
(心に迫るパウロの言葉)

58 なぜ万物は老い、死ぬのに、朝も風も永遠に新鮮なのか。
(時の止まった赤ん坊)

59 老人といえども、強く生きなければならない。歯を食い縛っても、自分のことは自分ですることが原則である。それは別に特に虐待されていることでもなけれ ば、惨めなことでもない。それは人間誰にも与えられた共通の運命である。自分で自分のことをするようにしなさい、というのは、当然過ぎるほど当然のことで あろう。
(狸の幸福)

60 しかし、肉体の老化とは別に、精神の分野は、五十代、六十代のほうが、三十代、四十代よりあきらかに複雑になっている。五十代がおもしろいなら、六十代は もっとそうであろうし、ぼけずに七十代に入れたら、さらにおもしろくなるだろう。そういう恵まれた人たちは八十代、九十代にもみごとに生きられるというこ とに、挑戦してみたくなって当然である。
(完本 戒老録)

61 老後のことを熟年という言葉で表現する言い方があるが、私は自分には似つかわしくない、と思っている。なぜなら私はかつて熟した人間であったことがないし、これからも熟さぬままに干からびるに違いないと思っているからである。
私が好きな言葉は「晩年」である。晩年は何歳でもあり得るし、ある詩的な静けさと優雅さを感じさせる。
(完本 戒老録)

62 晩年の良さはむしろ、もうどんなにひどい世の中になっても、それほど長くいなくて済む、ということなのだ。
(晩年の美学を求めて)

63 晩年に入って、先が見えるということは、失って困るものが次第に少なくなって来たということなのだ。命、金、地位、名誉、知能。他に何があるのか私にはわ からないし、もちろんそのどれを失うよりは持っていた方が多分いいだろうとは思う。もういつ死んでもいい、と言っている人ほど、再起不能の病名を告げられ るとがっくりするというから、私はそういう強がりだけは言わないようにしている。
(晩年の美学を求めて)

64 老年や致命的な病で死を視野にいれねばならなくなった時の人間には、一つの大きな任務がある。それは内心どうあろうとも、できるだけ残された時間を明るく 過ごす、という使命である。その理由は簡単だ、第一には、周囲の人を不愉快にさせないためだし、第二には生き残る人々に病気はそれほど決定的な不幸ではな い、ということを身をもって証明するためである。
(晩年の美学を求めて)

65 私は自分の顔を見るのが厭になったし、身体にある程度気をつけていなければすぐ老化しそうなことにうんざりしている。しかし驚くべきことに、青春さえもほ んとうに理解できるのは、晩年になってからだということを、私はこの年になって知ったのである。今にして青春の陰影の一切を鮮やかに思い浮かべることの何 という豪華さよ、という感じである。
(完本 戒老録)

66 人間は最後まで不完全である。それでいいのだろう。自分が完全だと思っている人なんて、恐ろしくて付き合う気にもならない。しかし、自信がないままに生涯を終わるということはほんとうに自然である。私はその人並みな自由を享受して、感謝して死にたいのである。
(完本 戒老録)

67 私たちの未来はほんとうにすべてにおいて、一瞬先の保証もない。その中で、たった一つ確実なことがある。それが死なのである。感動的なくらい不思議なことだが、何一つ確実でないこの世で、死ぬということだけが確実である。
(流行としての世紀末)

68 人間同士は生きている時に憎しみを持つことはあっても、死はすばらしい休戦だ。
(至福の境地)

69 一人の人間が、その最後近くに何を考えていたかを確かめて何になるのだろう。誰もが、何かを思いつつ死ぬのだ。思ったのは、何も彼一人ではない。
(地を潤すもの)

70 地球上の人間の数だけ、そこには、思い残した死がある。
(地を潤すもの)

71 死を自分で納得して、自分の支配の許に置けるということを、人間らしい尊厳があるものとも思えなくはなかったのです。日本人のように、自分の死が近づいているのに、それをもしかすると知らせてもらえないというのは、何という貧しいことか、と私は密かに考えています。
もちろん、死を予告されることは辛い。しかし、とんなに辛かろうと、それは、自分の運命なのですから、我々は知らねばならない。それを避けるということは、人間の死を放棄して、動物の死に方をすることです。その人の運命を当人に告げないということは、重大な犯罪です。
(時の止まった赤ん坊)

72 私にとって人間の死の最もきれいな姿は、風のようにあとかたもなく消えることで、死後の名声を願う気持ちが私にはまったくわからない。
(完本 戒老録)

73 どこで死んでも同じである。故郷で死ねば何かいいことがあるというわけではない。地球は丸くつながっている。
(完本 戒老録)

74 老いも死も願わしいことではないが、すべて願わしくないことを越えるには、それから、逃げていては決して解決がつかない。解決は正視することから始まるのである。
(完本 戒老録)

75 人間は死ぬ時、ただ一言「ゴメンナサイ」と言って別れをつげたらいいのだろう、と思う。
(ほどほどの効用)

76 しかし生の充実感というものは、人にとって実に大切なものなのだ。それがないと、人間は生きていてもどこかに不満を残しているし、死んでも死にきれないような気分になる。
(自分の顔、相手の顔)

77 私は過程に生きている。だから過程に死ぬだろう。過程に学び、過程に愛し、過程に見苦しく振る舞うのが、人間の生きる自然の姿なのだと思う。
(完本 戒老録)

78 人間は決して自分の運命を支配もできなければ、完全にその主にもなれないものだ。与えられた運命には、意味があることは確かだ。そしてその意味を見つければ、かつてなかったほどの明確な「生きる意味」を発見するのも確かだ。
(生きるための闘い)

79 考えてみれば、人生は全て過程である。これで完成ということもなければ、これで失敗ということもない。
(完本 戒老録)

(了)     文字数 11,291字

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● 449 書物「語り継ぎたい東洋の名言88」について
11 Feb (Wed) 11:39 
From:岡田 次昭 南高 11期  

今回は、書物「語り継ぎたい東洋の名言88」を紹介します。
この編者であるハイブロー武蔵氏は「まえがき」において、次のように述べています。
「言葉は不思議です。そして言葉は財産です。また言葉は私たちの心と力の源泉です。その言葉を使って、文章が作られ、文化も形成されていきます。この中か ら私たちの心の中に響き、大切な宝物になっていく名言と呼ばれるものが生まれてきます。自分の気に入った名言を繰り返し読み、声に出し、暗記することは、 私たちの大きな力となってくれるのです。
まず第一に、自分の核となる心を高め、磨いてくれることになります。ともすれば目先のこまごまとしたことに目と心を奪われがちな現代において特に重要なことです。
第二に、言葉についてより正確に取り扱う習慣が身につき、思考も正しく行われるようになっていきます。
第三に、名言を契機にして、日本やそれぞれの国の歴史や文化、偉人のことなどをよく理解できるようになります。
第四に、名言には人を変える力も大いにあります。一つの名言に出会うことで、まったく新しい自分に生まれ変わる人も多いのです。
第五に、名言を繰り返し読み暗記することで、脳を刺激し頭の働きを活発にすると言われています。」

私は、名言を纏めた書物に出会いますと、ただ単にこれを読むだけでなく、両手を使ってパソコンに文章を入力しております。そうしますと理解力が倍増し、更には、脳の活性化に繋がります。

ここでは全てを紹介することはできませんので、興味のある方はこの書物を購入して一読してください。きっと人生の指針になることは間違いありません。



書物: 語り継ぎたい東洋の名言 88
編者: ハイブロー武蔵
発行所:総合法令出版株式会社
初版発行:2005年6月7日
価格: 1,470円(税込)

(原文のまま)

01 彼れを知り己れを知れば、百戦して殆う(アヤウ)からず。彼れを知らずして己れを知れば、一勝一敗す。彼れを知らず己れを知らざれば、戦う毎に必ず殆うし(アヤウシ)。
(孫子 前5世紀頃)
(現代語訳)
敵のことを知って、自分のことを知るならば百回戦っても百回勝てます。自分のことを知って敵のことを知らなければ、1回勝っても1回負けます。敵のことを知らないし自分のことも知らなければどの戦いも負ける可能性が高くなります。
(解説)
孫子は、敵に勝つための方法を詳しく述べた兵法書の古典であり、今でも有用の書として評価されております。それはまた競争社会に生きる私たちの人生にも役立つものであります。

02 日の光を藉りて(カリテ)照る大いなる月よりも自ら光を放つ小さき灯火たれ。
(森鴎外 1862〜1922)
(現代語訳)
太陽の光を借りて照っている大きな月よりも、自分から光を放つ小さな灯火でありたいものです。
(解説)
日の光を借りて自分を大きく見せる人は多い。人間の弱いところです。例えば、大会社の幹部エリートとか官庁のキャリア組といった人たちはその典型です。中には、ただ著名な、そして大会社とか学校に在籍しているだけで、自分が偉くなったかのように錯覚している人がいます。
森鴎外の遺言は「余は石見人森林太郎として死せんと欲す」です。石見とは現在の島根県の西部にあります。そして「宮内省陸軍の栄典は絶対に取りやめを請ふ」とあります。最後には自分の放った光だけを残したかったからでありましょう。

03 一隅を照らすもの これすなわち国宝なり
(最澄 767〜822)
(現代語訳)
世の中のほんの片隅でもいいから、明るくしてくれる人こそが国の宝であります。
(解説)
今こそ最澄の名言を噛み締める時代ではないでしょうか。
まじめに日々を暮らし、仕事に打ち込み、本を買い、そして読み、人格を練り、まわりの人たちに元気よく声を掛ける人、明るく励ます人、こういう人こそが真の国の宝なのです。これを国民一人一人が忘れるならば、国の健全な存在も危うくなります。

04 生まれ変わり、すなわち転生についての信仰は、普遍的な愛を生じる。なぜならば、私たちを含むすべての生きものが、その数限りない生命の中で、愛する両親、子どもたち、兄弟たち、姉妹たち、友人たちであったからである。
(ダライ・ラマ14世 1935〜)
(解説)
ダライ・ラマとは、智慧の大海の意味です。
生まれ変わりや前世の話を信じている人は多い。さらに自分の守護霊などに関心を持ち、スピリチュアルな世界、霊的な世界を心の頼りにする人々もたくさんいます。
更に彼は「私たちは十分な理由があって、さまざまな形をしたすべての生きもの(動物も、人間も)は、死後、生まれ変わると信じている。それぞれの一生にお いて経験する苦しみと喜びの比率は、その人が前世においてなした善行と悪行によって定められる。もっとも、現世におけるそれぞれの努力によって、その比率 を変更することが出来るかもしれないが。」と述べています。

05 金剛石もみがかずば  玉の光はそわざらん
人もまなびて後にこそ  まことの徳はあらわるれ
時計の針のたえ間なく  めぐるが如く時の間の
光陰惜しみてはげみなば いかなる業(ワザ)かならざらん
(昭憲皇太后 1849〜1914 明治天皇の皇后)
(現代語訳)
ダイヤモンドも磨かなければ光輝くことはありません。人も学んで始めて誠の徳ができてきます。時計の針がいつも休みなくまわるように。
時間を惜しんで励めばどのようなことも成し遂げられるでしょう。
(解説)
有名なフランクリンの13徳の6番目は「勤勉」です。この13徳に昭憲皇太后は感銘をお受けになり、和歌をおつくりになられました。その中の「勤勉」から発展したのが「金剛石の歌」でした。戦前まで全国の学童が唄い、戦後もしばらくは全国で唄い続けられました。
なお、末尾NO.13にフランクリンの「13徳」を記載しております。

06 友とするにわろきもの七つあり。一つには高くやんごとなき人、二つには若き人、三つには病なく身強き人、四つには酒を好む人、五つにはたけく勇める兵(ツ ワモノ)、六つには虚言(ソラゴト)する人、七つには欲深き人。よき友三つあり。一つには物くるる友、二つには医師、三つには智慧ある友。
(兼好法師 1283〜1350or1352)
(解説)
兼好法師は随分と割り切った功利的な基準を立てています。自分にとって役立つ人を求めています。一人暮らしの自由人だからそうなるのかも知れません。逆に友達にしたくない人の基準はかなり参考になります。
編者は絶対に付き合いたくない人を次のように纏めています。
 a.人を傷つけても平気な人
 b.人を裏切っても平気な人
 c.道徳心、倫理心が欠けている人
 d.組織の権威や肩書きで自分の力を誇示し、相手の権威や肩書きに弱い人
 e.「ありがとう」「ごめんなさい」「おはようございます」が心を込めて言えない人
 f.まわりの人を振り回して喜ぶ人
 g.自己愛がない人、また自己愛が強すぎて他人への愛が足りない人

07 秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず。
(世阿弥 1363〜1443 室町時代初期の猿楽役者)
(現代語訳)
すべてを見せるのではなく、秘密の部分があるように見せるのが花であります。すべてを見せてもう何も残っていないというのは、花がなく興ざめです。
(解説)
人間の心理はおもしろい。特に興味があるもの、関心のある人のすべてを知りたい、見たいと思います。ところが、すべてを知ったり、見たとしますと、興味、関心は前ほど強くなく、魅力も減じたように感じるものです。
世阿弥は芸の道で、この人間の持つ真理法則を見事に分析し、応用しようとしました。私たちは、この世阿弥の教えをすべての人間関係の在り方に活用すべきと考えます。特に男女関係では、絶体に役立つ教えであります。

08 其の美しき者は自ら美しとし、吾れ其の美しきを知らざるなり。その悪しき者は自ら悪しとし、吾れ其の悪しきを知らざるなり。
(莊子 前369〜前286)
(現代語訳)
美人は自分を美しいと自惚れていて、私は美しいとは思わない。美人でない人は、自分を器量がよくないことを知っていて奥ゆかしいので、私は器量がよくないなどとは思わない。
(解説)
男は度胸、女は愛嬌といわれています。男の魅力の一つは、まさに度胸です。私は、(編者のこと)これに加えて、男は気概とエネルギー、それに優しさ、思いやりが兼ね備わった人間がいいと思います。そして、次に女を守りいたわる優しさと思いやりです。
女の最大の魅力は愛嬌であり、可愛らしさ、恥じらいを持っていることです。こういう女は男を育てます。付き合えば付き合うほど男が伸びます。だから愛嬌、可愛らしさを失わない女は何歳になっても男に好かれます。
他方、自分が美人だと自惚れている人は、実は何の魅力もありません。俗に「美人は三日見れば飽きる。」とも言われております。女の本当の魅力とは、自分を 守ってくれるためにあるいは自分を喜ばせてくれるために、男に勇気を起こさせ意欲を起こさせる事であります。それは男への心配りと奥ゆかしくも可愛げのあ る言葉や態度によって表現します。

09 やってみせ、言ってきかせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。
(山本五十六 1884〜1943)
(現代語訳)
自分がまずやってみせて、そして言ってきかせて、させてみて、結果が出たら褒めてやらないと、人は(部下は)動かないものです。
(解説)
連合艦隊司令長官山本五十六は部下思いのリーダーでした。人間的魅力ははかりしれず、また軍人としての能力も優れていました。
小国日本が大国アメリカに挑んだ戦争の緒戦、ハワイ真珠湾攻撃を成功させた力は、山本五十六というリーダーの下に部下たちが必死に訓練し、当時世界最強の 精鋭機動部隊をつくりあげたことであります。そのリーダーの在り方を、山本五十六は自ら率先しつつ教え、そして誉めてあげることが大切でした。
この名言を座右の銘にしていたのが東芝を再建した名経営者、土光敏夫さんです。素晴らしいリーダーは自らが先頭に立ちつつも、部下の成長を願う心豊かな人であります。

10 惻隠の心無きは、人に非ざる(アラザル)なり。羞悪(シュウオ)の心無きは、人に非ざるなり。辞譲(ジジョウ)の心無きは、人に非ざるなり。是非の心無きは、人に非ざるなり。
(孟子 前372〜前289)
(現代語訳)
人の悲しみに同情しない人は人間ではありません。間違ったことを恥じる事がない人も人間ではありません。謙虚さのない人も人間ではありません。善いことと悪いことが分からない人も人間ではありません。
(解説)
日本人こそ、この惻隠の心を大切にする人たちなのです。個人の生き方としても、付き合って大切にしたい人は孟子のいうような人間です。すなわち人の悲しみ に同情する人、間違ったことを恥じる人、謙虚な人、美しいことと悪いことをわかる人です。また、こういうよき人間こそが自らの人生にも幸せに生きていくこ とができ、他人にも好かれ、世間にも認められていくのです。

11 武士道というのは、死ぬことととみつけたり。
『山本常朝(ヤマモトツネトモ)「葉隠」より 1659〜1719』
(現代語訳)
武士道とは何か。それは命がけで、働くことである。
(解説)
武士道と言えば葉隠の「死ぬこととみつけたり」を連想するのが一般的です。葉隠れは、佐賀鍋島藩の山本常朝が語ったものを中心に田代陣基が
編集したものです。一般のイメージするほど葉隠は死に執着している訳ではなく、「死ぬことと見つけたり」というのは自分の生き方の覚悟宣言であります。

12 養生の術は、まずわが身をそこなふ物を去るべし。身をそこなふ物は、
内欲と外邪となり。内欲とは飲食の慾、好色の慾、睡りの慾、言語をほしいまゝにするの欲と、喜怒憂思悲恐驚の七情の慾を云。外邪とは天の四気なり。風寒暑 湿を云。内欲をこらゑて、すくなくし、外邪をおそれてふせぐ、是をもって元気をそこなわず、病なくして天年を永くたもつべし。
(貝原益軒 1630〜1714)
(現代語訳)
養成術はまず、自分の身体をそこなうものを取り去ることです。身体をそこなうものには、内からの欲望と外からの邪気があります。内からの欲望とは、飲食の 欲、好色の欲、眠りの欲、言語を欲しいままにする欲と喜び、怒り、憂い、思い、悲しみ、恐れ、驚きの七情の欲をいいます。外からの邪気とは天の四気すなわ ち風邪、寒さ、暑さ、湿りをいいます。内からの欲望をこらえて少なくし、外からの邪気を恐れて防げば、いつも元気でいられて、病気にかからず長寿を手に入 れることができるでしょう。
(解説)
我が国における健康術の元祖にして大家である貝原益軒は83歳の時「養生訓」を著しました。この著者は実にバランスがよく、人間の尊厳を第一に考え、心の 在り方の大切さ・心の健康の大切さをもきちんと我々に教えてくれています。そしてその健康術の基本は内から出てくる欲を抑えさせることであります。つまり 飲食を適度にして過食をしないこと、色欲を慎みエネルギーを蓄えること、正しい睡眠を取って睡りすぎず、ほどよく運動して気分の転換を図ることでありま す。また、食後に消化していないのに早く眠る習慣をつけると病気になり、繰り返していると衰弱することになると説いています。

13 五省
至誠にもとるなかりしか
言行に恥ずるなかりしか
気力に欠くるなかりしか
努力に憾み(ウラミ)なかりしか
不精にわたるなかりしか
(現代語訳)
誠実さを失っていることはなかったか
言葉と行動に恥じることはなかったか
気力に欠けているところはなかったか
努力に満足できているか
何をするにもめんどうくさがっていないか
(東郷平八郎 1848〜1934)
(解説)
日本海海戦でロシアのバルチック艦隊をパーフェクトに破り、日露戦争の英雄として世界的に有名になった東郷平八郎がつくったと言われるこの「五省」は、日 本人に愛されております。彼はもう一つ、日本の代表的料理を残しています。それは、イギリス留学時代に食べた牛肉のシチューにヒントを得てつくらせた料理 「肉じゃが」であります。
また、ベンジャミン・フランクリンの13徳のチェック法は世界的に有名です。
それは「節制」「沈黙」「規律」「決断」「節約」「勤勉」「誠実」「「正義」
「中庸」「清潔」「冷静」「純潔」「謙譲」の13徳です。
欧米人の多くは、このチェック表をつくり、手帳に貼って一日の終わりに確認したと言われております。

(了)

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● 448 書物「心を磨く言葉」について
11 Feb (Wed) 11:33 
From:岡田 次昭 南高 11期  

この書物の著者は、安岡正篤(ヤスオカ マサヒロ)です。彼は1898年(明治31年)2月13日に現在の大阪市中央区にて誕生しました。
1922年東京帝国大学法学部を卒業し、卒業記念として執筆され出版した『王陽明研究』は反響を呼び、天才振りを発揮しました。彼は文部省に入省するも、 わずか半年で退職し、「東洋思想研究所」を設立しました。その後、拓殖大学東洋思想講座の講師をする傍ら「金鶏学院」・「日本農士学校」などを設立し、東 洋思想家・東洋古典研究家として軍部や革新官僚、華族などに影響を与え、その名を馳せました。
戦後、彼は実践的人物学、生きた人間学を元に多くの政治家や財界人の精神的指導者やご意見番の位置にありました。彼を師と仰いだとして知られる政治家には、吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳などの元首相が名を連ねております。
彼は「平成」の元号発案者としても知られております。
余談ながら、細木数子との再婚の話は有名です。
1983年11月、彼は当時85歳で認知症の症状がありました。40歳近く年の離れた女性との再婚であり、実際の結婚生活が殆どなかったことから、安岡家 の親族に猛反対されました。しかしながら、細木数子は彼と交わしたとされる「結婚誓約書」なるものを元に、婚姻届を出し、受理されました。安岡家は東京地 裁に「細木との婚姻の無効」を求める調停を申し立てました。その翌月の12月に彼は他界しました。細木は調停側の勧告を受けて、初七日の日に戸籍を抜くこ とで結婚問題は決着しました。
100冊を越える著作はいまなお読み継がれ、日本人の進むべき方向性を示すものとして注目されております。

この書物には、彼の素晴らしい言葉が満載されております。その一部を下記に記載しておきます。



書物: 心を磨く言葉
解説: 池田 光
発行所:株式会社イースト・プレス
初版発行:2007年10月19日
価格:1,260円(税込)

(原文のまま)

01 片言隻句(ヘンゲンセック)に表現される……
そういう言葉・文句ほど尊いのです。
だからえらくできた人の言葉は単純です。
だらだらと、お前一体何を言おうとするんだというような、つべこべ言う人間は、できておらん。
できるに従ってあまりつべこべ言わん。単純明白に表現する。
(解説)
片言隻句とは、ほんの短い言葉のことです。わずかな言葉の中に、その言葉を書いたり語ったりした作者の精神や経験が凝縮されています。本来、精神や経験と いうのは、大変複雑なものですが、そうした複雑性を含みながらも、単純明晰な「一言」へと昇華させたものが片言隻句なのです。
片言隻句が人生に与える効果を、安岡は次のように語っております。
「世間の人々は、長編論文なんていうものによって人生を渡るものではない。大抵は片言隻句、則ちごく短い、しかし無限の味わいのある真理・教えによって生きる力を得る。」

02 昔から「四耐(シタイ)」という言葉があります。四つの忍耐、
一つは冷ややかなることに耐える。人生の冷たいことに耐える。
第二は苦しいことに耐える。
第三は煩わしいことに耐えること、
第四は閑に耐える。
この閑、退屈に耐えるということが一番難しいことです。
(解説)
安岡は「よく閑に耐え、閑を楽しみ、閑を活かすような人は、よほど偉い人であります」といっています。
人間ができていない小人は、暇になると、ついろくでもないことをします。「小人閑居して不善をなす」であり、これは自分の退屈を満たすものが外側にしかないことを示しているのです。

03 世の中には長所が短所の人間があり、短所が長所の人間もある。この短所が長所の人間程偉大なる人物であります。
(解説)
生まれつき目鼻立ちがいいのに、人間としての深みがない人は、のっぺりした顔つきになり、軽薄さが露呈します。天賦の美しさがあればあるほど、その長所を 磨かなければなりません。逆に、目や鼻や口の一つひとつがどんなに形が悪くても、配置が悪くても、修養して人間を磨いていくと、短所であったはずの容貌 が、なんともいえない魅力となってきます。一つの芸術にまでなると、安岡はいっています。「短所が長所の人間」という後者のタイプは、長年、年を経るにつ れて、磨きこまれて底光りした廊下のような存在です。

04 およそ才が特に勝った型のものはこれを小人といい、これに反して、徳が才に勝れた型のものは、これを君子という。
則ち、人間を君子型と小人型との二つに分類しておる。
たとえいかに大きな人物であっても、どちらかといえば、才が勝つものは等しく小人、たとえいかに小人物でも、どちらかといえば徳が勝つものは君子、したがって小人にも君子にも多種多様あって、いちがいに小人であるといって卑しむこともできぬ。
君子であるとて、たいして尊ぶにたらぬものである。
(解説)
君子と小人についての説明は次の通りです。(安岡の著書より抜粋)
「君子とは……たとえ不才無能であっても、君子というものは、そんな才能の有無にかかわらず、国家・社会を鎮める、安定させるだけの功徳があります。本当 にできた人であれば、多少仕事ができなくとも、その人の存在だけで重量、すなわち安定性があります。西郷隆盛は君子型の典型的な人物です。」
「小人とは……小人で多才多芸の者は、とかく国を乱す。こういう者は、小さな知恵だの才だのというものはあるが、人間ができていないので、世を乱します。勝海舟は非凡であっても小人型で、『小人の雄』である。」と安岡は評しています。

05 われわれの一生も、大体は日計すれば足らずで、何事によらず赤字と思われますが、しかし、いよいよ老いて生涯を省みて(カエリミテ)黒字だとすれば、これは道に合った成功の人生ということになります。
反対に、一日一日きびきびやってきたつもりだが、さて死にがけになって、「一体俺は何をして来たのだろうか」というような大赤字になったのでは、これは失敗の人生であります。
(解説)
「日計すれば足らず、歳計すれば余りあり」『莊子』という言葉があります。一日一日の収支は赤字ですが、一年の決算をすると黒字になっているということです。
この人生で成功したかどうかについて判断するとき、成功は最後に総計して決まるものであり、その都度の浮き沈みに拘束されては、成功するものも失敗してし まうということです。理想を持って、最終ゴールで黒字になればいいというくらいの、ゆったりした構え方のできる人が、人物といえる人なのです。

06 この宇宙・人生というものは日々夜々創造変化、つねに停滞することがない。
「日に新たに日々に新たなり」というのが自然の相であるから、停滞固定は造化に反する。
我々は常に自己を新しくしてゆかねばならない。
(解説)
人間というのは、年をとるにしたがって、だんだん停滞していく傾向にあります。だからといって、停滞し、固定化してしまうことは造化に反することで、存在の意義をなくします。人は自らの意思でもって自己を新しくしていけます。いえ、新しくしていかなければならないのです。

07 早く老いることの原因は、肉体より精神にあります。
精神に感激性のなくなることにあります。
物に感じなくなる、身辺の雑事、日常の俗務以外に感じなくなる、向上の大事に感激性を持たなくなる、これが一番いけません。
無心無欲はそういう感激の生活から来るもので、低俗な雑駁(ザッパク)から解脱することにほかなりません。
(解説)
感激性がなくなると、人は早々に老いていきます。
孔子にこんな話があります。
ある人に孔子の人物を尋ねられた弟子の子路は、何も応えないままでした。
「おまえは、こういえばよかったのだ。『その人となりは、ものに感激しては食うことも忘れ、努力のなかに楽しんで憂いを忘れ、年をとることを知らない人です』と」そう孔子は諭します。
反対に、精神の感激性のない人は、身辺の雑事や日常の俗務に浸りきり、食も旺盛で欲望の生活を送ることで刺激を得ようとします。精神的な向上がないので、生命の躍動がなく、老いが早まってきます。

08 六十になっても、六十になっただけ自己を変化創造してゆく。
六十にして六十化し、七十にして七十化し、八十にして八十化す。
生きている限りは創造変化してやまない。
これが自然の本体であり、人生の本体である。
(解説)
こういう人生態度をとっている限り、七十歳になっても、八十歳になっても、生き方を新たにし、人生を創造していくことが出来ます。

09 ものを考える上に大切な三つの原則を述べておきたいと存じます。
第一は、目先にとらわれず、長い目で見る。
第二は、物事の一面だけを見ないで、できるだけ多面的・全面的に観察する。
第三は、枝葉末節にこだわることなく、根本的に考察する。
(解説)
物事の本質をつかむには、次の考え方を慣習化する必要があります。
@長期的……なるべく目先のものにとらわれないようにして、大きな流れやトレンドのようなものをつかもうとすること
A多面的・全面的……たとえば、売り手の立場だけでなく、買い手の立場ではどうかと、少しでも多面的に、そして全体的に考えようとすること
B根本的……目に見える現象から、なぜ、なぜ、なぜと深めていき、なるべく根本的なものをつかもうとすること

10 人間は特に目が大切です。
則ち物が見えなければなりません。
それも単なる肉眼では目先しか見えません。
それではすこぶる危険であります。
我々は外と同時に内を見、現在と同時に過去も未来も見、また現象の奥に本体を見なければなりません。
(解説)
肉眼に対して、心眼というものがあります。物事の真相を鋭く見分ける心の働きのことです。物を見るとき、肉眼で見えるものは表面だけであり、目先だけであ ります。表面のその奥を見たり、目先にとらわれないことが大切なのはいうまでもありません。そのためには、まず自分の内面を豊にし、心眼の修養をすること です。
@外と同時に、内を見ようとすること
A現在と同時に、過去と未来を見ようとすること
B現象の奥に、本体を見ようとすること
しかし、ともすれば目先のことに追われてしまいます。たとえば、企業があまりに目先の利益を追いすぎると、商売にとって大切なものを失い、その結果、会社を潰してしまいます。リーダーは心眼を開くことが大切です。

11 宇宙も人間も社会もみな大いなる調和、
つまり大和(ダイワ)から成り立っている。
人間がこの恒常性、大和性を失えば、
身体的には疾病であり、死であり、社会的には争乱となる。
(解説)
陰陽の二つの原理によって、宇宙、社会、人間などといったあらゆる実在が成立し、活動していると、東洋思想は考えます。
陽の原理……あらゆる実在は、発現、分化、発展を本領とするという原理。これは西欧的思考であり、主知主義である。
陰の原理……あらゆる実在は、統一調和、全体的、永遠性を本領とするという原理。これは大和的思考である。
近代文化は「陽の原理」に傾斜して外面へとひた走り、利己主義的、物質的、機械的なものになっています。これを大和の考え方(陰の原理)で正そうと、安岡 はいいます。大和とは、大いなる調和ということで、これによってあらゆる存在は成り立っています。たとえば、人間の身体でも、増長する細胞を抑え、萎縮す る細胞を保護して全体の統一調和を司るものが内分泌腺で、この大和的な働きが衰えると疾病が生じるのと同じように、社会においても大和性がいま求められて いるのです。

12 どんな忙人にでも、寸陰というものはある。
ちょっとした時間というものは必ずある。
そのちょっとした時間をつかむのです。
これに熟練すれば、案外時間というものはあるものなのです。
昔から一芸一能に精進した人々は、皆体験しておることです。
(解説)
寸陰とは、ほんのわずかな時間のことです。この短い時間をものにできるかどうかで、生活や仕事の質さえ変わってきます。安岡が教えるポイントは、次の二つです。
@時間をつくる……寸陰に眼をつけると時間はつくれる。多忙な人ほどこま切れ時間を計画的に遣い、寸陰を積み上げてひと仕事をやりあげ、何かをモノにしているのです。
A時間当たりの質を高める……寸陰を積み続けると、質的変化が起こる。 寸陰を積み上げるうちに、時間の質が変わってきます。始めて弓を射ると、的は遠く て見えないものです。しかし、やがて修練しているうちに、小さな的が大きく見えてくるように、寸陰を活用し続けると、こま切れ時間がまとまった充実の時間 へと転換してきます。わずか十分がふつうの人の三十分にも、一時間以上にも相当するようになるのです。

13 後姿の寂しいというのは、
その人の一つの運命を明らかに示しておる。
孟子に「面に見われ(アラワレ)背に盎る(アフル)」という名高い語がありますが、人間はやはり背にエネルギーというか、
力が盎れて(アフレテ)おらなければなりません。
(解説)
面に表れたものが面相です。また、背に表れたものが背相です。君子の仁・義・徳・智の四徳は、面相にも背相にも表れ、手足におよんで、黙っていてもその徳 は人々にわかるということです。背は無防備です。それだけに、背に徳が表れたり、エネルギーがあふれたりしている人は、人間ができているということです。 だから、人を観るときは、前よりも後から観るのがよいと、安岡は教えています。

14 人に嫌われぬための五箇条
一、初対面に無心で接すること。
二、批判癖を直し、悪口屋にならぬこと。
三、努めて、人の美点・良所を見ること。
四、世の中に隠れて案外善いことがおこなわれているのに平生注意すること。
五、好悪(コウオ)を問わず、人に誠を尽くすこと。
(解説)
人に好かれないのは、好かれない癖・嫌われる癖があるからです。その癖をはっきり自覚し、これを直せば、ひとから好かれるようになります。それがこの五箇条です。

15 自分には一切捕らわれずに脱け(ヌケ)切っており、
人に対してはいつもなごやかに好意を持ち、
何か事があれば活気に充ち、
事がなければ水のように澄んでおり、
得意の時はあっさりして、
失意の時はゆったりしている。
(解説)
この言葉は、安岡による「六然(リクゼン)」の翻訳です。とても心に染みる、何度も口にしたい美しい訳です。この六つの境地に至ると、真の自由人といえるようになります。原文を示しますと、次の通りです。
自處超然(ジショチョウゼン) ……自ら処すること超然
處人藹然(ショジンアイゼン) ……自ら処すること藹然
有事斬然(ユウジザンゼン) ……有事のときには斬然
無事澄然(ブジチョウゼン) ……無事のときには澄然
得意澹然(トクイタンゼン)  ……得意のときには澹然
失意泰然(シツイタイゼン)  ……失意のときには泰然
この六然は、王陽明と同時代であった明の崔後渠(サイコウキョ)が作ったものです。安岡はこの言葉を知って以来、六然の境地にみずからを置きたいものだと、平生から心がけたといいます。六然は、修養に置ける指針となり、
また修業のめざすところとしてふさわしいものです。

16 第一に、心中常に「喜神(キシン)」を含むこと。
第二に、心中絶えず感謝の念を含むこと。
第三に、常に陰徳を志すこと。
(解説)
三つのことを安岡は心がけています。
@喜神とは「心のどこか奥のほうに喜びを持つ」ことです。どんなに苦しいときでも、心に喜神を含むと、余裕が生まれ、発想が明るくなります。また、学ぶ姿勢ができます。
A有り難いという気持ちを絶えず持つ。一椀の飯を食べても有り難いと、何かにつけて感謝の気持ちを持つことです。
B人知れずよいことをします。どんなに小さなことでもよい、これを絶えずやっていこうと志すことです。陰徳を積んでいくと、@の喜神を養うことができます。

(了)

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● 447 書物「日本一短い父への手紙、父からの手紙」について
11 Feb (Wed) 01:00 
From:岡田 次昭 南高 11期  

この書物は、平成18年度の第4回新一筆啓上賞「日本一短い父への手紙、父からの手紙」(福井県坂井市丸岡町・財団法人丸岡文化振興事業団主 催、日本郵政公社、文化庁公園、住友グループ広報委員会特別後援)の入賞作品をもとにして編集されました。同賞には、平成18年の募集期間内に 17,386通の応募がありました。平成19年1月22日に最終選考が行われ、大賞5篇、秀作10篇、住友賞20篇、メッセージ賞10篇、丸岡青年会議所 賞5篇、佳作100篇が選ばれました。同賞の選考委員は、小室等、佐々木幹郎、中山千夏、西ゆうじ、井場満緒の各氏です。
なお、本書では、年齢・職業・都道府県名は応募時のものを掲載しております。

佳作100篇の内、次の手紙は最も短く、秀逸と考えます。
父へ では………。
娘へ うン ………。
この場面は、三姉妹の娘を嫁がせた父親の心境です。(東京都 73歳 無職)



(原文のまま)

T. 大賞(日本郵政公社総裁賞 5篇)

01 父へ 親になった瞬間、どうでしたか。
娘へ ようわからんけど、真っ白やったなあ。
   (兵庫県 18歳 短期大学1年)

02 お父さんへ 父親ってなに?
息子へ オマエの見本ぢゃ!
(福井県 16歳 高校1年)

03 お父さんへ 俺のテストの成績が悪いのは、遺伝やと思うてるんやけど。
息子へ 失礼な奴やな。後で二階へ来い。
お母さんの成績表みせたる。
(福井県 13歳 中学校2年)

04 父さんへ 父さんは、何歳から薄くなった?
息子へ 人生、引き際が肝心や。生え際やない。
(東京都 33歳 会社員)

05 お父さんへ お父さん、ちゃんとおふろに入んねや。
それは、カラスのぎょう水って言うんやざぁ。
娘へ アホやな。これは省エネ対策って言ってな、
地球にやさしい風呂の入り方なんやぞ。
(福井県 9歳 小学校3年)


U. 秀作(日本郵政公社北陸支社長賞 10篇)

01 父へ 俺、父さんみたいな人には絶対ならねぇ。
息子へ 俺もガキの頃そう思ってた。
(東京都 15歳 高校1年)

02 父へ あの お母さんで 良く我慢出来たわね。
娘へ お前より ましかも。
(福井県 69歳 無職)

03 父へ ごめん、お父さん。
一緒に身長測ったとき、俺背伸びしてたんだ。
息子へ そうだったのか。実は父さんもしてたんだ。
(熊本県 14歳 中学校3年)

04 父へ 父さん、タバコ止めて下さい。
インコが父さんが咳き込むのをマネするんです。
娘へ インコが咳き込むと皆が笑う。マネしてインコも笑う。
それで又爆笑だ。そんなところだ。
(北海道 58歳 )

05 娘より 会っても 電話しても「母さぁ〜ん」て照れて逃げるから
手紙で伝えます。 「ありがとう」
父より 「母さぁ〜ん。返事出しとって」
(栃木県 32歳 主婦)

06 父へ あなたを慕う母を見るたび 感動を覚えます。
娘として最後まであなたを支えます。
娘へ でもね、時々まだ「実家へ帰られていただきます。」
なんて言うんだ。おかしいだろう?
(静岡県 52歳 主婦)

07 父さんへ 昨夜遅くまで、
私のために数学を解いてくれてありがとう。
大変だったでしょう。
(父さんから) 数学の問題を解く事なんか、
お母さんと仲直りするのと比べれば 楽なことだよ。
(神奈川県 15歳 中学校3年)

08 翔太へ 「ただいま!」
「ただいま!」
「ただいま!」
何回言っても返事無し。
父へ しつこいなあ。いいかげん気づいてくれよ。
俺、今反抗期中!!
(神奈川県 13歳 中学校2年)

09 父へ どうしたら九十三まで長生き出来るか、
秘訣を教えてくれませんか?
父から 良く食べて、良く寝ること。
もっと大事なことは、子供と同居しないこと!
(埼玉県 93歳 無職)

10 お父やんへ なにを決めるのも適当。いつも適当。
私が決めたことには反対しない。 本当に適当。
息子へ まあ、頑張ってくれや。
(福井県 20歳 大学2年)


V. 住友賞(20篇のうち5篇)

01 お父さんへ 今はダイエット中なのです。
キレイになって素敵な人にめぐり会いたいんだもん。
美絵ちゃんへ ご飯をうまそうに食べるお前の顔が一番なのに
それを知らん男にはお前をやる気はない。
(沖縄県 30歳 会社員)

02 お父さんへ お父さんに会えなくて淋しいよ。 
冬休みに東京まで会いに行くからね。
娘へ 娘よ、君が本当に会いたいのは父ではなく、
ミッキーマウスじゃあないのかい?
(熊本県 16歳 高校1年)

03 父へ あなたのコピーとして生をうけ、モテた試しがありません。
娘へ それこそ父の戦略さ。
(三重県 26歳 公務員)

04 娘へ 一筆啓上 娘様
もう、誰でもいいから、結婚して下さい。
父へ 返信 お父様
本当に誰でもいいのですか。
(東京都 31歳 会社員)

05 父へ 弟が今反抗期中で大変だね。
息子へ え? お前もじゃないの?
(熊本県 16歳 高校1年)

W. メッセージ賞(10篇の内5篇)

01 父へ お父ちゃん 結婚してん、子も出来てん。
娘へ 見てるがな。空からよー見てるがな。
ワシもとうとうジィジや、な。
(兵庫県 42歳 会社員)

02 父へ 何でも望みを叶えてくれる「ドラエモンのポケット」
みたいなお父さんが好き!
娘へ まかせておけ! 俺は死ぬまで「父えもん(チチエモン)」。
(大阪府 51歳 主婦)

03 父へ 仕事から帰ってきた時に言う「ただいま」は、
1回で大丈夫だよ。聞こえてるから。
娘へ 1回で「おかえり」と言ってくれよ。
言ってくれないとさみしいんだよ。
(埼玉県 16歳 高校1年)

04 おとうさんへ おしごとでつかれているのに、いつも、いっしょに
おふろにはいってくれて ありがとう。
菜月へ 菜月は、元気の出る入浴剤だよ。
(福井県 8歳 小学校2年)

05 父へ お父さんが入院してから、
朝の新聞配達は病院前を通っています。
病室を見上げながら。
息子へ 朝が楽しみになった。六階の窓から、双眼鏡で見ている。
お前の元気をもらっている。
(石川県 70歳 無職)


X. 丸岡青年会議所賞(5篇)

01 父さんへ 毎日なき虫でご免ね。
でも、がんばってなき虫なおすからね。
大好きだよ お父さん
まあやへ ここだけの話しだけど
子供の頃はお父さんもなき虫だったんだ。
二人だけの秘密だよ。
(福井県 7歳 小学校2年)

02 お父さんへ おつかれさま。
自分へ つかれてないよ。
(福井県 13歳 中学校2年)

03 おとうさんへ ねぇ、ねえ、おとうさんて、
社長? 課長? 係長? それとも……平?
りほへ 会社では、平やけど、家では、家長やで!
(福井県 9歳 小学校4年)

04 とうちゃんへ とうちゃん、なんでオレばっかりおこるんや!
息子へ おまえ、オレに似すぎ!!
(福井県 8歳 小学校 3年)

05 父へ いつもすれ違い。 何も感じない。
息子へ いつもごめんね。 今はわからなくても、
いつかはわかってくれると思うから。
(福井県 8歳 小学校3年)
(了)

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● 446 書物「日本一短い手紙・母への想い」について
11 Feb (Wed) 12:46 
From:岡田 次昭 南高 11期  

この書物は、平成9年第5回「一筆啓上賞」…「日本一短い手紙・母への想い」の入賞作品を中心に纏めたものです。(福井県にある財団法人丸岡町文化振興事業団主催・当時の郵政省・住友グループ広報委員会後援それにオレゴン州ポートランド市が協力しております。)
65,788通の手紙の中から「一筆啓上賞」10篇が選ばれております。これ以外に、秀作10篇、特別賞20篇、佳作160篇がこの書物に収められております。
選考は、黒岩重吾・俵万智・時実新子・森浩一の諸氏です。
編者は、財団法人丸岡町文化振興事業団です。1998年4月12日に初版が発行されました。
この書物には、わずか35字以内の文字で母への愛情を込めた言葉が溢れております。実に素晴らしいことです。
なお、1993年(平成5年)から行われている一筆啓上賞は、日本で最も古い天守閣を持つ福井県丸岡町にある丸岡城の東北端にある最も短い手紙文を刻んだ 碑「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」からヒントを得て、同町が日本で一番短い手紙文の再現、手紙文の復権を目指そうということから始まりま した。この「一筆啓上」の碑文は、400年ほど前に徳川家康の忠臣・本多作左右衛門重次が陣中から妻に宛てて送った手紙として有名です。お仙とは重次の息 子仙千代のことで、後の越前丸岡城主・本多成重のことです。

それでは下記にその一部を記載しておきます。



(原文のまま 年齢は平成9年当時のものです。)

T. 一筆啓上賞「郵政大臣賞」(10篇)

01 私は捨て子。あなたのおなかにいてあなたに拾われたのです。
(埼玉県 17歳)

02 電話代がかかるといって、一分で切るのは、やめて下さい。
払うのは、私です。
(沖縄県 25歳)

03 ぼくは、かおさんを、にくたらしい人だと思ってます。五ばんめに、すきです。
(福井県 7歳)

04 ボクが元気な時と病気のお母さん、まるでお母さんが二人いるみたいだね。
(奈良県 10歳)

05 高速道が出来ました。でも、母さんのいないふる里は なんだか遠くなりました。
(宮城県 52歳)

06 いつの間にか、両手の上にのせて、ながめていたいようなお母さんになりましたね。
(福井県 58歳)

07 子供を育てるのって 孤独なんですね。あなたも 淋しいですか。
(福井県 42歳)

08 大きな尻。幾重もの首のしわ。足首がない。でもお母さんの中には白い海がある。
(北海道 17歳)

09 雪のふる中、校門をくぐるお母さん。僕ははじめて、悪いことをしたと思いました。
(愛知県 25歳)

10 お母さん、あの指輪ほしいと言ったら、死んだらあげるなんて、もう絶対いらんちゃ。
(富山県 50歳)


U. 秀作「北陸郵政局長賞」(10篇)

01 胸を張って言えるよ。「私はお母さんになる人を選んで生まれて来た。」って。
(愛知県 19歳)

02 口に運ばれたアイスクリームを「んめぇ」と食べた、あの一言で逝ってしまうなんて。
(千葉県 38歳)

03 お母さんの嫌なところなんぼでも言える。でも他の人に言われるのは気にくわん。
(岡山県 17歳)

04 通わない心に比べれば、交わせない言葉なんて、ちっぽけだなって思います。
(北海道 31歳)

05 ウエカラ、シタカラ、ミギカラ、ヒダリカラ、オモテカラ、ウラカラ、ドコカラミテモ母。
(東京都 72歳)

06 母の日、来年もあると思ってた。ごめんね。十八年たっても悔やんでいる。
これからも……
(北海道 30歳)

07 合格した時、親戚中に電話しないで、僕におめでとうと言ってくれ。
(千葉県 12歳)

08 母のようになりたいとか、なりたくないとか、結局、生きる基準になっているみたい。
(福井県 32歳)

09 三年ぶりの故郷。インドの旅の話をしていたら、「ここは日本や」とボソリとお袋が。
(東京都 54歳)

10 お母さん、毎日ふつうをありがとう。ふつうには大変な努力があるんだね。
(福井県 12歳)


V. 特別賞(20篇の内10篇)

01 お母さん、宅急便の紐が年々ゆるく、雑になっているのが心配です。
(東京 47歳)

02 公園で十円拾って、決めた。電話するのもいいけど、週末、帰って話そう。
(福島県 29歳)

03 父さんが亡くなって一人テレビを見てる後姿 母さんこんなに小さかったの。
(兵庫県 40歳)

04 「何秒つかまってられるか数えてて。」ってごまかしてだっこしてもらうときがすき。
(福井県 10歳)

05 「今、私幸せ。」28年の間に電話が5回。この決まり文句かけて来る母は、結婚歴4回。
(神奈川県 42歳)

06 母ちゃん。薬のんだ? トイレいった? 入歯はずした? じゃあ寝ていいよ、
おやすみ
(栃木県 59歳)

07 窓辺で本を読んでいるお母さん。お父さんが惚れた理由、わかった気がします。
(北海道 15歳)

08 母さん。僕はあなたの「しつけ」ではなく「おしつけ」で育ってまいりました。
(茨城県 19歳)

09 父さんとの出会いを、笑顔で話す母さんが、一人の女性に見えてドキッとしました。
(栃木県 18歳)

10 女帝! 私達兄弟5人は、あなたの事そう呼んでいるのですよ!
(三重県 49歳)


W. 佳作(160篇中41篇)

01 お金がない時も決して口にはださなかったね母さん。 顔には出てたけど。
(北海道 35歳)

02 いくつになってもパパに恋をしているママ、とっても素敵です。
(北海道 19歳)

03 父とケンカをする度に、母の宝石増えてゆく……明日の私を見るよで怖い
(北海道 28歳)

04 畑でラジオを聞きながら働くお母さん。てぬぐいを被ってる姿は畑美人だよ。
(宮城県 17歳)

05 母ちゃんの「よくやった」は、どんなことをしたら聞けるんだ。
(宮城県 17歳)

06 5人家族に4つ入りコロッケ いつも母だけ食べないのに なぜ 一番太っているの
(秋田県 20歳)

07 お母さんの背中は、洗たくや料理の香りがした。あったかい香りがした。
(山形県 11歳)

08 書きかけの自分史残して逝った母。その空白に笑顔の日の思い出を綴ります。
(山形県 69歳)

09 母さんが入院した時、なんだか家の中に大きな穴があった様な感じがしたよ。
(福島県 15歳)

10 母さんの形見の時計、あなたの鼓動が、私の腕の中で、いつでも一緒です。
(茨城県 57歳)

11 心配なの、ママが知らないうちにきえてしまいそうで、怖いからそばにいて下さい。
(柴原技研 16歳)

12 夏の夕、関東平野を散歩する。刻一刻変わっていく雲のドラマ。母よ此の命、ありがとう。
(茨城県 51歳)

13 洪水の夜、僕を救って星になったお母さん。まま母だったとずっと後に知りました。
(栃木県 56歳)

14 威厳あり、そして優しく接してくれる鯨の様な母に、ありがとう。
(群馬県 15歳)

15 三十五文字の長さでは八回言えるね「お母さん」一生の内では何度呼ぶんだろう。
(群馬県 20歳)

16 半そで届きました。折目、折目に母のぬくもりを感じます。母の笑顔を思い出します。
(埼玉県 20歳)

17 知っていましたか? 兄の生徒手帳に、あなたの少女の頃の写真が挟まっていたのを。
(千葉県 43歳)

18 一人っ子じゃ淋しかろうと、難産に耐えて妹を産んでくれた母。長生きしてね。
(東京都 30歳)

19 本好きだったお母様。貴方の曽孫も『アンネの日記』を読む年頃になりましたよ。
(東京都 61歳)

20 子供の時、ママの強さが好きだった。十代の頃は、嫌だった。今は羨ましい。…女として。
(東京都 31歳)

21 一番はじめの友達は、お母さんでした。いつも仲良くしてくれて、ありがとう。
(神奈川県 19歳)

22 「誰が、産んでくれって頼んだ!!」言ったあと、多分私が頼んだのだろうと気がついた。
(山梨県 22歳)

23 心配御無用。ちゃんと俺がついている! ボケも自然現象の一つだよ。
(長野県 59歳)

24 捨てきれず、憎みきれず、拒みきれず、本当に厄介です。母の愛は。
(富山県 36歳)

25 こんなに萎んだ(シボンダ)お袋から、俺が出てきたなんて不思議だな。
いろいろいとありがとう。
(石川県 51歳)

26 一人暮らしを始めて思ったこと「うるさいなあ」=「うれしいなあ」
(石川県 20歳)

27 父について満州までも行ったあなた。息子はそんな女性を捜して未だ独身。
(静岡県 53歳)

28 先日アナタの通信簿が出て来た 遺伝子の証明を大切にします。
(静岡県 61歳)

29 お母ちゃん、昔、離婚しなくて、ありがとう。今、子供たちは、おじいちゃんが大好きです。
(愛知県 52歳)

30 花のにおい、風のにおい、海のにおい。一番好きなのはお母さんのにおい。
(愛知県 15歳)

31 お母さんが揃えてくれた鍋や鏡台が、「幸せになりなさい」と言っているようです。
(兵庫県 28歳)

32 母よ 応募の短文を書き 僕に見せるのやめてくれ 僕は母似で涙もろいから
(岡山県 43歳)

33 あなたは子供らしくない私が嫌い。私も母親らしくないあなたが嫌い。それでよし。
(岡山県 17歳)

34 泣いた。恨んだ。幼い故何も分からず病弱な父の代わりに働く母が一番辛かったろうに。
(愛媛県 47歳)

35 おとうさんの死んでからが、一番楽しかったなんてショックでした。
(福岡県 66歳)

36 母のやさしさは大きな木の根。枝や葉っぱに伸び過ぎた僕がいつか帰る故郷。
(熊本県 42歳)

37 「次はいつ帰るん?」電話のたびに聞くあなた。まるで遠距離恋愛だね。
(大分県 43歳)

38 日本のアメをなめたらお母さんの味がした 心がふんわりとろけそう
(ブラジル 50歳)

39 畦に座り、膝小僧で割って食べた西瓜、最高に、うまかったたね。
(ブラジル 55歳)

40 お母さん、今日はスカートはいてる。かわいいなあ。ぼくはそっちのほうがすきだよ。
(広島県 5歳)

4 角を曲がり、姿が見えなくなっても、見送ってくれてたんだね。忘れ物してよかった。
(香川県 46歳)


X. 英語版 母への想い一筆啓上賞

01 My daughter holds my hand
this moment is pure joy
her hand so small
I think─my hand was once like this, before ─in yours.

娘が私の手を取る 代え難い喜びの一時 その手はとても小さく
私の手もこんなんだったのね あなたの手の中で
(ヒラリー・キャンベル オレゴン州ポートランド市 24歳)

02 In the dark kitchen
Mother and I sneak chocolate
Harsh words forgotten.

黒い台所で お母さんとこつそり チョコレートを食べた
きつい言葉をかわしたのも忘れて
(リア・シャピロ オレゴン州 ポートランド市 41歳)

(了)

A型
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● 445 書物「ことばの贈物」について
11 Feb (Wed) 12:36 
From:岡田 次昭 南高 11期  

昨年の12月下旬に、自宅マンションの部屋の掃除に取りかかりました。
私の部屋に続いて、物置部屋(娘が使っていた部屋)を掃除していたところ、二段式書架の奥の方から書物「ことばの贈物」が出てきました。1992年4月25日、第16版発行となっております。
岩波文庫編集部編で、定価は360円です。今から約16年前に購入した書物です。
これを読んでおりますと、歴史上の人物が素晴らしい言葉を残していることが分かります。
「読者へ」のところでは、次のように書かれております。
『どんな短い章句であれ、原著原作からじかに引いた選り抜きの一句は、ダイジェスト・(解説)などでは伝えられない生の魅力を味わわせてくれます。
思いがけなくめぐりあった小さな言葉がきっかけとなって、読書の地平がいっそう豊かに拡がってゆく。そんな出会いを楽しんでいただけることを願っております。』
6名の編集員の方が、約300冊の中から素晴らしい言葉を厳選した結果、この書物が完成しました。
その努力に対し、私は感服します。
特に、セネカの「生きることは生涯をかけて学ぶべきことである。そして、お
そらくそれ以上に不思議に思われるであろうが、生涯をかけて学ぶべきは死ぬ
ことである。」それに紫式部の「さかさまに行かぬ年月よ。老いは、え逃れぬわ
ざなり。」という言葉に対し、私は、強く引かれます。『(89)と(93)に記載』

それでは、その一部を下記に記載しておきます。



(原文のまま)

01 明日を最も必要としない者が、最も快く明日に立ち向かう。
『エピクロス 教説と手紙』

02 主人は好んで病気をして喜んでいるけれど、死ぬのは大きらいである。死なない程度において病気という一種のぜいたくがしていたいのである。
夏目漱石『吾輩は猫である』

03 鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なのです。少なくともみんな普通の人間なのです。それが、いざというまぎわに、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです。
夏目漱石『こころ』

04 明日は、明日はと言って見たところで、そんな明日はいつまで待っても来やしない。今日はまた、瞬く間に通り過ぎる。過去こそ真(マコト)だ。
島崎藤村『夜明け前』

05 前途は遠い。そして暗い。しかし恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。行け。勇んで。小さき者よ。
有島武郎『小さき者へ・生まれいずる悩み』

06 人間が鳥のように飛び、魚のように水中を行くという事は、はたして自然の意志であろうか。こういう無制限な人間の欲望がやがて何かの意味で人間を不幸に導 くのではなかろうか。人知におもいあがっている人間はいつかそのためむごい罰をこうむる事があるのではなかろうか。
志賀直哉『暗夜行路』

07 私は恋をしだしてから、変に死の事が気になりだしました。(独り言のごとく)恋と運命と死と、皆どこかに通じた永遠な気持ちがあるような気がする。
倉田百三『出家とその弟子』

08 何もしないという事を、父が一番嫌がっていた事を私はよく覚えている。何もしないよりはいい、と言う言葉を幾たび私は聞いたろう。
小堀杏奴(コホリ アンヌ)『晩年の父』

09 一羽の燕が、また或一朝夕が春をもちきたすのではなく、それと同じように、至福なひと・幸福なひとをつくるものは一朝夕や短時日ではない。
アリストテレス『ニコマコス倫理学』

10 身体を訓練しない者は身体を使う仕事をなし得ないごとく、精神を訓練しない者はまた精神の仕事を行うことができない。
クセノフォーン『ソークラテースの思い出』

11 徳性は宝石のようなもので、あっさりした台に嵌めこまれたものが最上である。
『ベーコン随筆集』

12 さきへ進めばすすむほど道がひらけてくるなんてのは、神さまかわずかなたぐい稀な天才のほかにはありませんな。
ディドロ『ラモーの甥』

13 子供は眠っているときが一ばん美しい。
キェルケゴール『不安の概念』

14 歴史家は、その主要着眼点を第一にかれこれの時代において人間が如何に考え如何に生活したというところに置かなければならない。
ランケ『世界史の概観』

15 自然はわれわれの知性にとっては限りなく驚嘆すべきことを最高度の容易さと単純さで行っているのです。
ガリレオ・ガリレイ『天文対話』

16 人間というものは、ふだんから目の前にあるものよりも、過ぎ去ったもの、なくなったものに、あやしいまでの愛着を持つものである。
『朝鮮短編小説選』

17 人間は、努力をする限り迷うものだ。
ゲーテ『ファウスト』

18 不幸のうちに始めて人は、自分が何者であるかを本当に知る。
ツヴァイク『マリー・アントワネット』

19 社会はわれわれの必要から生じ、政府はわれわれの悪徳から生じた。
トーマス・ペイン『コモン・センス』

20 薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分かつことをえない。薔薇は桜の単純さを欠いている。
新渡戸稲造『武士道』

21 美女は、命を絶つ斧。
井原西鶴『好色一代女』

22 法律家というものは、はじめて作り出された原則を、全然新しい、または創造された規範と考えることを、はなはだしく嫌うものである。
ヴィノグラドフ『法における常識』

23 哲学者たちにとって最もむずかしい仕事の一つは、思想の世界から現実的な世界のなかへおりてゆくことである。
マルクス、エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』

24 虚栄心は他人を鏡として使用し、利己心は他人を道具として使用する。
テンニエス『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』

25 人は父親の死は早く忘れるが、その遺産の喪失は忘れない。
マキアヴェッリ『君主論』

26 年年歳歳 花相似たり 歳歳年年人同じからず
『唐詩選』

27 人は言う、風刺と冷嘲とは紙一重だと。趣があるのと歯が浮くのともまた同様だ、と私は思う。
魯迅『朝花夕拾』

28 どんな大金持ちでも、贈り物のことになると、妙にしみったれて、出し惜しみする人がいるもんよ。
サキ『傑作集』

29 ニューヨークにはただで何かを呉れる人間はひとりもいません。彼らの場合、好奇心と慈善心が背中合わせになっているんです。
『オー・ヘンリー傑作集』

30 腐敗した善から発散する臭いほど鼻持ちならぬものはない。
ソーロー『森の生活』

31 心の中の自我を抑えることのできぬ者ほど、自身の驕慢な心のままに、隣人の意志を支配したがるのです。
ゲーテ『ファウスト』

32 この世のことはどんな些細なことでも予断を許さない。人生のどんな小さなことも、予想できない多くの部分から組み合わされている。
リルケ『マルテの手記』

33 すぐれた記憶は弱い判断力と結びやすい。
モンテーニュ『エセー』

34 美というものはまったくの奇跡を生みだすものである。美しい女のもつすべての精神的欠陥は、嫌悪の情をもよおさせるかわりに、なにか非常に魅力的なものである。
ゴーゴリ『狂人日記』

35 病ある人、養生の道をば、かたく慎みて、病をば、うれひ苦しむべからず。憂い苦しめば、気ふさがり、病くははる。
貝原益軒『養生訓』

36 面と向かって人を誉めたがるやつは、また影にまわると悪口をいいたがる。
『莊子』

37 記憶は、若い娘のように、気まぐれなお天気屋である。いままで百回も与えてくれたものを、まったく不如意に拒んだりするかと思えば、思いがけない時に、まったくひとりでに持ち出してきてくれたりする。
ショーペンハウエル『知性について』

38 啓蒙とは、人間が自分の未成年状態から抜け出ることである。
カント『啓蒙とは何か』

39 人間のすべての知識の中で、もっとも有用でありながらもっとも進んでいないものは、人間に関する知識であるように私には思われる。
ルソー『人間不平等起原論』

40 害をなすのは、心を素通りする虚偽ではなく、心の中に沈んで居座る虚偽である。
『ベーコン随筆集』

41 人はよほど注意をせぬと地位が上がるにつれて才能が減ずる。私の知っている人で大臣などになったのも少なくないが、どうも皆そうです。
石黒忠悳(イシグロ タダノリ)『懐旧九十年』

42 徳ある者は必ず言あり。言ある者は必ずしも徳あらず。仁者(ジンジャ)は必ず勇あり。勇者は必ずしも仁あらず。
『論語』

43 きのうの出来事に関する新聞記事がほとんどうそばかりである場合もある。しかし数千年前からの言い伝えの中に貴重な真実が含まれている場合もあるだろう。
『寺田寅彦随筆集』

44 心は正しい目標を欠くと、偽りの目標にはけ口を向ける。
モンテーニュ『エセー』

45 無知は富と結びついて初めて人間の品位を落とす。
ショーペンハウエル『読書について』

46 権利(レヒト)=法の目標は平和であり、そのための手段は闘争である。
イェーリング『権利のための闘争』

47 よき共、三つあり。一つには、物くるる友。二つには医師(クスシ)。三つに知恵ある友。
兼好法師『徒然草』

48 年老いた者が賢いとは限らず、年長者が正しいことを悟るとは限らない。
『旧約聖書 ヨブ伝』

49 むかし景気のよかったものは、復古を主張し、いま景気のよいものは、現状維持を主張し、まだ景気のよくないものは、革新を主張する。
『魯迅評論集』

50 悪人がいくら害悪を及ぼすからといっても、善人の及ぼす害悪にまさる害悪はない。
ニーチェ『ツァラトストラはかく語りき』

51 世間普通の人たちはむずかしい問題の解決にあたって、熱意と性急のあまり権威ある言葉を引用したがる。彼らは自分の理解力や洞察力のかわりに他人のものを動員できる場合には心の底から喜びを感ずる。
ショウペンハウエル『読書について』

52 ユダヤ人差別を論じたものがほとんどすべてだめなのは、その筆者が「自分だけは」そんなものとは無縁だと心の中できめてかかるからである。
『オーウェル評論集』

53 たいていの人間は大部分の時間を、生きんがために働いて費す。そして、わずかばかり残された自由はというと、それがかえって恐ろしくて、それから逃れるためにありとあらゆる手段を尽くす。
ゲーテ『若きヴェルテルの悩み』

54 「女性というものは、銀の皿だよ」と彼は言った。「そこへ、われわれ男性が金の林檎をのせるのさ。」
エッカーマン『ゲーテとの対話』

55 芸術は長く、生命は短いというが、長いのは生命だけで、芸術は短い。芸術の息吹きが神々のところまで高められるにしても、それはわれわれにとってつかの間の恩恵に過ぎないから。
ベートーベン『音楽ノート』

56 老年は我々の顔よりも心に多くの皺を刻む。
モンテーニュ『エセー』

57 どうして俺は今までこの高い空を見なかったんだろう?今やっとこれに気がついたのは、じつに何という幸福だろう。そうだ!この無限の空以外のものは、みんな空(クウ)だ、みんな偽りだ。
トルストイ『戦争と平和』

58 総じて、人は分相応の楽しみなければ、又精も出し難し。これに依って、楽しみもすべし、精も出すべし。
恩田木工(オンダ タクミ)『日暮硯』

59 平等であるということは単なる比喩であって、人間の意志や人格を有効に測量し、計算しうるということを意味するものではない。
ケルゼン『デモクラシーの本質と価値』

60 人はパンのみにて生くものにあらず、されどまたパンなくして人は生くものにあらず。
河上肇『貧乏物語』

61 一々のことばを秤の皿に載せるような事をせずに、なんでも言いたい事を言うのは、われわれ成年の特権だね。
森鴎外『青年』

62 人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切がしてみたいものだ。
夏目漱石『三四郎』

63 失敗をこわがる人は科学者にはなれない。科学もやはり頭の悪い命知らずの死骸の山の上に築かれた殿堂であり、血の川のほとりに咲いた花園である。
『寺田寅彦随筆集』

64 詩は神秘でも象徴でも鬼でもない。詩はただ、病める魂の所有者と孤独者との寂しいなぐさめである。
『萩原朔太郎詩集』「月に吠える」序

65 詩学は詩の屍体解剖である。
高村光太郎『芸術詩集 緑色の太陽』

66 望みをもちましょう。でも望みは多すぎてはいけません。
『モーツアルトの手紙』

67 手軽なことだ。災難を身に受けない者が、ひどい目にあってる者らに、あれこれと忠告するのは。
アイスキュロス『縛られたプロメーテウス』

68 戦争や戦闘は野獣的な行為として、そのくせそれを好んで用いる点にかけては人間にかなう野獣は一匹もいない。
トーマス・モア『ユートピア』

69 過ぎてかえらぬ不幸をくやむのは更に不幸を招く近道だ。
シェイクスピア『オセロウ』

70 理性のある動物、人間とは、まことに都合のいいものである。したいと思うことなら、何にだって理由を見つけることも、理窟をつけることもできるのだから。
『フランクリン自叙伝』

71 毎日、自己のきらいなことを二つづつ行うのは魂のためによいことだ。
モーム『月と六ペンス』

72 「青春」大きくて、元気がよくて、愛に溢れて……優美さと、力強さと、魅力に横溢する青春よ、君は知っているか、ひょっとしたら「老年」というやつが君たちに劣らぬ優美さと力強さと魅力をもそなえて君のあとからやってくるのを。
ホイットマン『草の葉』

73 「人はいつも考えているものだよ。」とゲーテは笑いながら言った。「利口になるには年をとらねばいけないとね。だが実のところ、人は年をとると、以前のように賢明に身を保つことは難しくなってくる。
エッカーマン『ゲーテとの対話』

74 死と病気とへの興味は、生への興味の一形態にほかならない。
トーマス・マン『魔の山』

75 「皮肉」と「憐れみ」とはふたりのよき助言者である。前者は、ほほえみながら、人生を愛すべきものにしてくれ、後者は、泣いて、人生を聖なるものにしてくれる。
アナトール・フランス『エピクロスの園』

76 死の事は考えるに及ばない。我々が手伝わなくても、死は我々の事を考えてくれるから。
シェンキェヴィチ『クォ ヴァディス』

77 離れればいくら親しくってもそれぎりになる代わりに、いっしょにいさえすれば、たとい敵(カタキ)同志でもどうにかなるものだ。つまりそれが人間なんだろう。
夏目漱石『道草』

78 千恵子は東京に空がないという、ほんとの空が見たいといふ。
『高村光太郎詩集』「あどけない話」

79 郵便局といふものは、港や停車場と同じく、人生の遠い旅情を思わすところの、悲しい「のすたるぢゃ」(nostalgia)の存在である。
『萩原朔太郎詩集』「郵便局」

80 自然なんぞに本当に美しいと思えるのは死んで行こうとする者の眼にだけだ。
堀辰雄『風立ちぬ・美しい村』

81 恋愛の徴候の一つは彼女は過去に何人の男を愛したか、あるいはどういう男を愛したかを考え、その架空の何人かに漠然とした嫉妬を感ずることである。
芥川竜之介『侏儒の言葉』

82 人々を平和にむかわせる諸情念は、死への恐怖であり、快適な生活に必要なものごとへの意慾であり、かれらの勤労によってそれらを獲得する希望である。
ホップス『リヴァイアサン』

83 人間性は変わるものではありません。わが国将来の一大試練の時にも、今この試練にあっている人々と比べてまったく同じように、弱い者強い者があり、また愚かな者賢い者があり、悪い者善い者がいることでしょう。
『リンカーン演説集』

84 もうこれ以上どのような種類の変更も改善も欲しくない、といえるくらい自分の境遇に満足しきっていられることは、おそらくはただの一瞬間(instant)もまずなかろう。
アダム・スミス『諸国民の富』

85 慣習であるが故に、これをこなすという人は、何らの選択をも行わない。
J・Sミル『自由論』

86 学問には坦々たる大道はありません。そしてただ、学問の急峻な山路をよじ登るのに疲労困憊をいとわない者だけが、輝かしい絶頂をきわめる希望をもつのです。
マルクス『資本論』

87 ながい間の忍耐にみちた研究のあとで、心に証明をあたえてくれるような
結論がとつぜん生まれたときに匹敵するような喜びは、人生にそうたくさんあるものではない。
クロポトキン『ある革命家の手記』

88 「くわ」と「すき」によってホメロスの歌の舞台をあらわすことが、シュリーマンの一生涯の目的であった。
シュリーマン『古代への情熱』

89 生きることは生涯をかけて学ぶべきことである。そして、おそらくそれ以上に不思議に思われるであろうが、生涯をかけて学ぶべきは死ぬことである。
セネカ『人生の短さについて』

90 名誉の悪用やこの世の虚妄について最も多く呼号する者は、最も多く名誉に飢えているのである。
スピノザ『エチカ』

91 名声は川のようなものであって、軽くてふくらんだものを浮かべ、重くてがっしりしたものを沈める。
『ベーコン随筆集』

92 人間のすべての性質のなかで、嫉妬は一番みにくいもの、虚栄心は一番危険なものである。心の中のこの二匹の蛇からのがれることは、素晴らしく
こころよいものである。
ヒルティ『眠られぬ夜のために』

93 さかさまに行かぬ年月よ。老いは、え逃れぬわざなり。
紫式部『源氏物語』

94 我事におゐて後悔せず。
宮本武蔵『五輪書』

95 説き伏せるには大胆な人を、説き勧めるには話のうまい人を、調査や観察には巧妙な人を、おいそれと片づかない仕事には強情な一筋縄では行かない人間を用いるがよい。
『ベーコン随筆集』

96 自由というものは、あの実質的で滋味ゆたかな食物か、あるいはこくのある葡萄酒のようなものであって、それに慣れている丈夫な体質を養い強めるには適しますけれども、それに合わない虚弱できゃしゃな体質を圧倒し、破壊し、酔わせるからです。
ルソー『人間不平等起源論』

97 紙に書かれた思想は一般に、砂に残った歩行者の足跡以上のものではないのである。歩行者の辿った道は見える。だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。
ショウペンハウエル『読書について』

98 人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば「勇ましい高尚なる生涯」であると思います。
内村鑑三『後世への最大遺物・デンマルク国の話』

99 どうして君は他人の報告を信じるばかりで自分の眼で観察したり見たりしなかったのですか。
ガリレオ・ガリレイ『天文対話』

(了)

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