末広帖 461-500


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● 500 書物「心をゆさぶる平和へのメッセージ」について
22 Aug (Sat) 01:37 
From:岡田 次昭 南高 11期  

平成21年6月23日、私は梶が谷駅前の文教堂にて書物「心をゆさぶる平和へのメッセージ」に出会いました。この中で、当時12歳のセヴァン・スズキさんの演説に大いなる興味を惹きました。12歳と言えば、私が中学1年生の頃です。
12歳の少女とは思われない素晴らしい英文を書いております。私にはとてもマネの出来ないことであります。
この書物には、他に村上春樹氏のエルサレム賞受賞スピーチも含まれております。そのほか平和への願いをこめたメッセージも収められております。
この書物に興味を抱かれた方は、これを購入して、一読してください。
出版社は、ゴマブックス株式会社で、定価は、1,050円です。




「セヴァン・スズキさんの紹介」

1992年6月、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された「地球環境サミット」において、当時12歳だったセヴァン・スズキさんが行ったスピーチは、今も伝説として伝えられています。
自然豊かなカナダに生まれ育ったセヴァンさんは9歳で環境学習グループE・C・O(エンヴァイロンメンタル・チルドレンズ・オーガニゼーション・The Environmental Children’s Organization)を設立しました。
11歳の時、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロに各国の首脳や政治家が集い、地球環境に関して20世紀中にやるべきことと、きたる21世紀の指標を決めるこ とを知ります。と同時に、会議の結果によってもっとも利益を受け、またもっとも苦しむのは自分たち子供たちであるはずなのに、未来を担う若者の代表がいな いことも。
セヴァンさんは両親に、友人に、周囲の人々に訴えました。「E・C・Oこそ子どもたちの代表として出席するべきだ」と。すると突然カンパが集まりだしたの です。セヴァンさんたちはさらに資金を集めるため、手作りのお菓子やアクセサリーの販売、イベントの開催などさまざまなアクションをおこしました。
地域の人々も応援をしてくれ、ついには5人の代表が6,000マイル離れたブラジルの地へ旅立つに充分な資金を得ることができたのです。
リオではNGOのブースの一室を借りて、自分たちの活動を熱心にアピールしました。当時のユニセフ議長グラント氏の後押しもあり、セヴァンさんはサミット最終日、「子ども代表」として檀上に立ちました。
わずか6分間という中で、自分が12歳であることを、自分にとって今なにが大切かを、そして将来に恐怖を抱いていることを切々と語りました。
その姿は会場に集まった人々に大きな衝撃と感動を与え、当時米国上院議員だったアル・ゴア氏に「サミットでもっとも重要なスピーチ」と言わしめました。
「戦争に使われているお金を、地球のために使って欲しい」という言葉は、気候変動や地球温暖化への不安が日々増している現在、さらに深く私たちの胸に突き刺さってきます。

(注) 末尾に英文を記載しておきます。
彼女は、1979年生まれです。現在30歳です。

それでは彼女の感動の文章を下記に記載しておきます。

「12歳の少女が伝えた想い」 1992.6.11

(原文のまま)

こんにちは、セヴァン・スズキです。今日はE・C・Oを代表してお話しします。
エコというのは、子ども環境運動(The Environmental Children’s Organization)の略で、カナダに住む12歳から13歳の子どもたちの組織です。
今の世界を変えるために日々活動しています。みなさん大人たちにも、ぜひ生き方をかえてほしい。そうお願いするために自分たちで旅費をため、カナダから6,000マイル(1万キロ)も離れたブラジルの地へやって来ました。
今日の私の話には、なんのたくらみもありません。なぜなら、私が戦っているのは、私自身の未来のためだから。自分の未来を失うことは、株や選挙で2,
3ポイント失うのとはわけがちがうのです。
わたしはここで次世代の子どもたちのために話します。飢えに苦しんでいる世界中の子どもたちに代わって、そして、この星の向こう側で死に絶えようとしている無数の動物たちに代わって、みなさんにお話しします。
オゾン層に穴が空いた今、私は太陽の下に出るのが怖いのです。空気中にどんな化学物質が混ざっているか分からないから、息をすることさえ怖いのです。
数年前、体中をガンにむしばまれた魚に出会うまで、私は父とよくバンクーバーで釣りをしました。でも今、毎日のように動物や植物が絶滅していくのを聞かされます。そして、それらはもう永遠に戻ってはこないのです。
私は人生の中でいつか、野生動物の群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルをこの目で見るという夢を持っています。しかし、私の子どもたちの時代には、 もうそんな夢を持つことさえできないのではないでしょうか? みなさんが私ぐらいの年のころ、そんなことを心配したことがありますか?
こんな大変なことが、目の前で起こっているのに、私たち人間ときたら、まるで欲しいだけの時間と余裕があるようにのんびりしています。私はまだ子どもです。この危機を救うために何をしたらいいのかよく分かりません。
でも、みなさん大人にも知ってほしいのです。みなさんだってこの危機を救う解決策など持っていないということを。
オゾン層にあいた穴をふさぐ方法を、みなさんは知らないでしょう。死んだ川にサケを呼び戻す方法をみなさんは知らないでしょう。
絶滅した動物を生き返らせる方法を、みなさんは知らないでしょう。
そして、今や沙漠となってしまった場所に豊かな森をよみがえらせることはできないのです。修復する方法がわからないものを、壊しつづけるのはもうやめてください。
ここにいらっしゃるみなさんは、政府、企業、団体などの代表であり、あるいは報道関係者か政治家かもしれません。でも、その前にみなさんはだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、叔母であり、叔父なのです。
そしてみなさんのだれもが、だれかの子どもなのです。
私はまだ子どもですが、それてもここにいる私たちみんなが大きな家族の一員であることを知っています。50億以上の人間からなる大家族です。いいえ、同じ 空気、同じ水、同じ大地を分けあう3千万種類の生物からなる大家族です。国境や各国の政府がどんなに私たちを分けへだてようとしても、このことは変えよう がありません。私はまだ子どもですが、この大家族が一丸となって、ひとつの目標に向けて行動しなければならないことを知っています。私は怒っています。で も、けっして自分を見失ってはいません。私は恐れています。でも、自分の気持ちを世界中に伝えることは恐れません。
私の国ではたくさんのむだ使いをしています。モノを買っては捨て、また買っては捨てています。そして消費をしつづける北側の国々は貧しい国々と富を分かち あおうとしません。充分すぎるほど物を持っているのに、私たちは自分の富を、ほんの少しでも失うのが怖いのです。カナダに住む私たちは豊かな食物と水、住 まいを持ち、めぐまれた生活をしています。時計、自転車、コンピューター、テレビ………すべて持っています。
2日前、ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと短い時間ですが一緒に過ごし、私たちはショックを受けました。ひとりの子どもが私たちにこう言ったのです。
「ぼくがお金持ちだったらいいのに。そうしたら家のないこどもみんなに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに」と。
何ひとつ持っていない路上の子どもが、人と分かちあうことを考えているのに、何でも持っている私たちがこれほど欲ばりなのは、いったいなぜなのでしょう。
私は彼らが私と同じぐらいの年だということを、そして、どこに生まれたかによって、こんなにも人生に差が生じてしまうことを考えずにはいられません。私は リオの貧民窟に住む子どものひとりだったかもしれないのです。ソマリアで飢えていたかもしれないし、中東の戦争で犠牲になっていたかもしれないし、インド で乞食をしていたかもしれないのです。
私はまだ子どもです。けれど、もし戦争に使われるお金をすべて、貧困と環境問題の解決策を見いだすために使えば、この地球はどんなにすばらしい星になるか知っています。
学校で、いえ、幼稚園でさえ、みなさん大人はわたしたちに、世の中でどうふるまうかを教えてくれます。
たとえば、
・他人と争わないこと
・他人に敬意を払うこと
・ちらかしたら片づけること
・他の生き物を傷つけないこと
・欲張らないこと
なのに、なぜ、みなさんはわたしたちにするなと言うことをしているのですか。
今日、なぜみなさんがこうした会議に出席しているのか、どうか忘れないでください。それはみなさんの子ども、つまり私たちのためです。みなさんが決めているのです。私たちがこれからどんな世界で成長しくのかを
親たちはよく「だいじようぶ。すべてうまくいくよ」と言って、子供たちをなぐさめます。「最善を尽くしているから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」とか。しかし、私はもはや大人たちはこのようなことを言えるとは思えません。
お聞きしますが、私たち子どもの将来を何よりも優先して考えていますか?
父はいつも私に不言実行、つまり、なにを言うかではなく、なにをするかだ、といいます。でも、みなさん大人がしていることのせいで、私たち子どもは夜ごと泣いているのです。
みなさんはいつも私たちを愛しているといいます。でも、私はみなさんに問いかけたい。もしその言葉が本当ならば、どうか行動でしめしてくださいと。
最後までお聞きくださってありがとうございました。
                       セヴァン・スズキ

1992.6.11 ブラジル リオ・デ・ジャネイロにて

(英文)
Hello, I'm Severn Suzuki speaking for E.C.O. - The Environmental Children's organization.
We are a group of twelve and thirteen-year-olds from Canada trying to make a difference: Vanessa Suttie, Morgan Geisler, Michelle Quigg and me. We raised all the money ourselves to come six thousand miles to tell you adults you must change your ways. Coming here today, I have no hidden agenda. I am fighting for my future.
Losing my future is not like losing an election or a few points on the stock market. I am here to speak for all generations to come.
I am here to speak on behalf of the starving children around the world whose cries go unheard. I am here to speak for the countless animals dying across this planet because they have nowhere left to go. We cannot afford to be not heard.
I am afraid to go out in the sun now because of the holes in the ozone. I am afraid to breathe the air because I don't know what chemicals are in it.
I used to go fishing in Vancouver with my dad until just a few years ago we found the fish full of cancers. And now we hear about animals and plants going extinct every day - vanishing forever.
In my life, I have dreamt of seeing the great herds of wild animals, jungles and rainforests full of birds and butterflies, but now I wonder if they will even exist for my children to see.
Did you have to worry about these little things when you were my age? All this is happening before our eyes and yet we act as if we have all the time we want and all the solutions.
I'm only a child and I don't have all the solutions, but I want you to realize, neither do you!
You don't know how to fix the holes in our ozone layer. You don't know how to bring salmon back up a dead stream. You don't know how to bring back an animal now extinct. And you can't bring back forests that once grew where there is now desert. If you don't know how to fix it, please stop breaking it!
Here, you may be delegates of your governments, business people, organizers, reporters or politicians - but really you are mothers and fathers, brothers and sister, aunts and uncles - and all of you are somebody's child.
I'm only a child yet I know we are all part of a family, five billion strong, in fact, 30 million species strong and we all share the same air, water and soil - borders and governments will never change that.
I'm only a child yet I know we are all in this together and should act as one single world towards one single goal. In my anger, I am not blind, and in my fear, I am not afraid to tell the world how I feel.
In my country, we make so much waste, we buy and throw away, buy and throw away, and yet northern countries will not share with the needy. Even when we have more than enough, we are afraid to lose some of our wealth, afraid to share.
In Canada, we live the privileged life, with plenty of food, water and shelter - we have watches, bicycles, computers and television sets.
Two days ago here in Brazil, we were shocked when we spent some time with some children living on the streets. And this is what one child told us: "I wish I was rich and if I were, I would give all the street children food, clothes, medicine, shelter and love and affection."
If a child on the street who has nothing, is willing to share, why are we who have everything still so greedy? I can't stop thinking that these children are my age, that it makes a tremendous difference where you are born, that I could be one of those children living in the Favellas of Rio; I could be a child starving in Somalia; a victim of war in the Middle East or a beggar in India.
I'm only a child yet I know if all the money spent on war was spent on ending poverty and finding environmental answers, what a wonderful place this earth would be!
At school, even in kindergarten, you teach us to behave in the world. You teach us:
not to fight with others,
to work things out,
to respect others,
to clean up our mess,
not to hurt other creatures
to share - not be greedy
Then why do you go out and do the things you tell us not to do?
Do not forget why you're attending these conferences, who you're doing this for - we are your own children.
You are deciding what kind of world we will grow up in. Parents should be able to comfort their children by saying "everything's going to be alright', "we're doing the best we can" and "it's not the end of the world".
But I don't think you can say that to us anymore. Are we even on your list of priorities? My father always says "You are what you do, not what you say."
Well, what you do makes me cry at night. you grown ups say you love us. I challenge you, please make your actions reflect your words.
Thank you for listening.
(7,752字)

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● 499 書物「戦国武将名言録」について
22 Aug (Sat) 01:34 
From:岡田 次昭 南高 11期  

この書物の「まえがき」において、著者・楠戸義昭氏は次のように述べています。
『「戦国は人を磨く」これは作家、吉川英治の言葉である。この言葉は小説「上杉謙信」のなかで述べられる。「政略、用兵、経済、器能の働きはもちろん、自 然の山川・原野を駆使し、月白烈日の光線を味方とし、暗夜暁闇の利を工夫し、雲の去来、風の方向、寒暑湿乾の気温気象にいたるまでのあらゆる万象を動員し てそれに機動を与え、生命を吹き込み、そして【我が陣】となす中心のものは人間である。人間の力でしかない。」と記して、だから戦国は人を磨くのだとい い、また磨かなければ生きては行けなかったことを力説する。こうした戦国の世を生きた武将達の一言々々には、魂のこもる言葉が多く、現代を生きる我々に多 くの指針を与えてくれる。』
(注)器能という言葉は、日本語の辞書には載っておりません。作者の造語と考えられます。

この文庫本は434ページもありますので、すべてを紹介することはできません。このうち私の興味を惹く言葉のみを抽出しました。この中には、織田信長の 「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか。」また、本多重次の「 一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな  馬肥やせ」など人口に膾炙した言葉も含まれております。
これらの言葉を見て、当時の時代背景を頭に浮かべることができる方はかなり歴史に精通している方とお見受けします。
なお、戦国武将名言毎に詳しい解説がなされております。興味をお持ちの方はこれを購入して一読してください。当時の武将の考え方や気持ちが伝わってきます。
この書物の発行所は、PHP研究所です。価格は税込みで720円です。



(原文のまま)

T. リーダーとして将はいかにあるべきか。

01 われは兵をもって雌雄を戦いで決せん。塩をもって敵を苦しめることはせぬ。
(上杉謙信「武将感状記」)

02 大将たる人は、威厳というものがなくては、万人を押さえることができぬ。さりながら、悪く心得て、威張って見せ、下を押さえ込もうとするのは、かえって大きな害である。
(黒田如水「黒田如水教諭」)

03 人の上に立つ主人たるべき者は、不動明王と愛染明王のごとくあれかし。
(朝倉敏景「朝倉敏景十七箇条」)


04 氏政が食事をするのを見るに、一飯(イッパン)に汁を二度かけて食べた。汁をかける見積もりもできず、二度かけるのは不器用だからだ。朝夕の食べることでさえ、こうなのだから一皮うちにある人の心腑を見積もり、人の目利きをすることなどできぬであろう。
(北條氏康「武者物語」)

05 大将たる者は、家臣に慈悲の心をもって接することが、最も重要である。
(武田信玄「甲陽軍艦」)

06 およそ下の者は上の者を学ぶ。大将がくつろげば、下は大いに怠けるものなので、いつも陣法を厳しくすることだ。上に立つ一人の心が下万民に通ずるとは、このことである。
(加藤清正「常山紀談」)

07 その身は若輩であるが、小姓頭をも任じた者に、脇差しの鞘で頭を殴ったことは、それがしの誤りだ。
(伊達政宗「正宗の小姓頭への手紙」)

08 秀吉の言葉には一言の表裏もない。この故に自分は天道にかなう者なのである。
(豊臣秀吉 「小田原征伐の宣言書」)

09 家臣には情けを深くし、知行を賜るべし。知行ばかりを与えても、情けがなければうまく行かない。知行と情けは車の両輪である。鳥の両翼と同じで、どちらが欠けてもだめである。
(蒲生氏郷「伊藤半五郎への手紙)

10 われ、天下を競望せず。
(毛利元就「吉川文書」)

11 さてさて嬉しきことかな。彼の者どもは首を切ってもまだ足りない憎き者たちである。それが死んでも行くべき所にいかず、迷いめぐって幽霊となり、苦しんで浮かばれもしないとは良いことだ。長く幽霊のままでおるがよい。
(鍋島直茂 「葉隠」)

12 律儀を旨とし、智少なく勇のみある者は単騎の役にはよいが、大将の器ではない。数千の将たる者は、自分の小勇を事とせず、智計において、人より勝る士でなければだめである。智勇あわせ持たずに、どうして数千の軍兵を指揮できようか。
(吉川元春「名将言行録」)

13 仁義礼智信、一つでも欠ければ、諸々の道は成就しがたい。
(藤堂高虎 「息子高次への遺書」)

14 大将の要害は徳にあり。徳あるところ、天下これに帰す。
(大谷吉継 「名将言行録」)

15 予はケチだから麦飯を食べるのではない。いまが戦国の時であって兵役の動かぬ年はない。士卒は心身を休める暇がなく、衣食も不自由がちなのに、なぜ予一人が贅沢できよう。しかも身のまわりを倹約して、これを軍用費に回すためである。
(徳川家康 「武将感状記」)

U. 組織経営のあり方

01 人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 讐(アダ)は敵なり
(武田信玄 「甲陽軍艦」)

02 信長公の御不幸には、とかくいうべき言葉もございません。歎き、悲しみは、きわめてごもっともでございまする。ところでこの世の中で結局、あなた様が天下の実権を取る絶好の機会ではござりませぬか。
(黒田如水 「黒田家譜」)

03 国に法度を立てることは、すなわちわが心の邪正賢愚を表す道である。無道の法を置けば亡国の発端となる。その国に入ってその政治を聞けば、国主の心を知ることができる。
(毛利元就 「永禄聞書」)

04 要害がいかように堅固であっても、人の心が一つでなければ、要害堅城も物の用をなさない。それを分かって欲しく、稲葉山城を乗っ取ったまでで、御殿(オントノ)に御諫言の上、お返しする心づもりでござる。
(竹中半兵衛重治 「武功夜話」)

05 某(ソレガシ)一人の口ならばいかようにもなりましょう。だが四人に打ち明けたとなれば、その口をとめるのは難しくございます。信長公を恨まれるよう に、かの四人のうち、もしも光秀様をお恨みに申すことができた時、天罰は逃れられません。それが是であれ非であれ、思い通りに事をなしましょう。明日に移 せば一大事になりましょう。
(明智秀満 「備前老人物語」)

06 われは都に近い所に、小さな国を一つ賜れば、ついに天下に旗を揚げることが出来たのに、いま大録をもらっても辺鄙な地に捨てられて何が出来よう。天下を取ろうとの志が空しくなったので、思わず涙が流れたのだ。
(蒲生氏郷 「常山紀談」)

07 たとえ予の息子(鶴松)が蘇生し、予の足下に平伏し、多くの涙を流し、父の慈愛にすがってこの企てを断念するように嘆願してもけっして聞き容れはせぬ。
(豊臣秀吉 「フロイスの日本史」)

08 信長の代、五年や三年は持つでありましょう。来年あたりは公家などになるだろうとお見受けしました。そうあって後、高転びにあお向けに転ばれるでしょう。籐吉郎(秀吉)は「さりとては」の者でございます。
(安国寺恵瓊 「安国寺恵瓊の手紙」)
(注)「さりとては」とは、驚きの気持ちを表す「なんとまあ」という感じです。

09 ともかく金を持てば、人も世の中もおそろしく思わぬものだ。逆に一文なしなれば、世の中もおそろしいものである。
(前田利家 「亜相公御夜話」)

10 謙信の時より先陣の下知をして、指揮旗を取りたる手に、かかる賤しい物を取れば汚れるゆえ、扇に載せ申した。
(直江兼続 「常山紀談」)
(注) 賤しい物とは、金銭のことです。

11 金銀を用いるべき事に用いなければ、石瓦と同じである。
(黒田如水 「黒田家譜」)

12 島左近一人を呼び出し、録の半分を分けて、二万石を与えました。
(石田三成 「常山紀談」)

V. 学問、趣味、身だしなみ

01 少しでも暇があれば、物の本を見、文字のある物を懐に入れて、常に人目を忍んで見るようにせよ。
(北条早雲 「早雲寺殿廿一箇条」)

02 学問に精を入れよ。兵書を読み、忠孝の心掛けをもっぱらにせよ。詩を作り、歌を詠んではならぬ。心に華の風流があっては、気弱になり、いかにも女のように なってしまう。武士の家に生まれたからには、太刀をとって死ぬことこそ本意である。普段から武士道についてよく熟慮していなければ、いさぎよく死ぬことが 出来ぬから、心に刻んでおくことが肝要である。
(加藤清正 「加藤清正 掟書」)

03 武道ばかりを本としてはならない。文武二道に通じた侍は稀だが、物事の道理をわきまえた、品位ある者を見たり聞いたりして探し出し、新参であっても情けをかけて召し仕えさせた方がいい。
(前田利家 「利家遺言状」)

04 しかるに、治世において大将軍幕府ということを忘れて、公家のようになり、詩を作り歌を詠み、管絃・舞楽を事とすれば、己が家の柱が朽ちるのを知らないで、大風雨に遭って家を滅ぼすことになる。
(徳川家康「武野燭談」)

05 ちっとも料理心のない者は、情けない心の持ち主である。
(伊達政宗 「政宗公名語集」)

06 我は酒が飲めぬから、かように長生きなのだ。酒を飲まなければ、七十、八十まで健康でいられて、目出度いことだ。
(毛利元就 「尾崎局への手紙」)

W. 妻女へ贈る言葉

01 明日、輿を遣わすから、差し障りなきように移されよ。
(織田信長 「武功夜話」)

02 この度の陣で白髪がめっきり増えて、いちいち抜くこともかなわなくなってしまった。そなたにお目にかかるのが恥ずかしい。
(豊臣秀吉 「北政所おねへの手紙」)

03 内をば母親が治め、外をば父親が治めると申す金言は、ちっとも間違っていない。
(毛利元就 「嫡子隆元への手紙」)

0 屋形様が諏訪頼重の息女を側女にすることを諏訪の人々は喜び、そのお腹に御曹子ができたら、諏訪の家を再興できるかもしれぬと望みをかけ、武田譜代の人たちに劣らぬ奉公をするでしょう。頼重の息女を召されるのは結構なことと存じます。
(山本勘助 「甲陽軍艦」)

05 一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ
(本多重次 「陣中から妻への手紙」)

X. 生きるということ

01 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し、いそぐべからず。
(徳川家康 「東照公御遺訓」)

03 およそ人は一生のうち三段の変わり目があり、大事なことである。まず十七、八歳の時は友にしたがって悪く変わることがある。三十歳の時分は物ごとに慢心が 生じて、老巧の者をも何とも思わぬ心が生まれる。四十歳の時分は物ごとに退屈し、不平・不満の心が出て悪くなるものだ。この三度の節目で変わらない者がよ き人である。
(徳川家康 「武功雑記」)

04 人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか。
(織田信長 「信長公記」)

05 たとえ大大名たりとも、心のままにならなければ、賤しい男となんら変わりはない。
(前田慶次 「常山紀談」)

06 弓を見よ。敵ある時は重宝この上ない。だが国が治まっている時は袋に入れ土蔵に納まっている。我は弓である。乱世には役に立つ。いま平和の世なれば、川中島の土蔵に入れられたのだ。
(福島正則 「名将言行録」)

08 勢いすでにここに至る。これを如何にすることもできぬ。貴殿と死を同じくしよう。
(大谷吉継 「名将言行録」)

Y. 人生のフィナーレにおいて

01 葬儀は無用である。わが遺骸は諏訪の湖へ具足を着けて、三年後の命日に沈めよ。
(武田信玄 「甲陽軍艦」)

02 馬上少年過ぐ 世平らかにして白髪多し 残軀天の許す所 楽しま不れば(タノシマザレバ)復(マタ)如何せん
(伊達政宗 「名将言行録」)

03 是非に及ばず。
(織田信長 「信長公記」)

04 露と落ち露と消えにしわが身かな 難波のことも夢のまた夢
(豊臣秀吉 「辞世の句」)

05 当方滅亡
(太田道灌 「太田資武状」)

06 大義を思う者は、首をはねられる瞬間まで、命を大事にするものだ。
(石田三成 「茗話記」)

07 人世七十 (ジンセイシチジュウ)  力囲希咄 (リキイキトツ)
吾這宝剣 (ワガコノホウケン)  祖仏共殺 (ソブツトモニコロス)
提る我得具足の一太刀 (ヒッサグルワガエグソクノヒトタチ)
今此時ぞ天に抛つ (イマコノトキゾテンニナゲウツ)
(千利休 「辞世の偈と短歌」) 
(注)偈はゲと読みます。
偈は「人生七十年を生きて、大事を悟った時に発するエイ、エイという呼び声を上げて、宝剣で仏陀も自分も殺すぞ」という意味です。短歌は「一番使い勝手の いい太刀を手にして、今この時、身体もろとも天に放り投げて、断ちきるのだ」ということで、偈と同じ意味になります。

08 四十九年一睡夢 (ヨンジュウキュウネンイッスイノユメ)
一期栄華一盃酒 (イチゴノエイガイッパイノサケ)
(上杉謙信 「上杉米沢家譜」)

09 定めのない浮き世なので、一日先は知りませぬ。我々のことなどは、浮き世にあるものと思わないでください。
(真田幸村 「姉の嫁ぎ先への手紙」)

10 死にともな鳴呼(アア)死にともな死にともな 深き御恩の君を思えば
(本多忠勝 「嫡子忠朝に残した辞世」)

Z. 戦いに臨んでの腹のくくり方

01 戦いは五分の勝ちをもって上となし、七分を中とし、十を下とする。
(武田信玄 「甲陽軍艦」)

02 思慮のない人も、思慮のある人も功名を立てる。思慮のある人の功名は、士卒を下知して大きな功名をなしえる。思慮のない人は槍一本の功名であって、大きな事はできぬ。
(本多忠勝 「常山紀談」)

03 この顔を踏みつけて、鏃(ヤジリ)を抜け。草鞋のままで苦しからず。
(山内一豊 「一豊公紀」)

02 吾が敵は本能寺に在り。
(明智光秀 「日本外史」)

05 わが家には銀の冑を着た兵がいて、戦いの度毎に真っ先に進み出てよく働いている。この男に劣らず振る舞うようにいたせ。
(蒲生氏郷 「常山紀談」)

06 老武士のため、伊吹山の大山を越え難し。たとえ討たれるといえども、敵に向かって死すべきと思う。
(島津義弘 「惟新公自記」)
(注)敵中突破の際の心境を詠んだ歌「急ぐなよ又急ぐなよ世の中の 定まる風の吹かぬ限りは」

07 天運すでに窮まる。戦うというも負けは明らかなり。我もここに戦死しよう。義弘公は兵を率いて薩摩に帰られよ。国家の存亡は公の一身にかかれり。
(島津豊久 「惟新公関原御合戦記」)

08 われは汝が二心のあるのを知らなかったことは愚かだった。だが約束を違え、義を捨てて、人を欺いて、裏切ったのは、武将の恥辱、末の世までも語り伝えて笑うべし。
(石田三成 「常山紀談」)

09 すでに時は失いぬ。
(島左近 「常山紀談」)

10 我、ここにて天下の勢を引き受け、百分の一にも対し難き人数をもって防ぎ戦い、目覚ましく討ち死にせん。
(鳥井元忠 「名将言行録)

11 大悪日だから出陣するのだ。われの本意は二度とここに帰らないことにある。
(福島政則 「武将感状記」)

12 天下の治乱は天気のようなものなり。
(加藤清正 「常山紀談」)

13 戦いは兵が多いか少ないかで決まるものではなく、一つにまとまっているかどうかである。人数が多いからといって勝利できるものではない。
(立花宗茂 「名将言行録」)

14 浮ついた気持ちを捨て、腰をくくれ。敵の首を取るも、また各々が首を取られるも、ただ今この時の心構え一つにあり。
(山中鹿助幸盛 「太閤記」)

15 身分の低い武士が具足をあつらえる時、胴・籠手そのほかは粗末でもいいが、冑には念を入れる心得が必要だ。なぜなら討ち死にをした時、冑は首と一緒に敵の手に渡るからである。
(徳川家康 「常山紀談」)

(了)

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● 498 書物「ことばの花束」について
07 Aug (Fri) 01:01 
From:岡田 次昭 南高 11期  

先日、書棚を整理しておりますと、1992年11月に購入した書物「ことばの花束」が目に止まりました。今から16年も前のものです。書物は古くなりましても、素晴らしい言葉は時間に関係なく、生き続けております。
岩波文庫編集部編が岩波文庫の名著・名作から心弾かれる印象深い言葉を選び出して、365を収録しております。
カバー裏に「するどい思想、奥深い表現は、短いことばに凝縮されていっそう鮮烈なきらめきを放ちます。岩波文庫の名著群から、そうした心に残る言葉の数か ずを選りだしました。本格派におくるこのアンソロジーは、古典の宝庫へのまたとない鍵となるにちがいありません。」と書かれております。
さすが、岩波文庫からの抜粋につき、難しい言葉も含まれております。いずれも人生の指針となる言葉に溢れております。
とりわけ、次の言葉は身に沁みます。

09 今日(コンニチ)存ずるとも明日(ミョウニチ)もと思うなかれ。死の至ってちかくあやふきこと脚下にあり。
懐奘(エジョウ)「正法眼蔵随聞記」

70 人生を大切に思うと言われるのか。それならば、時間をむだ使いなさらぬがよろしい。時間こそ、人生を形作る材料なのだから。
「フランクリン自伝」

それでは、その主なものを下記に記載しておきます。



(原文のまま)

01 世はさだめなきこそいみじけれ。
兼好法師「徒然草」

02 秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず。
世阿弥「風姿花伝」
03 文明とは人の身を安楽にして心を高尚にするを云ふなり、衣食を饒(ユタカ)にして人品を貴くするを云ふなり。
福沢諭吉「文明論之概略」

04 肉体と知能と霊魂、これら三つのものの自然的発達をば維持して行くがため、言い換うれば人々の天分に応じてこれら三つのものをばのびるところまでのびさして行くがため、必要なだけの物資を得ておらぬ者があれば、それらの者はすべてこれを貧乏人と称すべきである。
河上肇「貧乏物語」

05 人生には笑ってよいことが誠に多い。しかも今人(コンジン)はまさに笑いに餓えている。
柳田国男「不幸なる芸術・笑いの本願」

06 人に百歳の寿なく、社会に千載の生命なし。
徳富蘇峰「吉田松陰」

07 人の患(ウレイ)は、好んで人の師となるにあり。
「孟子」

08 知ることがむつかしいのではない。いかにその知っていることに身を処するかがむつかしいのだ。
司馬遷「史記列伝」

09 今日(コンニチ)存ずるとも明日(ミョウニチ)もと思うなかれ。死の至ってちかくあやふきこと脚下にあり。
懐奘(エジョウ)「正法眼蔵随聞記」

10 遠くて近きもの 極楽。舟の道。人の中。
清少納言「枕草子」

11 双六の上手といひし人に、その手立てを問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり」
兼好法師「徒然草」

12 すべて、女は、やはらかに、心うつくしきなむ、よき人。
紫式部「源氏物語」

13 金銭は肥料のようなものであって、ばら蒔かなければ役には立たない。
「ベーコン随筆集」

14 誰がそういったか、をたずねないで、いわれていることは何か、に心を用いなさい。
トマス・ア・ケンビス「キリストにならいて」

15 武力によって敵を制する者は、その半ばを制するにすぎない。
ミルトン「失楽園」

16 書物はそれが書かれたとおなじくじっくりと慎み深く読まれなければならない。
ソーロー「森の生活」

17 人間の幸福というものは、時たま起こるすばらしい幸運よりも、日々起こって来る些細な便宜から生まれるものである。
「フランクリン自伝」

18 人間はどんな荒唐無稽な話でも、聞いているうちに自然とこれがあたりまえと思うようにできている。そして、それがすでにしっかりと根を下ろしてします。だから、これを削ったり抹殺したりすると、とんでもない目にあう。
ゲーテ「若きヴェルテルの悩み」

19 だまっている奴は物騒だ。騒ぎ立てる奴はそうでもない。
ラ・フォンテーヌ「寓話」

20 幸福だけの幸福はパンばかりのようなものだ。食えはするがごごちそうにはならない。むだなもの、無用なもの、よけいなもの、多すぎるもの、何の役にもたたないもの、それがわしは好きだ。
ユーゴー「レ・ミゼラブル」

21 「それが女というものの本性じゃ」と、ドン・キホーテ。「慕いよる者をさげすみ、いやがる者を慕うのがな」
セルバンテス「ドン・キホーテ」

22 花開けば風雨多く 人生 別離足し(オオシ)
「唐詩選」

23 のんきと見える人々も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする。
夏目漱石「吾輩は猫である」

24 美しき花もその名を知らずして文にも書きがたきはいと口惜し。
正岡子規「墨汁一滴」

25 まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり
「藤村詩抄」

26 小説だろうと、芝居だろうと、読者、見物人に人気のあるのは女だ。それもうら若い女にかぎる。ところで世阿弥は女は女でも百とせの老女ばかりを扱って、それがいずれもただ者ではない。
野上弥生子「迷路」

27 誰だって忘れたいと思うさ。いろんなつらいこと、不愉快なことは。忘却は民衆の知恵だっていう言葉もあるくらいだ。
「木下順次戯曲選」

28 あすもまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、来ないのだ。それは、わかっている。けれども、きっと来る、明日は来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。
太宰治「富嶽百景・走れメロス他八選」

29 君、時というものき、それぞれの人間によって、それぞれの速さで走るものなのだよ。
シェイクスピア「お気に召すまま」

30 恋人として男と女がちがう点は、女は一日じゅう恋愛をしていられるが、男はときどきしかできないということである。
モーム「月と六ペンス」

31 男はしばじはひとりになりたいと思う、女もひとりになりたいと思う、そしてその二人が愛しあっているいるときは、そういう思いを互いに嫉妬するものだ。
ヘミングウェイ「武器よさらば」

32 およそ人の頭脳は三通りある。第一は自分で判断をつけるもの、第二は他人の考えが判るもの、第三は自分でも判らず、他人の考えも解らぬもの。第一はもっとも優れ、第二も善く、第三は無能である。
マキャヴェッリ「君主論」

33 人間の最も基本的な分類として、〈知を愛する人〉、〈勝利を愛する人〉、
〈利徳を愛する人〉、という三つの種類がある。
プラトン「国家」

34 人は、つねに自分の幸福を望むものだが、つねに幸福を見分けることができるわけではない。
ルソー「社会契約論」

34 読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。
ショウペンハウエル「読書について他二篇」

35 一人が死に一人が生きのこっているときにこそ、友情がどんなものであったかが知られる。一人が富み一人が貧しいときにこそ、交わりの態度がどうであるかが知られる。一人が地位高く一人が身分賤しいときにこそ、本当の友情であるかどうかが明らかになる。
司馬遷「史記列伝」

36 子曰く、書は言を尽くさず、言は意を尽くさずと。
「易経」

37 学者とは書物を読破した人、思想家、天才とは人類の蒙をひらき、その前進を促す者で、世界という書物を直接読破した人のことである。
ショウペンハウエル「読書について他二篇」

38 子孫のために計画を立てる場合、美徳は相続されないということを忘れてはならない。
トーマス・ペイン「コモン・センス他二編」

39 死に至る病とは絶望のことである。
キェルケゴール「死に至る病」

40 蛇のように賢く、鳩のように純真であれ。
「新約聖書 福音書」

41 人は、青春のあやまちを老年に持ち込んではならない。老年には老年自身の欠点があるのだから。
エッカーマン「ゲーテとの対話」

42 愛は自己への獲得である。愛は惜しみなく奪うものだ。愛せられるものは奪われてはいるが不思議なことには何物も奪われてはいない。しかし愛するものは必ず奪っている。
有島武郎「惜みなく愛は奪う」

43 武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない、どの路でも足の向く方へゆけば必ずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。
国木田独歩「武蔵野」

44 この世は無常迅速というてある。その無常の感じは若くてもわかるが、迅速の感じは老年にならぬとわからぬらしい。
倉田百三「出家とその弟子」

45 年をとって困ることは、つい自分の今の気持ちに溺れることでございます。あるお人の前では何を言ってはならない、あるお人には、その人の今の気持ちをいたわってあげなければならないという、自分への戒めが弛みがちになります。
伊藤整「変容」

46 友とするに悪き者(ワロキモノ)、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人。四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇める兵(ツワモノ)。六つには、虚言(ソラゴト)する人。七つには、欲深き人。
兼好法師「徒然草」

47 吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳従う。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず(ノリヲコエズ)。
「論語」

48 人生は短く、金はすくない。
ブレヒト「三文オペラ」

49 子供の難渋は母の心を動かし、若い男の難渋は若い娘の心を動かすが、老人の難渋はだれからも顧みられないものである。
ユーゴー「レ・ミゼラブル」

50 わたしたちは、いわば、二回この世に生まれる。一回目は存在するために、二回目は生きるために。
ルソー「エミール」

51 一番大切なことは単に生きることそのことではなくて、善く生きることである。
プラトン「ソクラテスの弁明・クリトン」

52 怒りには、死ぬまで、年老いることがない。
ソボクレス「コロノスのオイディプス」

53 本心を打ち明ける友人を持たない人々は、自分自身の心を食べる食人種である。
「ベーコン随想集」

54 友たるものは、推察と沈黙の術にすぐれた者であらねばならない。
ニーチェ「ツァラトゥストラはかく語りき」

55 一袋の智慧は一つなぎの真珠にまさる。
「旧約聖書」

56 孤独というものは、時として最上の交際でもあるし、しばしの別離は再会をいっそう快いものにする。
ミルトン「失楽園」

57 老人は眠ることが少ないが、ながく生命と連れそったために、死をおもわせるような何ものとも交わりたくないというのでもあろうか。
メルヴィル「白鯨」

58 財産の貧乏を治すことはやさしいが、精神の貧乏を治すことはできない。
モンテーニュ「エセー」

59 人類は、自分にとって幸福に思われるような生活をたがいに許す方が、他の人々が幸福と感ずるような生活を各人に強いるときよりも、得るところが一層多いのである。
J・S・ミル「自由論」

60 総じて人は己に克つを以て成り、自ら愛するを以て破るゝぞ。
西郷隆盛「西郷南洲遺訓」

61 徳川時代の司法権は各藩が持っている。したがって刑法にも、藩ごとの掟がある。だが、死刑だけは、幕府のゆるしがないと執行できなかった。
服部之総「黒船前後・志士と経済他十六編」

62 未だ生を知らず、焉んぞ(イズクンゾ)死を知らん。
「論語」

63 人が生まれたときには、実に口の中には斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を切り割く(キリサク)のである。
「ブッタのことば」

64 かのターヘル・アナトミアの書にうち向ひしに、誠に艫舵(ロカジ)なき船の大海に乗り出せしが如く、茫洋として寄るべきかたなく、ただあきれにあきれて居たるまでなり。
杉田玄白「蘭学事始」

65 親鸞は弟子一人ももたずさすらふ。
唯円「歎異抄」

66 「知は力なり。」とんでもない。きわめて多くの知識を身につけていても、少しも力をもっていない人もあるし、逆に、なけなしの知識しかなくても、最高の威力を揮う人(フルウヒト)もある。
ニーチェ「ツァラトゥストラかく語りき」

67 勇気と節操を持っている人たちは、ほかの人たちからみると、いつだって非常にきみのわるいものさ。
ヘルマン・ヘッセ「デミアン」

68 私が結晶作用というのは、次々に起るあらゆる現象から、愛するものの新しい美点を発見する精神作用のことである。
スタンダール「恋愛論」

69 男性は知っていることを言うが、女性は人を喜ばせることを言う。
ルソー「エミール」

70 人生を大切に思うと言われるのか。それならば、時間をむだ使いなさらぬがよろしい。時間こそ、人生を形作る材料なのだから。
「フランクリン自伝」

71 「これが最悪」などと言える間は、まだ実際のどん底なのではない。
シェイクスピア「リア王」

72 私の理論によって批判されるのは、臆病や不精や怠惰によって漫然と不法を甘受する態度だけである。
イェーリング「権利のための闘争」

73 世界は偉人たちの水準で生きることはできない。
フレイザー「金枝編」

74 女と申すものは、下着とともに、恥じらいの心をも脱ぎ去るものでございます。
ヘロドトス「歴史」

75 あることをなしたために不正である場合のみならず、或ることをなさないために不正である場合も少なくない。
マルクス・アウレーリウス「自省録」

76 すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する。
アリストテレス「形而上学」

77 人生の時間は、自分の召命を「確実にする」ためには、限りなく短くかつ貴重である。
ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」

(了)

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● 497 映画「劔岳 点の記」について
07 Aug (Fri) 12:55 
From:岡田 次昭 南高 11期  

この映画は、新田次郎原作「劔岳 点の記」に基づき、制作されました。日本地図完成のために命をかけた男達の記録で、実話に基づいております。
監督兼撮影をした木村大作氏は200日にも及ぶ現場撮影をしております。時には零下40度超の厳冬の中や風雪・雪崩の場面を本当に体感したかのようにうま く撮影しております。それにヴィヴァルディーの「四季」やバッハの「G線上のアリア」を組み入れた音響効果と大自然を余すところなく撮影し、想像以上の大 迫力のある映画に仕上げております。山の映画としては、最高傑作の一つに数えることができます。
この映画のあらすじは次の通りです。
日露戦争は1905年(明治38年)9月5日に終了しました。その翌年、大日本帝国陸軍は国防のため日本地図の完成を急いでおりました。陸軍参謀本部陸地 測量部の測量手・柴崎芳太郎(淺野忠信)は最後の空白地点を埋めるため「陸軍の威信にかけて、劔岳の初登頂と測量を果たせ」と大久保少将(笹野高史)より 厳命されます。
立山連峰に屹立する2,990メートルの劔岳は、弘法大師が3,000足の草鞋を費やしても頂上まで到達することは出来なかったと噂されておりました。そ れに、この劔岳は古来その険しさから「針の山」、宗教上の理由から登ってはならない「死の山」と言われてきた前人未踏の山です。
立山連峰に屹立する劔岳は、過去多くの優秀な測量部員が挑戦するも未踏峰のままでした。創設間もない日本山岳会も、海外から取り寄せた最新の登山道具を装 備して登頂を計画している事を知った陸軍の大久保少将は「けっして日本山岳部に負けてはならぬ」と重ねて厳しい命令を柴崎に下しました。
前任の測量手である古田盛作(役所広司)を尋ねた柴崎は、あらためて劔岳の恐ろしさを知らされます。彼からアドバイスを受けると共に、案内人として大山村和田の宇治長次郎(香川照之)を紹介されました。
柴崎とは一まわり下の新妻・「葉津よ(宮崎あおい)」はまだ二十歳にもなっていません。その妻に励ましを受けて彼は富山駅に向かいました。そこで人なつっ こい宇治と合流し、調査のために山に入りました。途中、謎めいた行者(夏八木勲)と会い、「雪を背負って登り、雪を背負って降りよ」という禅問答のような 言葉を託されました。意味不明のまま、登頂への手がかりをすら掴めずに彼は一端東京に帰りました。
そして、翌1907年(明治40年)、彼は測量本番の登山に出発しました。柴崎・宇治に加え、測夫の生田信(松田龍平)らを加えた総勢7人にて、池ノ平山・雄山・奥大日岳・劔御前・別山など劔岳周辺の山々の頂に三角点を設置し、最期に劔岳に挑戦することになりました。
しかしながら、劔岳山頂までの道のりは困難を極めておりました。切り立った尾根、雪崩や暴風雨など想像もしない困難にぶつかり、測量隊の行く手を阻み続け ます。頂上までの登頂路を見つけることもできず、7人はそそり立つ頂上を見上げるばかりで、一日一日が過ぎていきます。重さ100sを越える三角点用の石 柱と測量器具を担ぎ、粗末な登山用具で頂上を目指すにはあまりにも絶望的な状況でした。
測夫の生田が南壁を登ろうとしたところ、足を滑らして転落しました。幸いにも軽い怪我ですんだものの、7人は本当に打ちひしがれた気持ちに陥るのでした。
今まで誰も征服したことのない劔岳を登り切ることが出来るのだろうか、それに命をかけてまで劔岳を測量する意味は果たしてあるのだろうかという迷いが柴崎の胸中をよぎりました。
一方、日本山岳会の小島烏水(仲村トオル)たちもこの劔岳を目指しておりました。測量隊と同様登頂する路を見つけられず、容易には進むことができない状態でした。
ただ、山の尾根でひたすら三角点作りに邁進する芝崎達を見て、小島は自分たちとは異なる仕事に対する考え方を思い知るのでした。「我々は登ることが目的だが、あなた方は登ってからが仕事だ。」と小島は柴崎に語りました。
館山温泉で治療をしていた生田は各人の手紙を携えて測量隊に再び合流しました。その中に、柴崎は前任の古田からの手紙を受け取りました。それには「人がど う評価しようとも、何をしたかではなく、何のためにそれをしたかが大事です。悔いなくやり遂げることが大切だと思います。」と書かれていました。これを読 んで今一度、仲間としての結束を柴崎は訴えました。ここで柴崎と宇治長次郎は謎めいた行者の言葉を思い出しました。
長次郎は「旦那。雪を背負って登り、雪を背負って帰れという行者様のあの言葉は、雪渓を登り、雪渓を降りよということだと思います。」と柴崎に語りまし た。柴崎は「私もそう思う。」とうなずきました。7月12日、目標を大雪渓に絞り、宇治・生田それに案内人の宮本金作・岩本鶴次郎が劔岳頂上を目指しまし た。険しい岩壁を登り切ったところ、そこにあった光景は太陽に照らされて目も眩むばかりの明るい尾根筋でした。その先には丸みを帯びた劔岳の頂上がありま した。
文章ではこのような表現になりますが、実際に劔岳の頂上に到達するには言葉
では言い表せない実に困難な状況であったと考えられます。
さて、生田が測量旗を立てた状態にし、三人が石を集めて棹の根もとに積み重ねていきました。宇治長次郎が手頃な石を探している内に、大きな岩のくぼみの中 に奇妙な物を見つけました。それは赤錆びた剣の穂先でした。直ぐ近くの別のくぼみの中にも、青緑色に錆びた手のひら大の錫杖の頭を発見しました。ほどなく して岩本鶴次郎が岩穴を見つけました。4人は、弘法大師さまがいた奈良時代の頃であろうと推測しました。
4人が下山し、登頂を確認した柴崎は、大久保少将に対し次のような電報を打ちました。「剣岳登頂は初登頂ではなかったことそれに三等三角点の設置は困難な模様。」
少将は「頂上には古き時代にすでに人が登った形跡があったということだ。」と部下に語り、芝崎たちの働きを評価せず、明らかに劔岳に対して興味を失っておりました。
さて、このような厳しいところに100sを越える三角点用の石柱を上げる事は困難と判断した芝崎は、四等三角点を設置することに決定しました。これは公式の記録には残されません。
明治40年7月27日早朝、柴崎は、宇治長次郎、木山竹吉、宮本金作、山口久右ヱ門のほか、南川吉次郎という人夫を伴って再び剣岳の頂上を目指しました。 宇治は四等三角点に使用する測量用やぐらの材料である十尺(約3b)の杉材を頂上に運びました。幸運にも6名とも登頂に成功しました。その証として、杉材 のまん中あたりに「明治40年7月27日陸地測量部」と筆書きされた木札が打ち付けられました。なお、四等三角点は、簡易に設置する臨時の三角点であり、 三等三角点のような永久施設ではありません。
フィナーレは、日本山岳会の人たちが劔岳に2番目に登り、柴崎たちと手旗信号にてお互いの健闘を讃え合う場面でした。ただし、原作にはこの記述はありません。

(三角点の解説)
三角点とは、約40q間隔に一等三角点を設け、その三角網をもとにして約8qごとに二等三角点を、そしてさらに約4qごとに三等三角点のことをいいます。 三角点には四等三角点というものもあり、他の三角点よりも小型の柱石が埋められます。ただし、これは公式の記録には残されません。
私たちが国内のどこにでも楽に行けるのは、正確な地図のお陰です。そして、その地図は、全国の至る所に設置された三角点に基づいて作られております。地図 上で三角点が示されている場所には「柱石(チュウセキ)」という石の杖が埋められていて、それが経度、緯度、標高の規準となっております。


(柴崎芳太郎のプロフィール)
1876年(明治9年)山形県大石田生まれ。1896年に日本陸軍に入隊。1903年参謀本部陸地測量部修技所に入り、測量技術者としての教育を受け、翌 年12月に卒業、測量手として陸地測量部三角科に配属されました。愛知・岐阜・福井方面の三等三角測量に従事すると共に、当時、5万分の1地形図が未整備 であった北アルプス劔岳周辺の三等三角点設置のための測量という至上命令をうけ、人跡未踏の劔岳周辺の測量に着手しました。終には劔岳登頂に成功し、地図 空白地帯であったこの地域の地形測量をするための規準となる三角点を整備しました。劔岳周辺の測量を終えた後、彼は北海道の測量、さらには択捉島、シベリ ア、台湾などの外邦の測量にも従事しました。1938年(昭和13年)62歳にて没。

(主な出演者)

役 名      男優・女優        役柄      

  柴崎芳太郎    淺野忠信    陸軍参謀本部陸地測量部測量手
  宇治長次郎    香川照之    測量隊案内人
  柴崎葉津よ    宮崎あおい   柴崎芳太郎の妻
  小島烏水     仲村トオル   日本山岳会会員
  生田信      松田龍平    陸軍参謀本部陸地測量部測夫
  古田盛作     役所広司    元陸軍参謀本部陸地測量部測量手
  大久保徳昭    笹野高史    日本陸軍少将
  行者       夏八木勲    謎の行者
  宮本金作     蛍雪次朗    測量隊案内人
(了)

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● 496 7月5日(日)愛媛FCがやってきます(愛媛サポートクラブ)
29 Jun (Mon) 10:15 
From:山下 祥 南高 48期  

はじめまして48期の山下と申します。この度は以下の内容に関して書き込みさせていただきます。東京調布の味の素スタジアムにて地元愛媛のプロサッカークラブの試合があります。興味のある方は、内容ご確認の上、チケット購入をお願いします。

●夏みかんの季節!!
東京ヴェルディ戦(アウェイ)をオレンジ一色に染めよう!
7月5日(日)18:00〜@味の素スタジアム
● 事前登録の方にお得な特別料金チケットをご提供!
 大人1,350円 中高630円 キッズ(小学生)270円
 (通常当日 2,000円/1,000円/500円)
ご希望の方は愛媛サポートクラブHP(※)ご参照のうえ、文中のメールアドレスにお名前、必要な種別・枚数をご送信いただき当日、オレンジ色のボードがある受付へお越し下さい。

※URLの添付が不可のようでしたので、検索エンジンで 「愛媛サポートクラブ」「WEB」を入力して検索いただければトップ表示されます。

この特別料金チケットは愛媛FCを応援してくださる方で事前登録いただけるかたであればどなたでもご利用可能です。


●東京の真ん中で愛媛FC情報を発信

7月6日(月) 〜 7月12日(日)
愛媛FCフェア@せとうち旬彩館!
●愛媛FCの情報発信、愛媛FCグッズ販売
  愛媛FCファンクラブへの加入受付・会員カード即時発行!(アウェイゲームも観戦するとポイントがたまります!)
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● 493 ヤング@ ハート
19 Jun (Fri) 12:06 
From:伊藤規志子 南高 18期  

 さあてちょいと見てらっしゃい。ここに取り出しましたのは、DVD「ヤング@ハート」というアメリカ製のスペシャル商品でござーい。この映 画は死ぬまで年をとらない爺さん婆さんの話だよ。ほんと。今はやりのアンチエイジングと言ったらピンとくるかい。平均年齢80歳のコーラス団が、ヨーロッ パ公演をやったってんだから、スケールが違うねえ。そのために、あの世へ旅行に行くことなんざ、忘れちまった。公演で92歳の婆さんが杖ついて出てきた時 には、胸の奥がジーンときたね。しかも驚いたね。歌う曲がロック調だよ。「私より上を行ってるって?」イエーーーイ。練習風景で爺さんが何度練習しても歌 詞を忘れるところ、自然の法則に逆らっている所がいじらしくて泣けてくるねえ。100年に一度の不景気だ、もうだめだとあきらめるのは、早いじゃないの。 腰が痛い物忘れが激しくなったっていうのも自然でさあ、そこをなんとかしないと、先に進まないのよ。ものは考え方で、弱気にも強気にもなれるってね。ハー トが青春してると、ヤングハートだ!嘘か本当か試してみたい人は、見てちょうだい。よかったら、青春してちょうだい。



 

趣味など:映画鑑賞  ダンス  おしゃべり あれこれ考えること 絵画鑑賞  A型
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● 492 Re:新1年生
10 Jun (Wed) 10:03 
From:作道文江 11期  

その場でさわやかに注意することが一番だと思います。
愛情をもって!! 山本五十六のことばではありませんが、、躾ける事は難しい。
夢中になって周りが目に入らなかったのでは、、、。

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● 491 新1年生
06 Jun (Sat) 03:25 
From:T.A 南高 43期  

最近、松山市駅で電車が来るのを待っていたところ、たくさんの人が並んで待っている中に、3人の南高生(男子)が割り込んできました。
電車が来た後、降りてくる人を待たずにすぐ乗り込み、荷物を広げて座っていました。
電車内では非常に騒がしく、周りも迷惑していました。

南高生も質が落ちましたね。勉強さえ出来ればそれでいいと思っているのでしょうか。
自転車の生徒だけでなく、電車通学の生徒にもきちんと指導してほしいものです。

168.157.0.110.ap.yournet.ne.jp

● 490 吉岡幸子さん
04 Jun (Thu) 09:30 
From:伊藤規志子 南高 18期  

 初めまして、18期の伊藤規志子です。18期は佐々木研治さんと国井久美子さんのお世話で、年2回の同期会を開催しています。吉岡さんも東 京に帰られたら、顔を出して下さい。吉岡さんの馴染みの方がいるかもしれません。9月にある東京全体の同窓会にも、もちろん歓迎します。

趣味など:映画鑑賞  ダンス  おしゃべり あれこれ考えること 絵画鑑賞  A型
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● 489 Re:こんにちは
04 Jun (Thu) 11:10 
From:吉岡 幸子  

> 8月にご帰国の由、一ヶ月ぐらいご滞在なのでしょうか。ご存知かもしれませんが、21年9月26日(土)3時から5時まで、松山南高等学校同窓会東京支部 が開催されます。ご出席の時間はありませんか。東京駅から近いサンケイプラザで行われます。中学校の校区ごとに席がまとまることがありますので、懐かしい 同期生、先輩、後輩に会えるかもしれません。副会長の伊藤 規志子さんも18期生でいらっしゃいます。実現できればどんなに嬉しいことでしょう。

残念ですが、わたしはまだ現役で、現地の学校で働いているので、新学期にまにあうようにかえってこなければなりません。伊藤さんというのは旧姓ですか。記憶にないのですが。1年先輩には伊藤さんがおられたと思うのですが。

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● 488 Re:こんにちは
04 Jun (Thu) 11:06 
From:吉岡 幸子  

> 8月にご帰国の由、一ヶ月ぐらいご滞在なのでしょうか。ご存知かもしれませんが、21年9月26日(土)3時から5時まで、松山南高等学校同窓会東京支部 が開催されます。ご出席の時間はありませんか。東京駅から近いサンケイプラザで行われます。中学校の校区ごとに席がまとまることがありますので、懐かしい 同期生、先輩、後輩に会えるかもしれません。副会長の伊藤 規志子さんも18期生でいらっしゃいます。実現できればどんなに嬉しいことでしょう。

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● 487 Re:こんにちは
02 Jun (Tue) 10:42 
From:作道文江 11期  

8月にご帰国の由、一ヶ月ぐらいご滞在なのでしょうか。ご存知かもしれませんが、21年9月26日(土)3時から5時まで、松山南高等学校同窓会東京支部 が開催されます。ご出席の時間はありませんか。東京駅から近いサンケイプラザで行われます。中学校の校区ごとに席がまとまることがありますので、懐かしい 同期生、先輩、後輩に会えるかもしれません。副会長の伊藤 規志子さんも18期生でいらっしゃいます。実現できればどんなに嬉しいことでしょう。

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● 486 緊急のお知らせ-ふるさと松山がみえます!!!!!
31 May (Sun) 01:54 
From:作道文江 11期  

 5月31日NHKテレビ1で午後4時から4時45分まで 『故郷行-遥かなる絆 城戸久枝』 の番組があります。嬉しいことです。

 是非ごらんください。

松山市、伊予市がきっと映るでしょう。
もちろん母校も、、、わたしはビデオを設定しました。

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● 485 Re:こんにちは
31 May (Sun) 01:44 
From:作道文江 11期  

 投稿有難うございます。18期生だと思います。私は昭和35年卒で11期生ですから。こんな風に輪が拡がること、それがとてもハッピーな気持させてくれました。遠い空の下でご覧頂いたのですね。もっともっとお便りくださいませ。

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● 484 こんにちは
31 May (Sun) 10:25 
From:吉岡 幸子  

遥かなる絆 tvジャパン アメリカでも見えました。わたしは、伊予市出身なので、
よけいに身近く、なつかしく、泣けました。わたしは、42年卒ですが、何期生なのでしょう。8月に2年ぶりに帰国します。おいしいものをたくさん食べに帰ります。

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● 483 座の文芸
26 May (Tue) 11:01 
From:作道文江 11期  

 四期生の西岡 三四郎氏による「俳句の話」が、先日の23日土曜日の文化フォーラムでありました。四期生には伊丹十三映画監督がご一緒だったそうです。松山東にはノーベル賞受賞の大江健三郎氏がいらっしゃったそうです。
拝見しましたご本人の句集「伊予」には、前書きに「残生の盟友として俳句を楽しみたい。」というような文が書かれており、印象に残りました。
最後には句会まで実践していただき、なんとも知的で優雅な時間がながれました。(私は数字の突合に疲れていましたので、自分の句作りに恐慌気味でしたが、、、)
俳句王国松山生まれ、俳句を楽しみましょう!!
穏やかな西岡先輩、お茶をご馳走になりました9期の先輩、有難うございました。

 NHKの土曜ドラマ「遥かなる絆」では、5回目にばっちり母校が映りましたね。校章もはっきりと。公孫樹がのっぽになっていました。

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● 482 Re:はじめまして
20 May (Wed) 10:44 
From:濱 田  人 南高 14期  

> ところで、私は昭和46年3月卒業です。何期でしょうか?
22期です。
関東在住でしたら、懇親会開催案内と支部報を差し上げます。トップページのアドレスに住所・氏名・電話番号をお知らせください。

kd114017224037.ppp-bb.dion.ne.jp

● 481 はじめまして
20 May (Wed) 04:25 
From:おしげ 南高  

偶然この掲示板に出会いました。
懐かしく拝見いたしました。
ところで、私は昭和46年3月卒業です。何期でしょうか?
すみませんがご教示下さい。

今も時々校歌が口をついて出てきます。

125-15-30-45.rev.home.ne.jp

● 480 書物「龍馬語録」について
17 May (Sun) 09:16 
From:岡田 次昭 南高 11期  

この書物は、4月下旬にPHP研究所から発行されました。著者は、木村幸比古氏です。彼は、1948年京都市生まれで、國學院大學文学部を卒 業後、幕末維新史に関する評論を多数執筆しております。1991年には、維新史の研究と博物館活動の功績が認められて文部大臣の表彰を受けております。特 に、坂本竜馬に関しては造詣の深いところを示し、「龍馬の時代」「龍馬暗殺の謎」等の書物を書いております。その彼が、今般この書物を上梓しました。
「あとがき」にて彼は次のように語っております。
『幕末の英雄といえば、坂本竜馬である。幕府と藩からなる世にあって、つねに時代を先取りした先見性に加え、決断力、行動力、組織力を兼ね備えた人物は珍 しい。龍馬の生まれた土佐藩はことのほか身分制度が厳しく、藩論が公武合体であった中では勤王運動にも限界があった。同士であった武市瑞山の唱える一藩勤 王論は不可能に近く、重圧さえ感ずるようになった。長州の久坂玄瑞に、新しい国家建設のためなら長州も土佐もない。日本を優先すべきである、と諭され、土 佐を脱藩する決意をした。日本の龍馬が誕生した瞬間だった。』
残念ながら、龍馬は1867年12月10日に中岡慎太郎と共に、暗殺され、明治維新の暁を見ることはできませんでした。
彼は僅か31歳でこの世を去りましたが、種々の書簡を残しております。その素晴らしい文章を下記に記載しておきます。
なお、江戸時代の文章では、理解することが容易ではありません。
それ故、著者である木村幸比古氏による現代語訳を記載することにしました。



(原文のまま)

01 決意─戦で討ち取ってくる
お金をお送りいただき、なによりでございます。
外国船がところどころにやってきていますので、近いうちに戦いがあると思います。そのときは外国人を討ち取って帰ります。
(父平八宛 1853.9.23 現存する龍馬の書状の最も古いものです。龍馬19歳のとき、父の薦めで江戸剣術修行に出かけました。江戸へ立つ際、「修行中心得大意」の訓戒書が父から龍馬に与えられました。
一、忠孝を忘れないで修行をつむこと
二、諸道具に金を使わないこと
三、女に心をうばわれ国家のこと忘れず、帰藩すること
ここでいう国家は、藩のことで、主君に対する滅私奉公を説いています。)

02 行動─自分のすることは自分だけが知っている
世間の人は、俺のことを何とでも言ってくれ。俺のすることは、俺だけが知っているのだから。
(注)吉田松陰も同じような心境を詠んでいます。
世の人はよしあしごともいわばいえ 賤が誠は神ぞしるらん
(世間の人は良いも悪いも好きに言ってくれ。自分のような者にも誠があることは神のみが知っているだろう)

03 井の中の蛙─天から授かった知を開かないといけない
土佐一国で学べば、一国だけの論になってしまう。広い世界をみてそれだけ見聞を広め、天から授かった知を開かないといけないという言葉が、耳に残っている。
(土佐藩士 川原茂太郎宛 1863.8.19)
(注) 武市瑞山は、龍馬が脱藩した際、龍馬は土佐に収まりきらぬ奴じゃと称賛し、詩歌を読みました。
肝胆元より雄大にして
危機おのずから湧出す
飛潜誰か識る有らん
偏に襲名に恥じず
(心の奥が広く、好機を自ら湧き出させている。脱藩することを誰が知れようか、決してこの行為は名に恥じるものではない)

04 師を選ぶ─日本で一番の先生
日本第一の人物である勝海舟先生という人の弟子になり、つねづね思い描いていたことに精を出して励んでおります。
(姉の乙女宛 1863.3.20)

05 神戸海軍操練所─海軍を学ぶ
近いうちに、大阪から十里ほどの所にある兵庫というところで、しっかりと海軍を教えてくれる施設を建設し、また四十間、五十間もあるような船を造り生徒が四、五百人も各地から集まります。
(姉の乙女宛 1863.5.17)

06 同志と海軍に励む─蒸気船でそのうちに土佐にも参ります
私を初め甥の栄太郎もその海軍学校で学び、ときどき乗船訓練もしております。この練習用の蒸気船でそのうちに土佐にも参りますよ。
(姉の乙女宛 1863.5.17)

07 永遠の精神─魂は時を超えて受け継がれる
月と日のむかしをしのぶみなと川 流れて清き菊の下水(シタミズ)
(湊川をみていると、天皇家のために清く忠義を尽くした楠公のことなど、昔の月日がしのばれる)
(注)この歌を「湊川にて」と題して龍馬は詠みました。現在のJR神戸駅のすぐそばに、明治5年(1872年)、明治天皇の勅命で造営された楠木正成を主祭神とする湊川神社があります。国難に準じた勲功をたてた功臣を祀る神社の第一号です。

08 天下国家─天下のために力を尽くしたい
土佐藩のため、日本のために力を尽くしておりますよ。
(姉の乙女宛 1863.3.20)

09 エヘン顔─戦争になればそれまでの命
戦でも始まれば、それまでの命です。幸い今年、命があったならば、私が四十歳になるときに、昔言っていたこととして思い出してください。ひそかに少し得意げな顔をしておりますよ。
(姉の乙女宛 1863.5.17)

10 朝廷は大事─大事にしないといけない決まりもの
朝廷というものは、土佐の国よりも父母よりも大事にしなければいけないと決まっているものである。
(池内蔵太の母宛 1863.6.16)

11 人物なき世─組織を動かせる存在がいない
実に天下には人物がいないことを知り、嘆かわしいと思う。
(姉の乙女宛 1863.6.29)

12 人並みではない─せこい嫌なヤツでは死なない
人並みのようにめったには死にません。私が死ぬときは天下に大変な事態が起きていて、生きていてもいなくなっても役に立たないぐらいにならないと、中途半端にせこい厭な奴と煙たがられようと死にはしない。
(姉の乙女宛 1863.6.29)

13 天下か家族か─天下は家と比べられない
天下のことに比べれば、家のことなど振り返って見る暇はない。
(川原塚茂太郎宛 1863.8.19)

14 天下に事をなす─時機を見極めよ
天下において事をなすためには、腫れ物もよくよく腫れないと針をつけて膿を出せないように、機が熟すのを見極めないといけない。
(姉の乙女宛 1864.6.28 事を起こすには、勢いだけで単純に行動していたのでは決してよい結果は得られません。情報を得て、現場を知り、常識を覆す発想法で経験を積むなど、総合的に判断を下して動くべきです。)

15 下関に交易場─「容易ならざる企て」を知る情報通
この度の幕府の征長は、長州が外国と通じて何か怪しげな企てをしているため、とのことです。それはオランダ総領事が横浜で申し立てたことで、また、下関で勝手に貿易場を開いているとのことである。
(兄 権平、姉 乙女、乳母のおやべ宛 1865.9.7)

16 長州は西洋式─調練見物はおもしろい
西洋式砲術といえば、長州だ。少し森があれば野戦用の砲台がある。同志を率いて見物したが、とてもおもしろかった。
(兄 権平、姉 乙女、乳母のおやべ宛 1865.9.7)

17 盟友 桂小五郎─人物なしといえども、長州には桂がいる
前は長州に人物はいないと言ったが、桂小五郎という者がいる。この人に書状を送ったところ、すぐに山口に砦ができたよ。
(兄 権平、姉 乙女、乳母のおやべ宛 1865.9.7)

18 天下をめぐる─時が来たれば一挙に旗揚げすべし
私は一人で天下をめぐり、時機がくれば各地から出て来た者を引き連れて、一挙に旗揚げしようと思って、今は京都にいますが、五、六日の内にまた西の方に行くつもりです。
(兄 権平、姉 乙女、乳母のおやべ宛 1865.9.9)

19 大馬鹿もの─ぐずぐずしてただ日を過ごすな
土佐のような何の志もないところでぐずぐずして日を過ごすのは、実に大馬鹿だ。
(兄 権平、姉 乙女、乳母のおやべ宛 1865.9.9)

20 無駄死には損失─つまらぬ死に方はしない
そのときからお互いに将来の事を誓いまして、これからはもうつまらない戦いを起こすまい、つまらないことで死ぬまい、と互いに固く約束しました。
(池内蔵太 大家族宛 1865.9.9)
(背景)
この書状は、同士 池内蔵太の家族に宛てたものです。彼は1863年5月、藩名で入洛していましたが、脱走しました。この一件で家督断絶、家屋没収されました。龍馬は彼の家族を気づかい、内蔵太の近況を伝えました。

21 三人の女性─深い愛をそそぐ
文(フミ)開く衣の袖はぬれにけり 海より深き君が美心(マゴコロ)
(手紙を開封する衣の袖が濡れるほど、あなたの心は海より深く美しい)
(解説)
龍馬を巡る女性をあげれば、まず初恋の相手の平井加尾で、高知城下きってのマドンナでした。二番目は、千葉佐那です。龍馬の三番目の女性はお龍でした。「海より深き君が美心」とは、お龍からの書状に無骨な龍馬が心を奪われたと考えられます。

22 心の支えお龍─危ないときに助けてくれた女性
私が危ないとときによく助けてくれたこともあり、もし命があればどうにかしてそちらに遣わそうと考えております。この娘は乙女姉さんを本当の姉さんと呼んで会いたがっております。乙女姉さんの名は全国に轟いております。私より強いという評判ですよ。
(姉の乙女、乳母のおやべ宛 1865.9.9.)

23 長州再征─薩摩は独自の意見を貫く
まず京の様子は先月の十五日に将軍が上洛し、二十一日に一橋、会津藩、桑名藩がにわかに朝廷にせまって長州討伐の命を要請した。朝廷全体がこれに圧されて許した。他に支える藩はない。ただ、薩摩藩だけが異議を申し立てた。
(池内蔵太宛 1865.10.3)

24 恥を忍び、意を決し─桂小五郎を上洛させよ
山口の方へは薩摩の黒田了介という人が参りまして、この人と桂さんは先日上京したと聞きました。その桂さんに諸隊の者のうち人物と呼ばれている人を七、八人同行させたいという知らせがありました。
(印藤肇宛 1865.12.29)

25 薩長同盟の白眉の書─小松、西郷、木戸との取り決めに相違なし
表に記された六ヶ条は、小松帯刀、西郷隆盛、および木戸孝允、私龍馬らも同席して議論したもので、少しでもこれに相違することはありません。
(長州藩士 木戸孝允宛 1866.2.5 龍馬の数ある書の中で「白眉の書」といわれる薩長同盟の裏書きす。この六ヶ条は、長州再征がいかなる結果にな ろうとも薩摩は長州に協力し、また長州の権威回復を朝廷に働きかけるのに尽力すること。長州が戦争になっても薩摩は支援を続け、皇威回復にともに努めるこ と。この同盟の裏には倒幕への道筋が強く示されておりました。)

26 薩摩に策あり─動かないのにはわけがある
薩摩は兵を動かしながら戦いをまだしないのは、大いにわけがある。案じなくてよい。幕府が倒れるのも近いと思います。
(長府藩士 三吉慎蔵宛 1866.8.16)

27 吉井に同盟の礼─赤穂浪士の名刀を受け取って欲しい
私のために尽くしてくれるのは、国家に尽くすためであるのは明らかである。だからこれに何かで報いたいが、私が所蔵するのは、赤穂浪士であった神崎則休の遺刀という無銘の刀一口だ。
(吉井友美宛 1866.10.5 薩摩藩士吉井友美への書状。薩長同盟に吉井が水面下で尽力してくれた返礼でした。なお、神崎則休の通称は神崎与五郎です。)

28 父母の国は思うが─情に流されて志を失いたくはない
数年間東西に奔走する中で、しばしば土佐の上士に会っても、関わらないでいたが、誰が故郷を思わないであろうか。だが、忍んで顧みないのは情のために道を踏み外し、長年の志を失うことを恐れるからだ。
(土佐藩士 溝渕広之丞宛 1866.11)

29 仕禄を求めず─苦労覚悟で天下をめぐる
この龍馬が長く流浪して仕えず、禄を求めないで半生を苦労するのは覚悟のうえだ。
(土佐藩士 溝渕広之丞宛 1866.11)

30 天下の人物とは─維新を動かした人脈
徳川家には大久保一翁、勝安房守
越前にては三岡八郎、長谷部勘右衛門
肥後に横井平四郎
薩摩にて小松帯刀、西郷吉之助
長州にて桂小五郎、高杉晋作
(権平、親類一同宛 1866.12.4 龍馬の上げた人物は、維新の英傑ばかりで、当代の大人物と親交を結んだことにあります。人脈の広さは、その人物のスケールの大きさを物語っております。)

31 徳川のためにならぬ─長州薩摩の間を往来
幕府大目付の某が伏見奉行へ言って来たのは、坂本竜馬という者は決して盗み騙しをする者ではないが、この者がいては徳川家のためにならないと言って、是非殺すようにとのことだ。この理由としては、幕府の敵である長州と薩摩の間を行き来しているためだとのことである。
(権平、親類一同宛 1866.12.4)

32 新婚旅行─霧島に遊ぶ
温泉で一緒に遊ぼうと言って、吉井の誘いでまた二人で霧島山の方へ行き、途中で日当山の温泉に泊まり、しおひたしという温泉に行った。
(姉の乙女宛 1866.12.4 当時、日本では珍しい新婚旅行でした。龍馬はお龍の手を引いて、温泉巡りとシャレこみました。道先案内人を薩摩の吉井友美がかってでました。)

33 もし命があるなら─露の命ははかれない
私ももし死ななかったりすれば、四、五年のうちには帰るかも知れませんが、露のようにはかない命をはかることはできないよ。
(姪 春猪宛 1867.1.20 兄 権平の一人娘春猪に宛てた書状です。龍馬流のからかいの中にも、ちゃんと人生訓を論じた内容になっております。)

34 世の中というもの─人間は牡蠣殻に棲んでいるものであるわい
世の中というものは牡蠣殻ばかりだ。人間というものは世の中の牡蠣殻の中に棲んでいるものであるわい。
(姉の乙女宛 1867.4月中旬 よく周りを見渡すと、世の中は牡蠣殻ばかりで、その中に棲んでいるようなものです。ほとんどの者が狭い社会の中に暮らし、広い世界に目を向けようともしない。おかしな話ではないか、と龍馬らしくユニークにこきおろしています。)

35 国家のために命をかける─天下のための志
私事として利を貪り、私が天下国家のことを忘れているとご覧になられているように思われます。また、土佐の悪役人に騙されているとおっしゃいます。それらはありがたい御心遣いですが、微力ながら天下のために志を抱いてのことで、土佐藩からの援助は一切受けていません。
(姉の乙女、乳母のおやべ宛 1867.6.24 姉乙女が言うには、国家のためと称しながら、龍馬が土佐の小役人と窃かに手を組んで海援隊をもって小商いに奔走しているという噂が土佐で流れている。とか く妬み嫉む者がいるから、くれぐれも気をつけるようにと乙女は、龍馬に忠告する書状を送りました。龍馬は返書に、われわれ海援隊は天下国家のために日々汗 を流し、援助は正式なものばかりです。隊士一人六十両くらいの人件費が必要になります。そのために商売をして利益を求めなければなりませんと、理解を求め ました。志を実現するために奔走しているので誤解なきように、ということです。)

(了) (6,057字)

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● 479 書物「裁判官の人情お言葉集」について
17 May (Sun) 09:11 
From:岡田 次昭 南高 11期  

この書物の著者は、長嶺超輝(ナガミネ マサキ)氏です。
彼は、1975年長崎県出身の満34歳です。九州大学法学部を卒業後、塾講師や家庭教師をして生活を営みながら、ひたすら司法試験を受験しました。司法試験に7回も挑戦するも、合格せず、現在はライターの合間をぬって裁判傍聴をしております。
裁判所の傍聴席では録音・録画は禁止されておりますので、彼は裁判官のお言葉を筆記してこの書物を完成させました。並みの人にはできない苦労があったものと推察されます。
裁判官も人の子です。この書物の随所に、裁判官の人情溢れる言葉(説諭が多くを占めております)やユーモアのある言葉が出てきます。
それではこの書物の一部を下記に記載しておきます。
5月21日からの裁判員制度開始に伴い、大いに参考となる書物です。



(原文のまま)

01 あまりに弁解が過ぎると、被害者の家族は怒り、裁判所は悲しくなります。
(背景)
部活動の練習を終え、帰宅途中の女子高校生3人をはね、うち1人に約3ヶ月の大けがを負わせたとして、殺人未遂と危険運転致傷(赤信号無視)、道路交通法違反(酒気帯び運転)の罪に問われた被告人に対して、懲役16年の判決を言い渡して。
(千葉地裁松戸支部 伊藤正高裁判長 当時60歳 2007.3.26)

02 求刑通りの判決を言い渡すつもりでしたが、法廷に入るお父さんの姿を見て減刑しました。
(背景)
クルマの中に覚せい剤100グラム近くを隠し持っていたとして、覚せい剤取締法違反の罪に問われた被告人に対して、懲役3年の判決を言い渡して。
(静岡地裁浜松支部 岩垂正起裁判官 当時55歳 1995.9.26)

03 無期懲役の判決であるが、仮出獄を期待するかも知れない。しかし、そう簡単ではありません。君の場合は終身かも知れないから、覚悟しておきなさい。
(背景)
強盗殺人、死体遺棄などの罪に問われた被告人らについて、一審の無期懲役判決を支持し、検察側の控訴を棄却して。(検察側は死刑求刑) 
(名古屋高裁 堀内信明裁判長 当時62歳 2000.4.19)

04 地蔵に助けてもらいたいという気持ちは分からないでもないが、普通の生活をして始めて救いがあります。これから寒くなるので、冬の間は服役し、よい気候となる来年の4月に再出発してください。
(背景)
地蔵に備えられた賽銭540円を持ち去ったとして、窃盗の罪に問われた被告人に対して、懲役8ヶ月の実刑判決を言い渡して。
(金沢簡易裁判所 広田秀夫裁判官 1995.10.24)
(私の疑問)わずか540円の窃盗で懲役8ヶ月は酷と考えます。下記05の事件はこれより余程悪質であるにも拘わらず、執行猶予となっております。

05 20年以上判決文を読んでいるが、これだけ腹を立てながら判決文を読むことはめったにない。裁判官が非常に腹を立てていたことをゆめゆめ忘れないようにしなさい。
(背景)
お年寄りの原爆被害者から現金などをだまし取ったとして、詐欺と窃盗の罪に問われた男に対し、執行猶予付きの有罪判決を言い渡して。
(長崎地裁 林秀文裁判官 当時53歳 2007.2.8)

06 本来は、実刑にすべき事件ですが、奥さんが被害を弁償したことで、君の良心を目覚めさせたのではないかと思います。助けてくれた奥さんに応えなければ、君は男じゃないよ。
(背景)
勤め先が倒産し生活費に追われた為、ひったくりを繰り返したとして、窃盗の罪に問われた被告人に対して、執行猶予付きの有罪判決を言い渡して。
(大阪地裁 吉井弘幸裁判官 当時40歳 1999.1.25)

07 私も昔、裁判官になる前に、パチンコに熱中していたことがありました。
父親に借金までしてパチンコに負けたとき、おやじが苦労して稼いだお金でこんなことしていいのかと思い、それから20年、一度もパチンコはしていません。あなたも自分の意志でやめるしかないですよ。
(背景)
パチンコで大当たりした女性を店外で尾行し、ひったくりを行ったとして強盗致傷の罪に問われた被告人が「パチンコで遊ぶ金ほしさの犯行」だったと動機を説明したことに対して。
(青森地裁 室橋雅仁裁判官 当時41歳 2007.3.7)

08 判決に不服があれば、控訴することができますが、裁判所にペンキは投げないでください。
(背景)
国会議員の収賄事件に対する訴追の甘さに腹を立て、検察庁の庁名が書かれた板に、黄色や白のペンキをかけたとして、器物損害の罪に問われた被告人に対し、執行猶予付きの有罪判決を言い渡して。
(東京地裁 松浦繁裁判長 当時49歳 1993.5.10)

09 被告人はオーストラリアから戻ってきたが、名前は富嶋次郎であって、浦島太郎ではない。まだ若く、十分働ける。
(背景)
所得税法違反(脱税)の罪に問われ、家族と共に身を隠していたオーストラリアから強制的に日本へもどされた被告人に、執行猶予付きの有罪判決を言い渡して。
(東京地裁 松浦繁裁判官 当時48歳 1991.10.30)

10 あなたに母親としての自覚が足りないんじゃないですか。
(背景)
3人の子を持つ女性が、覚せい剤を常用する仲間と、車上狙いを繰り返した事件の裁判で。
(名古屋地裁 森島聡裁判官 当時42歳 2007.5.31)

11 この際、オカマも定年退職して、第二の人生を考えなければならない。
(背景)
65歳の男性がドラッグストアから化粧水ほか2点を万引きした事件で、罰金20万円の実荊判決を言い渡して。
(名古屋簡易裁判所 山本正名裁判官 2007.3.28)

12 極刑を望んでいる被害者の前で、あなた自信の将来を語るのは、気持ちを考えていないのでは。
(背景)
愛知県知多市で起きた女子大生ストーカー殺人事件(自宅に上がり込み、母親にも重傷を負わせた)で、一審で無期懲役判決を受けた被告人が、控訴した理由に ついて「刑に服した後、司法書士や税理士になり社会に貢献したいが、無期懲役では資格を取るのに制限がある」と話したことを受けて。
(名古屋高裁 小島裕史裁判長 当時64歳 2001.4.24)
(補足)
無期懲役は生きている限り、刑の執行が終了しません。法律で仮保釈が認められているものの、あくまでも仮保釈であって、死ぬまで保護観察に付されます。

13 肩の力を抜いてほしい。90点ではなく、60点でもいいんじゃないか。
(背景)
生後10ヶ月の長男を自閉症と思い込み、焼酎入りのミルクを飲ませ死亡させたとして、傷害致死の罪に問われた母親に、重度のうつ病による心筋耗弱だったことを認め、執行猶予付き判決を言い渡して。母親は、無理心中を図ろうとして、長男の痛みを和らげるため、犯行に及んだ。
(名古屋地裁岡崎支部 堀毅彦裁判長 当時52歳 2003.10.8)

14 人間の生命・身体に危険のあることを知りうる汚染物資の排出については、企業は経済性を度外視して、世界最高の技術・知識を動員して防止措置を講ずべきであり、そのような措置を怠れば過失を免れないと解すべきである。
(背景)
三重・四日市市の大気汚染被害を理由にする損害賠償被害を理由にする損害賠償請求訴訟。住民12名が、石油化学工業などを目的に工場を稼働させる6社を相手取り、2億円あまりの連帯支払いを求めた民事裁判で、8,800万円あまりの支払いを命じて。
(津地裁 四日市支部 米本清裁判長 当時64歳 1972.7.24)

15 これでみそぎが済んだわけではありません。裁判所からの最終警告が発っせられたと受け止めてください。国民は、また性懲りもなく、と思っています。
(背景)
証券取引法違反(利益追求など)と商法違反(総会屋への利益供与)の罪に問われた、日興証券(現・日興コーディアル証券)の元副社長ら幹部4名に執行猶予付きの有罪判決、法人としての日興證券に罰金1,000万円の判決を言い渡して。
(東京地裁 中山隆夫裁判長 当時49歳 1998.9.21)

16 暗闇のなかで、コヨーテの声を聞くがいい。アライグマの姿におののくがいい。被告人には、震えながら死んだ子猫たちの不遇を千分の一でも感じとってほしい。
(背景)
初冬の公園に10匹以上の子猫を、2度にわたって捨てた被告人に対して、懲役90日の判決を言い渡したうえで、「子猫を捨てた公園にて、食事も暖もとらずに一晩を過ごすなら刑を減らす」という条件を付けて。
(アメリカ・オハイオ州ペインズビル市裁判所 マイケル・チコネッテイ裁判官 当時54歳 2005.11.17)

17 本当は、人に迷惑をかけずに生きていきたいんでしょ。
(背景)
強盗の罪に問われた被告人に対して、執行猶予付きの有罪判決を言い渡して。
(名古屋地裁 近藤宏子裁判官 当時47歳 2007.10.30)

18 話していると、しらふの状態のあなたは、いい人だとわかる。後悔していることでしょう。そんなあなたでも、こんな事件を起こしてしまう。飲酒運転はいかんということ、わかりますね。
(背景)
危険運転致傷と道路交通法違反(ひき逃げ)の罪に問われた被告人に対して、執行猶予付きの有罪判決を言い渡して。
(徳島地裁 杉村鎮右裁判官 2006.10.13)

19 19件を詳しく読み上げるのは、いささか戸惑いがあり、つらいが、被害者の傷に比べたら比較になりません。改めて被害者の傷の深さを自覚してほしいと思います。懲役12年の刑事的な責任を果たすだけで、あなたの罪がすべて償われたことにはなりません。
(背景)
女子中学生・高校生ら19人に対する強制猥褻の罪(1件の致傷、5件の未遂を含む)に問われた被告人に対し、12年の判決を言い渡して。
(横浜地裁 志田洋裁判長 当時52歳 2002.1.29)

20 いつか社会復帰すると、楽しいこともあると思います。ただ。亡くなったふたりはもう、そのような思いを味わうことができないということを考えてください。
(背景)
業務上過失死傷と道路交通法違反(酒気帯び運転)の罪に問われた被告人に対して、懲役4年6ヶ月を言い渡して。
(静岡地裁 浜松支部 志田洋裁判官 当時56歳 2006.4.26)

21 あなたの中に温かな感情が残っているのなら、それを呼び起こして、遺族の方々の悲嘆、苦痛の万分の一でも感じるようになって欲しいと思います。
(背景)
マンションに侵入し、見ず知らずの姉妹を殺害し、金を奪い、部屋に火を放ったとして、強盗殺人、現住建造物放火の罪に問われた被告人に対して、死刑判決を言い渡して。
(大阪地裁 並木正男裁判長 当時54歳 2006.12.13)

22 「人間でなかった」とか、そんな便利な言葉でなくて、自分の言葉で答えてみなさい。
(背景)
栃木県で起こったリンチ殺人事件の控訴審。主犯格とされ、殺人と死体遺棄の罪に問われた当時19歳の少年が被告人質問で、共犯者にリンチを指示した理由を答えた際に。
(東京高裁 仁田睦郎裁判長 当時58歳 2000.12.13)

23 君たちの行った行為は人間の行いとはいえないが、君たちが人間ではないとは思えません。更生可能と考えました。
(背景)
名古屋リンチ殺人事件で、殺人などの罪に問われた19歳の少年3人に、懲役5〜10年などの不定期刑(実刑)を言い渡して。
(名古屋地裁 岡村稔裁判長 当時50歳 1994.11.1)

24 被告人、いやここでは被告人と言うに忍びず、吉田翁と呼ぼう。我々の先輩が翁に対して冒した過誤をひたすら陳謝するとともに、実に半世紀の久しきにわた り、よくあらゆる迫害に耐え、自己の無実を叫び続けてきたその崇高なる態度、その不撓不屈の正に驚嘆すべきたぐいなき精神力、生命力に対し深甚なる敬意を 表しつつ翁の余生に幸多からんことを祈念する次第である。
(背景)
強盗殺人の罪に問われ、無期懲役刑が確定した元被告人が、服役後に起こした再審の判決公判にて、無罪判決を言い渡して。裁判長を含め3人の裁判官は立ち上がり、被告人席に向かって頭を下げたと伝えられている。
(名古屋地裁 小林登一裁判長 1963.2.28)
(補足)
吉田石松は「昭和のがんくつ王」と呼ばれた闘士です。1913年(大正2年)の夏、名古屋で起こった殺人事件。被疑者として浮上した二十代の男二人は、自 分らの罪を軽くしようとして、職場仲間だった吉田石松を主犯に仕立て上げました。1963年12月1日、老衰のため永眠。享年84歳でした。
栃木県小山氏には、吉田石松翁之碑があります。
吉田石松翁之碑の裏に刻まれている文字は次の通りです。
『大正二年八月十三日の強盗殺人事件において、真犯人の偽証のため、逮捕され、残虐極まる拷問を受けたるも屈せず、終始犯行を否認す。
しかし、その甲斐もなく無期懲役の刑確定して入獄。
在監中囚人に非ずと主張して労務を拒否し、五十三回もの懲罰を受く。再審請願を繰り返したるも容れられず。
五十にして始めて文字を習い、精魂こめた手記を以て各方面に無実を訴う。
犯行闘争二十二年の後、仮出所。報道関係者の協力により、偽証した犯人の行方を突止めてわび状をとり、それを証拠としての再審の請求数回、
いづれも棄却去さる。万策つきはて、最後の請願を日本弁護士連合会人権擁護委員会の援助に求む。
かくて遂に、昭和三十八年二月二十八日完全無罪の判決を受け、雪冤(セツエン)の目的をとげて天日を仰ぐ。
その間実に半世紀、人呼んで「昭和のがんくつ王」という。
名もなきガラス工場の一介の職工でありながら、権力者の重圧に敢然として抵抗、自己の尊厳を護り抜いた吉田石松翁の崇高にして毅然たる態度と不撓不屈の驚嘆すべきその精神力は、わが国の人権史上永遠に輝くであろう。

行年 八十四歳

昭和三十九年十二月一日 弁護士 後藤信夫撰書』

(注)雪冤(セツエン)とは、無実の罪をすすぎはらすこと。

25 自分はソクラテスならねど、食糧統制法の下、喜んで餓死するつもりだ。
判検事の中にもひそかにヤミ買いして何知らぬ顔で役所に出ているのに、自分だけは今かくして清い死の行進を続けていることを思うと全く病苦を忘れていい気持ちだ。
(背景)
食糧管理法(現在は廃止)の規定するとおり、国から配給された食糧のみで生活した結果、栄養失調で死亡した裁判官が残した手記として報道された文章。
(東京地裁 山口良忠裁判官 当時33歳 1947.10.11没)

26 刑は11年に短縮されましたが、情状などによるものではまったくありません。一人の人生を台無しにした罪の大きさを、身に沁みて自覚することを望みます。
(背景)
当時小学4年生だった女児を連れ去り、約9年2ヶ月にわたって自宅の一室に監禁し続けた事件の控訴審で、一審判決の懲役14年を破棄し、あらためて被告人に懲役11年を言い渡して。
(東京高裁 山田利夫裁判長 当時58歳 2002.12.10)

27 裁判所としても気の毒だったと思います。しかし、知らなかったとはいえ、軽率にも覚せい剤を持ち込んだわけであり、犯罪とみられても仕方のない面があったことを理解してください。
(背景)
覚せい剤取締法違反(密輸)などの罪に問われた、スイス国籍の被告人につき、一審で出された無罪判決を支持して。
(東京高裁 中山隆夫裁判長 当時59歳 2008.4.9)

28 まことにわが日本は、酒を嗜む人のためには天国である。現代文明諸国中、酒を飲み過ぎ自ら招いて弁識能力を失い、他人を殺傷した犯人を法律を以てこれほど厚く保護している国は稀であろう。
(背景)
よっぱらい同士のケンカが高じて、殺人未遂の罪に問われた被告人に対して、事件当時に心神喪失状態にあったと認定し、責任能力がなかったことを理由に無罪判決を言い渡して。
(京都地裁 小田春雄裁判長 1956.7.5)

29 この種の事案の量刑の実際をみても、本件における原審の量刑が軽すぎるということのできる運用状況ではない。飲酒運転などによる死傷事故に関する罪の新設や法定刑の引き上げなどの立法的な手当をすることが本来のあり方である。
(背景)
業務上過失致死傷と道路交通法違反(酒酔い運転)の罪に問われた被告人に対して、懲役4年を言い渡した一審判決を支持しての言及。
(東京地裁 仁田睦郎裁判長 当時58歳 2001.1.12)
(補足)
この裁判がきっかけとなって、懲役20年を最高刑とする「危険運転致死傷罪」が新設されました。

30 嫁姑問題はあなたぐらいの年代の男性には珍しくない。解決を図れたのは
あなただけなのだから、人間として自分がどうすべきだったか深く反省してもらいたいと思います。
(背景)
階段の上から転げ落ちて気絶した嫁の頭を、姑が階段の角に打ち付けて殺害した事件で、なんの救命措置もせず放置したとして、保護責任者遺棄致死の罪に問わ れた被告人(被害者の夫)に対して、致死の点は被告人のせいではないとして、保護責任者遺棄の罪で懲役2年6ヶ月の実荊判決を言い渡して。
(札幌地裁 小池勝雅裁判長 当時50歳 2003.11.27)

31 裁判所は人生観を裁くことはできないけれども、殺害の責任は問わなければなりません。もっと生きろということかもしれません。
(背景)
承諾殺人の罪に問われた被告人に対し、執行猶予つきの有罪判決を言い渡して。
(横浜地裁無横須賀支部 福嶋節男裁判官 当時55歳 2005.3.8)

32 子育ては心身ともに大変な負担ですが、同時にえも言われぬ喜びを感じるのも親です。
(背景)
3歳の男児を衰弱死させたとして、殺人の罪に問われた父母に対して、それぞれ懲役6年の判決を言い渡して。
(山形地裁 木下徹信裁判長 当時52歳 2002.2.13)

33 あなたは心の面で母親になりきれなかったのでしょう。子どもはもう、この世にはいませんけれども、あなたの心の中で大切に育てていってください。
(背景)
生後11ヶ月の女児を虐待死させたとして、傷害致死の罪に問われた母親に対して、懲役3年の判決を言い渡して。
(札幌地裁 小池勝雅裁判長 当時49歳 2002.6.27)

34 人生で一番幸せなときはいつでしたか。当たり前の生活が一番いいということがわかりましたか。
(背景)
別れ話のもつれから、同棲中の男性を絞め殺したとして、殺人の罪に問われた被告人に向けて質問しながら。
(東京地裁 小倉正三裁判長 当時52歳 1999.秋)


35 大切な人であればあるほど、生きてほしいと思うはず。もし、あなたが生きる意欲を持ち、励ましていたら、彼女は死を決意したでしょうか。あなたは、彼女が 亡くなるまで看病をして、看取ってあげるべきでした。あなたが、真摯に看病する姿を、周りの人は称えていたのです。あなたは自殺をしたいと言っています が、介護の努力は他のことにも向けられます。今後は、彼女の供養をしながら、彼女に尽くしたのと同じ努力で日々を生き抜いてください。
(背景)
愛知県瀬戸市の総合病院で、入院中だった61歳の女性の頸部を切って殺害したとして、嘱託殺人の罪に問われた被告人に対し、2年6ヶ月の実刑判決を言い渡して。
(名古屋地裁 天野登喜治裁判長 当時56歳 2007.1.25)

(了)

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● 478 書物「10秒で心が癒される言葉」について
17 May (Sun) 09:00 
From:岡田 次昭 南高 11期  

この書物の編者は根本浩氏です。
彼は1973年生まれの36歳です。明治大学文学部卒後、文筆家、高校教師をしております。教育関係雑誌、週刊誌などでの執筆経験を経て、現在までに著書は20冊を超えております。
その彼が、今般、この書物を上梓しました。心を救う賢者たちの言葉を集めております。何百年も前から伝わり、人々の心を癒し続けてきた短い言葉に触れることで、辛さが和らいでいくことは間違いありません。
蓋し、「10秒で心が癒される言葉」という題名は、人の心を惹きつけます。
「まえがき」のところで彼は次のように述べています。
『人間の心は、幸せを感じるためにあるのです。もし、苦しみや悲しみだけを感じるために私たちの心があるならば、感情のないロボットにでもなってしまった 方がましなはずです。私たちに心があるのは、ただひたすら、幸せを感じるためなのです。(中略)この本の言葉はいつまでもあなたの心に残り、静かにあなた の助けとなり続けるでしょう。なぜなら、この本の言葉は、人の心が幸せになるために紡ぎだされた聖なる言葉だからです。』



(原文のまま)

T. 生きることへの不安がなくなる言葉

01 あなたの義務は、あなたのプライドを大切にすることなんだよ。

(ドイツの哲学者 I・カント)

02 人生には意味なんて無いように思える。しかし、一つの意味も無いということはありえないよ。

(ドイツ生まれの理論物理学者 A・アインシュタイン)

03 心にあるほんのわずかな羞恥心を失くすことが、この社会をダメにするのです。

(インドの修道女 マザー・テレサ)

04 嫉妬することで得られる一番のものは、嫉妬する自分をさらけだすことだ。

(フランスの作家 J・デュトワール)

05 人から認められなくても気にしない。それが立派な人間だったはずだよ?

(「論語」 学而編 一)

06 私は三つのことを毎日反省するんだ。人に誠意があったか? 友達を大切にできたか? 知ったかぶりをしなかったか? ということをね。
(孔子の弟子の曾子の言葉)

(「論語」 学而編 四)

07 悲しいことは他人が自分を理解してくれないことじゃないんだよ。本当に悲しむべきなのは、そんなふうに思う自分は、誰も理解しようとしないことなんだよ。

(「論語」 学而編 十六)

08 政治に一番必要なのは道徳心なんだよ。それがあれば、すべてそこを中心にうまく回っていくのさ。

(「論語」 為政編 一)

09 大切なのは、「心に不純なものが無い」ということだね。

(「論語」 為政編 二)

10 二つの自由があります。一つは自分の好きなようにする自由で、これはウソの自由、もう一つは、自分のすべきことを行う自由で、これが真実の自由です。

(イギリスの宗教家 小説家 キングズレー)

11 社会は人のためにあり、人が社会のためにある訳ではない。

(ローマ教皇 レオ13世)

12 死を怖がることこそ、勇気の源なんだよ。

(ドイツの小説家 T・マン)

13 天に対して罪を犯したら、どの神にも祈っても無駄です。

(「論語」 八佾編 十三)

14 忍耐は思いやりの真髄である。

(箴言)

15 私が恐れる人はただ一人。それは自分自身だよ。

(アメリカ大統領 第二十二代大統領 J・ガーフィールド)

16 この地球にいる全員が同じ知性を持つから、真理があるんだ。

(フランスの哲学者 アラン)

17 一粒の麦は地に落ちて死ななければ、そのままだ。だが、死ねば多くの実を結ぶ。

(ヨハネにる福音書 12:24)

18 誇り高いことは、高貴な情熱であり、自分の欠点にも気がつける。それに気がつかないとしたら高慢である。

(ドイツの物理学者 G・リヒテンブルク )

19 人は、努力する限り、迷うものだよ。

(ドイツの詩人、作家 J・ゲーテ)

20 悪になるってことは、ただ、いいことから逃げるってことだよ。

(古代キリスト教教父 A・アウグステイヌス)

21 神が私たちを選ぶとすれば、それは私たちが立派な人間だからではない。

(フランスの宗教改革者 J・カルヴァン)

22 神は私たちに二つの手を与えてくれました。一つは、受け取る手、もう一つは与える手です。

(アメリカの大衆伝道者 B・グラハム)

23 悲しむ人たちは幸福だ。その人たちは慰められるから。

(マタイによる福音書 5:4)

24 良心は、私たちを裁判官として罰する前に、友達として忠告してくれます。

(ポーランド王 スタニスラフ二世)

25 もっと光を!

(J・ゲーテ)
(注) このゲーテのあまりにも有名な言葉は、臨終の言葉です。ゲーテは死ぬ間際に、光を見て、そしてさらにそれを求めて死んでいきました。ゲーテが見たものは何 だったのでしょうか。それは、わかりません。だけど、死ぬ直前に光が見える……という言葉はそれだけで救いになります。光に包まれた世界を思うだけで、死 は別な色彩とやすらぎをもって、私たちの心に迫ってくるのです。

26 清い人には全てのものが清い。

(テトスへの手紙)

27 正直な人は、神のつくった中で、最もすばらしい人なのです。

(イギリスの偉人 A・ポープ)

28 私は時間に負けない。時間が人のためにあって、人が時間のためにある訳ではないのだから。

(フランスの作家 F・ラブレー)

29 自分や自分のことを忘れて心を神に自分の職業にそして人々に捧げれば捧げるほど、心が落ち着いて落ち着きと喜びを感じるまでになるのです。

(イェルチャニノフ神父)

30 最後の言葉は愛です。死ではないのです。

(フランスの哲学者 G・ティポン)


U. 恋人や家族、大切な人との絆を強くする言葉

01 親孝行と兄弟への愛が、人の一番根本にある愛なんだよ。

(「論語」 学而編 二)

02 父親が生きている時は、その心を見つめつづけるんだ。父親が死んだら、見つめた心を思い出して三年同じようにやってごらん。そうすれば、誰も君を笑わなくなる。

(「論語」 学而編 十一)

03 立派な人間は、腹いっぱい食べたり、よい家に安住することは求めないよ。

(「論語」 学而編 六)

04 親というものはね、子供が病気になるということを一番恐れるんだ。自分の病気よりもね……

(「論語」 為政編 六)

05 親孝行で一番難しいのは、食べ物を勧めたり重いものを持ってあげたりすることじゃないんだ。本当に易しい顔で接することなんだよ。

(「論語」 為政編 八)

06 家庭とは、美しい奇跡……生命を与える奇跡と愛を与える奇跡……

(フランスの作家 D・ドゥコワン)

07 最もよく育てられた子供とは、両親をあるがままに見て育った子供たちだよ。

(イギリスの劇作家 B・ショー)

08 女性であることは、とても難しい。というのも、女の人は主に男を相手にするからである。

(イギリスの小説家 J・コンラッド)

09 父親が子供たちのためにできる一番のことは、子供たちの母である妻を愛することです。

(アメリカの神学者 J・ヘスバーグ)


V. 人間関係がよくなる言葉

01 どんな時も、友を愛することで、苦しい時の兄弟が生まれる。

(箴言)

02 成功はただ一つ、それは自分の人生を自分なりに過ごすこと。

(アメリカのジャーナリスト C・モーレ)

03 人は誠実であると同時に、誠実っぽく見せることはできない。

(フランスの作家 A・ジッド)

04 友情とは誠実さのこと、では、誠実さとは何かと聞かれたら、友情だと答えよう。

(スペインのシンガー・ソング・ライター J・イグレシアス)

05 権力は腐敗する。絶対権力は、絶対に腐敗する。

(イギリスの歴史家 J・アクトン)

06 三人いれば、必ず自分の先生になる人がいる。よい人にはそれを見習うこと。よくない人を見たら自分の欠点を直すといい。

(「論語」 述而編 二十一)

07 人は好意を持ってくれた人のことを、生涯毎日のように思い出すものだ。

(古代ギリシャの詩人 ホメロス)

08 人間を軽く見るということは、たいてい、心が貧しい証拠なのです。

(フランスの作家 A・カミュ)

09 逆境に耐えられる人は多いけれど、軽蔑に耐えられる人は滅多にいない。

(イギリスの格言)

10 感謝は天国そのものである。

(イギリスの詩人 W・ブレーク)


W. コンプレックスを解消する言葉

01 人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。

(ルカによる福音書 6:31)

02 賢い人を認め、欲望に惑わされず、親と友達の大切さを知る人間……そういう人はたとえ学歴が無くても、本当の学問を知っているんだ。

(孔子の弟子の子夏の言葉)

(「論語」 学而編 七)

03 ダメなところを直すのにためらっちゃいけないよ。勉強をすれば、どんな時だって自分は変われるんだ。

(「論語」 学而編 八)

04 孤独ほど、つきあっていて面白い友達はいないね。

(H・メソロー)

05 もし他の人が自分をどう言っているかを全ての人が知ったならば、この世には四人の友達を持つ人もいなくなると、私は断言するよ。

(フランスの科学者、思想家 B・パスカル)

06 シェイクスピア、レオナルド・ダ・ヴインチ、ベンジャミン・フランクリン、そしてリンカーンという人たちは一人でいることを恐れなかった。なぜなら、彼らは、一人で机に向かう時、新しい何かを創り出すモチベーションが上がることを知っていたからである。

(アメリカの作家 C・サンドバーグ)

07 多くのことを適当に終わらせるより、すこしのことをしっかりする方が優れている。

(古代ギリシャの手学者 プラトン)

08 自分の性格を好きになるためには、その性格に一つや二つの欠点が必要だ。

(アメリカの医学者 O・ホームズ)

09 すべての弱さで最大の弱さとは、弱く見えることを恐れる気持ちだ。

(フランスの思想家 J・ルソー)

10 人は、よく、最もいらないものほど、やたらに欲しがるものだ。

(ドイツのユダヤ系小説家 B・アウエルバッハ)

11 力不足というのは、途中までがんばったのに挫折することだよ。君は最初から自分を見限っているじゃないか。

(「論語」 雍也編 十七)

12 素朴さが教養より勝ると粗野な人間になるね。教養が素朴さより勝るとお堅い役所のような人間になる。その二つが調和してこそ、立派な人間になれるんだよ。

(「論語」 雍也編 十八)

13 人は生きるために生まれたのです。生きる準備をするためではないのです。

(旧ソ連の作家 B・パステルナーク)

14 後悔が夢になって代わる時、始めて人は老人になる。

(アメリカの俳優 J・バリモア)

15 人間が偉大なのは、自分の惨めさを知っているからだ。

(B・パスカル)

16 人生とは、止まることのない変化である。

(ロシアの作家 L・トルストイ)

17 確かに、私たちは何度も失敗する。でも、他の人をうらやんだり、批難し始めるまでは、失敗者じゃないんだ。

(アメリカの科学者 J・バローズ)

18 有名であることを気にしなくなった時、名声を手にしたと言えるのだ。

(イタリアのドイツ系詩人 A・グラーフ)

19 あなたの失敗は、他の人の教訓だよ。

(イギリスの諺)

20 転職とは己の情熱をそのまま職業にすることだ。

(フランスの作家 スタンダール)

21 誰でも人間は月。他の誰にも見せない暗い面を持っている。

(アメリカの作家 M・トウェイン)

22 不幸な子供たちがいる限り進歩という言葉には何の意味もない。

(A・アインシュタイン)

(了) (4,500字)

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● 477 書物「英詩訳・百人一首 香り立つやまとごころ」について
17 May (Sun) 08:48 
From:岡田 次昭 南高 11期  

ここに記載されている百人一首は、「小倉百人一首」です。これは高名な歌人で学者でもある藤原定家が1230年頃から1240年頃の10年ほどをかけて、私的に編んだ歌集です。
この書物のカバーの裏には次のことが書かれております。
『「小倉百人一首」はこれまでも英語で翻訳出版されたことがあります。しかしながら、従来の翻訳では和歌の世界を十分に表現し得なかったことも事実です。 この言葉の結晶の新訳に、アイルランド生まれのマックミラン・ピーターが挑戦しました。まったく新しいアプローチによって和歌に重点的に折り込まれた「や まとごごろ」を英語で表現しております。その翻訳は、英語の詩としても通用します。ドナルド・キーン博士の高評を得て、原著は2008年コロンビア大学出 版より刊行されました。同年度日本翻訳文化特別賞等を受賞し、学問的にも評価されました。本書は平易な英語による「小倉百人一首」翻訳の決定版です。』

日本人でも、和歌を読んだだけでは、情景を理解できない場合が往々にしてあり得ます。その場合は、英文を読みますとある程度理解することが出来ます。
逆に、時折、英文法にはない表現に出会って面食らうことがあります。それでも和歌を読むことによっておぼろげながら分かるようになってきます。
日本語と英語を比較しながら百人一首の勉強ができますので、まさに一石二鳥の書物といえます。

それではすべてを紹介することはできませんので、100首の内50首を下記に記載しておきます。



01 秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつヽ
  天智天皇(テンジテンノウ 626-671 第三十八代天皇)

  In the harvest field gaps in the rough-laid thatch of my makeshift hut
  let the dewdrops in, but it is not only dew that wets my sleeves
  through this long night alone.
  (注) thatch かやぶき屋根のこと

02 春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山
  持統天皇(ジトウテンノウ 645-702 第四十一代天皇 天智天皇の第二皇女)

  Spring has passed. At last the mists have risen and white robes of
  summer are being aired on fragrant Mount Kagu─beloved of the gods.

03 足引の山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む
  柿本人麻呂(カキノモトノヒトマル 生没年未詳 飛鳥時代の官吏)

  The long tail of the copper pheasant trails─drags on and on like this long night in the lonely mountains where like that bird I too must sleep without my love.

04 田子の浦にうち出でて見れば白妙の冨士の高嶺に雪は降りつつ
  山辺赤人(ヤマベノアカヒト 生没年未詳 奈良時代の官吏)

  Sailing out on the white crests of the Bay of Tago, I look up.
  There before me even more dazzling ─snow still falling on Fuji crowned in white.

05 奥山にもみぢふみわけ鳴く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき
  猿丸大夫(サルマルタイフ 生没年未詳 奈良・平安時代の伝説的な人物)

  Autumn at its saddest─Rustling through the leaves and moving on alone deep into the mountains, I hear the lonely stag belling for his doe.

06 かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞふけにける
  大伴家持(オオトモノヤカモチ 718-785 奈良時代の公卿)

  How the night deepens. As lovers part a white ribbon of frost is stretched along the Bridge of Magpie Wings.

07 花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
  小野小町(オノノコマチ 生没年不詳 平安時代の歌人 絶世の美人)

  A life in vain. My looks, talents faded like these cherry blossoms
  paling in the endless rains that I gaze out upon, alone.

08 これやこの行くも帰るも別れつつ知るも知らぬも逢坂の関
  蝉丸(セミマル 生没年不詳 平安時代の伝説的な人物)

  So this is the place! The crowds, coming going meeting parting; friends strangers, known unknown─The Osaka Barrier.

09 天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
  阿部仲麻呂(アベノナカマロ 698-770 奈良時代の遣唐留学生)

  When I look up into the vast sky tonight, is it the same moon that I saw rising from behind Mt.Mikasa at Kasuga Shrine all those years ago?

10 わが庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり
  喜撰法師(キセンホウシ 生没年不詳 平安時代の伝説的な人物)

  My dwelling is a hut in the southeast of the capital. People talk of me
  as the one who fled the sorrows of the world only to end up on the Hill of Sorrow.

11 筑波嶺の峯より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりける
  陽成院 (ヨウゼイイン 868-949 第五十七代天皇)

  Like the Minano River surging from the peak of Mt.Tsukuba, my love cascades to make deep pools below the falls.

12 君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ
  光孝天皇(コウコウテンノウ 830-887 第五十八代天皇)

  For you, I went out to the fields to pick the first spring greens─all the while on my sleeves a light snow falling.

13 立ち別れいなばの山の峯におふる松とし聞かばいま帰りこむ
  在原行平(アリワラノユキヒラ 818-893 平安時代の公卿)

  Though I may leave for Mt.Inaba,famous for the pines covering its peak, if I hear you pine for me I’ll come straight home to you.

14 ちはやぶる神代も聞かず龍田川からくれなゐに水くくるとは
  在原業平(アリワラノナリヒラ 825-880 平安時代の官吏)

  Even the almighty gods of old never knew such beauty; on the river Tatusta in autumn sunlight a brocade─reds flowing above, blue water below.

15 いまこむといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな
  素性法師(ソセイホウシ 生没年不詳 平安時代の僧)

  Just because you said, ‘I’m coming right away, ’I waited for you all through the late autumn night, but only the moon came to greet me at the cold light of dawn!

16 月見ればちぢにものこそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど
  大江千里(オオエチサト 生没年不詳 平安時代の官吏)

  Looking at the moon thoughts of a thousand things fill me with sadness─but autumn’s dejection does not come to me alone.

17 このたびは幣(ヌサ)もとりあえず手向山もみぢのにしき神のまにまに
  菅原道真(スガワラノミチザネ 845-903 平安時代の公卿、学者)

  On this journey I have no streamers made of silk to offer up.
  Gods, if it pleases you, may you take instead this beautiful brocade of Mt.Tamuke’s autumn colors.

18 名にし負はば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな
  藤原定方(フジワラノサダカタ 873-932 平安時代の公卿)

  If it is true to its name, the ‘let –us –sleep-together vine’,that grows on Meeting Hill,how I wish I could draw you in to me─like a tendril of that vine─unknown to anyone.

19 みかの原わきて流るる泉川いつみきとてか恋しかるらむ
  藤原兼輔(フジワラカノネスケ 877-933 平安時代の公卿)

  When was it I got my first glimpse? Like the Moor of Jars divided by the Izumi river, I am split in two─so deep my longing for you.

20 心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花
  凡河内躬恒(オオシコウチノミツネ 生没年不詳 平安時代の官吏)

  I can only pluck at random for I can not tell apart in all this whiteness ─white chrysanthemums from the first frost.

21 朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪
  坂上是則(サカノウエノコレノリ 生没年不詳 平安時代の官吏)

  The first light over Yoshino village─The snow has piled so deep, so white I can not tell it from the dawn’s pale moonlight.

22 久方のひかりのどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ
  紀友則(キノトモノリ 生没年不詳 平安時代の官吏)

  Cherry blossoms, on this quiet lambent day of spring , why do you scatter with such unquiet hearts?

23 人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける
  紀貫之(キノツラユキ 成年未詳-945 平安時代の官吏)

  Have you changed? I can not read your heart. But at least I know that hear in my old home as always the plum blossom blooms with fragrance of the past.

24 夏の夜はまだよひながら明けぬるを雲のいづこに月やどるらむ
  清原深養父(キヨハラノフカヤブ 生没年不詳 平安時代の官吏)

  Summer night! Though it still seems early evening, dawn has already come. Even the moon could not make it to her setting. When in the clouds will she rest?

25 白露に風の吹きしく秋の野のつらぬきとめぬ玉ぞちりける
  文屋朝康(フンヤノアサヤス 生没年不詳 平安時代の官吏)

  When the wind gusts over the autumn fields the glistening white dewdrops lie strewn about like scattered pearls.

26 忘らるる身をば思わず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな
  右近(ウコン 生没年不詳 平安時代の女官)

  Though you have forgotten about us, I do not think of myself. But how I fear for you, who swore to the gods of your undying love for me.

27 しのぶれど色に出でにけりわが恋は物や思うと人のとふまで
  平兼盛(タイラノカネモリ 生年不祥―990  平安時代の官吏)

  Though I try to keep it secret, my deep love shows in the blush on my face. Others keep asking me ─Who are you thinking of?

28 風をいたみ岩うつ波のおのれのみ砕けて物を思ふころかな
  源重之(ミナモトシゲユキ 生没年不詳 平安時代の官吏)

  In the fierce wind the waves beat upon, but are held by rocks. Yet my beloved will not brake these turbulent thoughts of love pounding upon my heart.

29 君がため惜しからざりし命さえ長くもがなと思ひけるかな
  富士原義孝(フジワラノヨシタカ 954-974 平安時代の官吏)

  I always thought I would give my life to meet you only once, but now, having spent a night with you, I wish that I may go on living forever.

30 歎きつつひとりぬる夜の明くるまはいかにひさしきものとかは知る
  藤原道綱母(フジワラノミチツナノハハ 生年未詳-995 平安時代の歌人)

  Longing for you I spend whole nights lamenting. But one like you can hardly know how long a night would be till it breaks at dawn─if spent alone.

31 忘れじの行末まではかたければけふをかぎりの命ともがな
  高階貴子(タカシナノキシ 生年不祥-996 平安時代の女官)

  You promise you well never forget, but to the end of time is too long to ask. So let me die today, still loved by you.

32 滝の音は絶えてひさしくなりぬれど名こそ流れてなほきこえけれ
  藤原公任(フジワラノキントウ 966-1041 平安時代の公卿)

  The waterfall, dried up in the distant past, makes no sound at all, but the fame of the cascade flows on and on, can still be heard today.

33 あらざらむこの世のほかの思い出にいまひとたびの逢ふこともがな
  和泉式部(イズミシキブ 生没年不詳 平安時代の女官)

  As I will soon be gone, let me take one more memory of this world with me. I hope against hope to see you one more time, to see you now.

34 めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにしよはの月影
  紫式部(ムラサキシキブ 生没年不詳 源氏物語の著者)

  Was it you that I met after all this time? You were gone so quickly like the midnight moon disappearing behind clouds.

35 夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂の関はゆるさじ
  清少納言(セイショウナゴン 生没年不詳 枕草子の著者)

  I am not deceived by those who go home early in the middle of the night, falsely crowing like the cock to pretend it’s dawn. May the barrier guards of Meeting Hill never let you through again.

36 恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋にくちなむ名こそをしけれ
  相模(サガミ 生没年不詳 平安時代の女官)

  My sleeves will never dry with all these bitter tears of unrequited love. But even worse, the regret of having lost my good name─tainted by this love.

37 大江山生野の道のとほければまだふみもみず天の橋立
  小式部内侍(コシキブノナイシ 生年未詳-1025 平安時代の女官 )

  How could my mother help me write this poem? I have neither been to OOe Mountain nor Ikuno nor have any letters come from her in a place so far away it’s called─The Bridge to Heaven.

38 もろともにあはれと思え山桜花よりほかに知る人もなし
  大僧正行尊(ダイソイジョウギョウソン 1055-1135 平安時代の僧)

  Mountain cherry , let us have compassion for each other. Of all those I know no one understands me the way your blossoms do.

39 春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそをしけれ
  周防内侍(スオウノナイシ 生年未詳-1109頃 平安時代の女官)

  I would be sorry to lose my good name for laying my head upon your arm offered as a pillow for a moment fleeting as a spring night’s dream.

40 心にもあらで憂き世にながらへば恋しかるべき夜はの月かな
  三条(さんじょういん976-1017 第六十七代天皇)

  Though it’s against my wish, I must go on living in this world of pain. But from now on I am sure I’ll recall fondly how bright the moon shone at this hour of darkest night.

41 あらし吹く三室の山のもみぢ葉は龍田の川の錦なりけり
  能因法師(ノウインホウシ 988- 没年不祥  平安時代の僧)

  Blown by storm winds, Mt.Mimuro’s autumn leaves have become Tatsuta river’s richly hued brocade!

42 さびしさに宿を立ち出でてながむればいづくも同じ秋の夕暮
  良暹法師(リョウゼンホウシ 生年不祥-1064頃 平安時代の僧)

  Lonely , I step outside my hut and look vacantly around: It’s the same all over─Autumn dusk!

43 音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ
  祐子内親王家紀伊(ユウシナイシンノウケノキイ 生没年不詳 平安時代の女官)

  I keep well away from the well-known fickle waves that pound on Takashi shore, for I know I’d be sorry if my sleeves got wet.

44 秋風にたなびく雲のたえまよりもれいづる月の影のさやけさ
 藤原顕輔(フジワラノアキスケ 1090-1155 平安時代の公卿)

  Breezes blow long, trailing clouds across the sky on this dark autumn night. Through breaks the moon so clear, so bright!

45 長からむ心も知らず黒髪のみだれて今朝は物をこそ思へ
  待賢門堀河(タイケンモンイホリカワ 生没年不詳 平安時代の女官)

  I do not know if you will always be true. This morning after you left, I recalled your vows to me looking at my long black hair so disheveled
  ─like the tangles in my heart.

46 ほととぎす鳴きつるかたをながむればただ有明の月ぞのこれる
  藤原実定(フジワラノサネサダ 1139-1191 平安〜鎌倉の公卿)

  I look out to where the little cuckoo called, but all that’s left is a pale moon in the dawn sky.

47 思ひわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり
  道因法師(ドウインホウシ 1090-没年不祥 平安時代の僧)

  Despite the suffering I somehow stay alive yet with all this pain of loving you I can not stop my sadness nor the tears that flow.

48 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへばしのぶることのよわりもぞする
  式子内親王(ショクシナイシンノウ 生年不祥- 1201 後白河天皇の第三皇女)

  If I live longer I can not bear to hide this secret love. Jeweled thread of life since you must break─let it be now.

49 きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む
  藤原良経(フジワラノヨシツネ 1169-1206 鎌倉時代の公卿)

  The crickets cry on this frosty night as I spread my robe for one on the cold straw mat. Must I sleep alone?

50 ももしきや古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり
  順徳院(ジュントクイン 1197-1242 第八十四代天皇)

  Memory ferns sprout in the eaves, of the old forsaken palace. But however much I long for them, they never will come back─the days of old.

(了)

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● 476 映画「余命1ヶ月の花嫁」について
17 May (Sun) 08:35 
From:岡田 次昭 南高 11期  

この映画は、実話に基づいて製作されております。主人公の長島千恵さんは、2007年4月、既に末期の乳がんに冒されておりました。担当医は 父・叔母・恋人の赤須太郎に対し余命1ヶ月と宣告します。彼女には、この残酷な言葉は伝えなかったということです。彼女は、咳と痛みから自分の運命を察知 していたものと推察されます。彼女の最大の夢は「ウェディングドレスを着ること」でした。そこで恋人と彼女の友人は摸擬結婚式を計画し、2007年4月5 日に、籍を入れずに結婚式を挙げました。それから暫くして、5月6日に彼女は、黄泉の世界に旅立ちました。
その末期には、彼女は、乳がんと戦う自分の思いを同世代の人たちに伝えたいとの希望から、TBSテレビのインタビューを受けました。
2007年5月10日と11日にTBSの報道番組「イーブニング・ファイブ」にて「24歳の末期ガン」がドキュメンタリー特集として放送されました。この製作の目的は、「千恵さんが亡くなる姿」ではなく「千恵さんが生きる姿」を伝えることでしたと取材者は述べています。
更に、2007年7月17日「余命1ヶ月の花嫁 乳がんと闘った24歳、最後のメッセージ」がTBSにて放映され、高視聴率を記録したとのことです。同年12月には、「余命1ヶ月の花嫁」がTBS編集局から刊行され、40万部を超えるベストセラーとなりました。
今般、2009年5月9日、「余命1ヶ月の花嫁」が公開されました。
私は、5月上旬に渋谷にてこの映画を鑑賞しました。館内は、若い女性が多く、映画の進行とともに、すすり泣きが聞こえて参りました。若い女性は、乳がんの怖さを自らに当てはめて、この映画を見たものと思われます。
彼女は、次の言葉を残しております。健康な人間からは到底思いつかない素晴らしい言葉です。
『みなさんに明日が来ることは奇跡です。それを知っているだけで、日常は幸せなことだらけで溢れています。』
さて、この映画のあらすじは次の通りです。
イベントコンパニオンをしている長島千恵(榮倉奈々 エイクラ ナナ)は、展示会場において赤須太郎(瑛太)と運命的な出会いをします。帰りのバスの中で も二人は偶然にも顔を合わせ、自然と会話が弾みます。フィーリングがあったのでしょう。二人は急速に親密となり、デートを重ねているうちに、いつしか同居 生活をすることになりました。千恵との結婚を考え始めた太郎は、千恵の父親貞士(柄本明)に会って挨拶をしたいと千恵に依頼し、それが実現します。二人は 神奈川県の三浦市にある千恵の実家を訪れます。初対面の時は緊張していた太郎でしたが、貞士と千恵の三味線の演奏を聴いたり、千恵の母親が亡くなった話、 千恵の幼い頃の話などを聞いているうちに、何時しか緊張もほぐれ父親の貞士ともうち解けていきました。
ある日のこと、太郎は千恵の髪がごっそりと束になって抜けていることに気づき、千恵に問いただします。それは抗がん剤を使用していたからであります。千恵 は交際直前に乳ガンになったこと、ついには乳房を切除しなければならないことを太郎に告げました。そして、太郎の気持ちを無視して、一方的に太郎に別れを 告げ、太郎の前から姿を消しました。
太郎は、千恵の居場所を知るために貞士を何回訪ねても、貞士は知らないと逃げてばかりしておりました。貞士は千恵から誰にも居場所を伝えないよう口止めされていた故に、心ならずもそのような態度を取ったのです。
それでも、太郎のひたむきな千恵への愛情を感じ取った貞士は、遂に千恵の居場所を太郎にうち明けるのでした。
千恵は、左の胸を切除した後、以前に太郎から教えてもらっていた縄文杉を見に屋久島に来ておりました。貞士から千恵の居場所を教えてもらった太郎も屋久島 に赴き、感動的な再会を果たします。逃げようとする千恵を太郎はきつく抱きしめて「おっぱいがなくなってもいい。千恵が千恵のままならそれでいい。俺は変 わらない」と涙ながらに訴える太郎に千恵もそれに打たれ、太郎と一緒に生きていくことを決意したのでした。
再び幸せな生活をしていた二人につらい事実が医師から告げられました。ガンが再発していたのです。ガンが再発し、速いスピードで他に転移していたのです。 千恵は再入院し、激しい痛みと戦いながら治ることを信じて治療を続けました。太郎、貞士、千恵の叔母・加代子(手塚理美)、友人の花子(安田美沙子)たち も懸命に千恵の看病を続け、支えておりました。そんな中、主治医から呼び出された太郎、貞士、加代子は、千恵のガンが骨にまで転移し、千恵に残された時間 は1ヶ月以内或いはもっと早まるかも知れないと告げられました。これを聞いて、太郎はひとときでも千恵と一緒に居たい気持ちが高ぶり、千恵の病室に寝泊ま りすることを決意しました。そして、太郎は千恵の友人である花子に「千恵にウェディングドレスを着させてやりたい」と告げます。花子は、「彼女の最大の夢 はウェディングドレスを着ることです。6月はジューンブライドですね。」と語ると太郎は「それでは遅すぎる。早くそれを実現したい。」と決意を述べます。 これを聞いて、花子たち友人たちは太郎と千恵の為に摸擬結婚式を計画しました。2007年4月5日、青山にあるセントグレース大聖堂にて二人は結婚式を挙 げました。当初、太郎の両親は反対していたものの、ついには理解を示し、この結婚式に出席しました。父親・貞士の手に導かれてバージンロードを歩む千恵の 姿は本当に綺麗でした。
この人が間もなくこの世から消えてなくなることに私は、無常を感じました。
それからわずか1ヶ月余りで千恵は黄泉の世界に旅立ちました。
なお、千恵はドキュメンタリーの取材を通し「若い人にも乳がんになることを知って欲しい。若い人こそ進行が早いので早期発見を心がけて欲しい。」と訴えま した。ところが、ほとんどの自治体では乳がん検診の補助が40歳以上に限られ、40歳未満の女性にとっては決して安くはない検診費が大きな負担となってい るのが現状です。そこで若い世代の女性が気軽に受診できる機会を設けようと、TBSのスタッフと千恵の友人たちが引き継ぎ、「1ヶ月の花嫁・乳がん検診 キャラバン」が発足しました。このキャラバンでは、書籍の収益の一部が検診費の補助に当てられ、20代・30代の女性が軽い気持ちで乳がん検診を受けるこ とが出来ます。2008年には3,688人の女性が検診を受け、その内「ガンが強く疑われる所見」が10人ほど見つかったそうです。千恵が発したメッセー ジが、乳がんの早期発見に繋がったのです。
この映画は、女性必見の映画です。乳がんがいかに怖い病気であるかを知ることは、千恵の最も望むところといっても過言ではありません。

(ご参考)

 俳優・女優 役柄
 榮倉奈々  長島千恵
 瑛太    赤須太郎
 柄本明   千恵の父親・貞士
 手塚理美  千恵の叔母(千恵の母の妹)
 安田美沙子 千恵の友達・花子
 大杉漣   太郎の父親


 監督 廣木隆一
 脚本 斉籐ひろし
 音楽 大橋好規

 配給 東宝

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● 475 同窓会の会費について
15 May (Fri) 10:30 
From:伊藤規志子 南高 18期  

 9月に開催される、年に一度の懇親会の参加費の中から南高同窓会の費用をすべて賄っているのは如何なものか、という意見が私の所に届いた。 500円でも1000円でも会費があった方が良いのではないか、40歳以上の人に懇親会の案内がなされているが、南高を卒業したと同時に入会出来るシステ ムがある方が同窓会として自然ではないのか言われるのである。南高同窓会は、多才で人のいい顔ぶれが揃っているにかかわらず、ちょっと会費をご負担下さい と、なかなか言えないのである。なんとシャイな人たちの集まりであろうか。しかしこの辺りで、卒業した人が誰でも参加出来る会にしていく方が、一層元気な 会に発展していく可能性があるのではなかろうか。みなさんはどう思われますか。 

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● 474 Re:タイの祭りは代々木公園で、ドイツの祭りは日比谷公園です
11 May (Mon) 10:44 
From:伊藤規志子 南高 18期  

>  渡辺さん講演のご案内を有り難うございます。近くでありますから、沢山の同窓生が参加出来ると良いですね。私の方は、お遊びの案内をさせて頂きます。同窓生との友好に役立てていただければ幸いです。
>
>  * タイフェステイバル
>   2009年  5月16日&17日  in 代々木公園
>           10:00ー20:00
>
>  *  オクトーバーフェスト(ドイツビールフェステイバル)
>   2009年5月22日−5月31日 in  日比谷公園

>   平日  12:00ー21:30
>   土日  11:00ー21:00
>       (ただし22日  17:00ー21:30) 
>   問い合わせ  3524−0788

   + ドイツのお祭りの場所を入れ忘れていました。日比谷公園です

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● 473 タイとドイツのお祭り(代々木公園&日比谷公園)
11 May (Mon) 10:35 
From:伊藤規志子 南高 18期  

 渡辺さん講演のご案内を有り難うございます。近くでありますから、沢山の同窓生が参加出来ると良いですね。私の方は、お遊びの案内をさせて頂きます。同窓生との友好に役立てていただければ幸いです。

 * タイフェステイバル
  2009年  5月16日&17日  in 代々木公園
          10:00ー20:00

 *  オクトーバーフェスト(ドイツビールフェステイバル)
  2009年5月22日−5月31日
  平日  12:00ー21:30
  土日  11:00ー21:00
      (ただし22日  17:00ー21:30) 
  問い合わせ  3524−0788

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● 472 講演会のご案内
09 May (Sat) 12:23 
From:渡辺修一郎 南高 31期  

皆様連休はいかがでしたでしょうか.
私が事務局を担当しています桜美林大学加齢・発達研究所・日本応用老年学会の共催で下記講演会を行います.
初めての投稿で恐縮ですがご関心ある方も多いのではないかと思いご案内いたします.
無料で貴重な講演が聴けます.ご関心ある皆様のご参加をお待ちしております.

【共催】  桜美林加齢・発達研究所・日本応用老年学会
【内容】  「ドイツの高齢者夫婦のあり方」
        ドイツ・日本研究所 研究員 フローリアン・コールバッハ
      「日本人の栄養の危機 -食育における中高年の役割-」
        日本応用老年学会 理事長 柴田 博
【日時】  6月1日(月)13:30〜(13:00開場) 
【場所】  桜美林大学四谷キャンパス B1 
JR四ツ谷駅,東京メトロ丸ノ内線・南北線四ツ谷駅より徒歩3分.
東京都新宿区四谷1-21-6
ttp://www.obirin.ac.jp/001/a028.html
【定員】  80名(先着順)
【費用】  無料
【申込み】下記@〜Bを、info@sag-j.org までご連絡ください.     
     @氏名(必須)
     A所属(どなたでも結構です)
     B連絡先(メールアドレス又は電話番号)(必須)
詳しくはこちらから(地図、時間など)
ttp://www.sag-j.org/event/

問合せ先
-------------------------------------------
日本応用老年学会事務局
〒173-0015 東京都板橋区栄町35-2 
地方独立行政法人東京都健康長寿医療センター
研究所 自立促進と介護予防研究チーム内
пF03-3471-2370
E-mail:info@sag-j.org
日本応用老年学会ホームページ
 ttp://www.sag-j.org/

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● 471 4/29夕刊フジより  「大泣き必至NHK『遥かなる絆』」
28 Apr (Tue) 11:19 
From:作道文江 11期  

 寄る年波でめっきり涙もろくなったオヤジですが、そういえばこのところ、あまりTVの前で泣いてないなぁ、泣かせてくれるドラマがさっぱり ないなぁ、、、と思っていたら、NHKが用意してくれました。18日スタートの土曜ドラマ「遥かなる絆」。あの「大地の子」から14年、再び中国残留孤児 の話です。
 それにしても、もう14年も経ったんですね、あれから。これまで一番泣いたドラマは?と聞かれれば、文句なしに「大地の子」と答えます。上川隆也の出世作でした。陸一心という残留孤児の役。その養父を演じた中国の人間国宝級の名優、朱旭さんのたたずまいもよかった。
 そして岡崎栄さんの演出。最近だと介助犬の物語「ディロン」で大いに泣かされましたね。決してお涙ちょうだいではないのに、泣かせどころのツボを心得た、二クーい演出にオヤジは毎度毎度降参です。
 で、今度の「遥かなる絆」も岡崎演出。ドラマが始まってまもなく、早くも鼻の奥がむずむずし、気が付けば涙腺がほわーっと緩んでいる。そう、「大地の 子」で泣かされた人はきっと今回、無意識のうちにあの14年前の感触をよみがえらせるに違いない。そりゃ、涙もでますわな。
 脚本は富良野塾(倉本聡先生が塾長です。)出身の吉田紀子。こちらもまた、オヤジが泣いたドラマの5本指に入る「Dr.コトー診療所」のライターです。彼女もよく泣かしてくれるんだよねぇ。
 「大地の子」は山崎豊子原作でしたが、今回の「遥かなる絆」は昨年の大宅ノンフィクション賞受賞作、城戸久枝さんの「あの戦争から遠く離れて」のドラマ化です。つまり、実話。だから、輪をかけて泣かされること、うけあいですよ。(新橋のネクタイ巻き)
 家人が記事を見つけてくれました。あと4回土曜日9時からNHKで放送されます。

ntchba100078.chba.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp

● 470 Re:忘れえぬクリスマスケーキ
22 Apr (Wed) 11:46 
From:田所実子 高女  

> ★その一 昭和29年
> 仲良しの同級生のお母様の手作りで、屋根はチョコレート、壁はビスケット、飴玉を庭に敷き詰めて、、まだクリスマス会の珍しい時代の楽しい会でした。良妻賢母そのままの優しいお母様でした。仲良しの同級生は勿論南の同期生です。
> ★その二 昭和34年
> 南在学中に希望者に家庭科の田所実子先生が放課後に教えてくださいました。あの調理実習室が一杯だったと思います。生クリームでなく無塩バターのクリーム を絞り袋にいれ、白とピンク色のバラの花を形作りました。銀色の小さな玉もかざりました。市販の物に引けをとらない出来栄えでした。自分が作ったクリスマ スケーキは嬉しいものでした。
> 田所先生は、南の生徒ならと栄養学の授業の折、蔗糖、麦芽糖、果糖の亀の子の化学式を板書されたこと、南には制服はなく標準服である、自由に満ちていて校風が素晴らしいなど、生徒達の将来を期待され、誇りをもたすよう鼓舞してくださった様に思います。 
> ★その三 昭和35年
> 南卒業年のクリスマスイブの日、同期生二人と小学校五、六年時担任の先生に市駅の裏通りでお会いしました。自転車の荷台には電器釜が結ばれていました。近 くの喫茶店で十五センチほどのクリスマスケーキと紅茶をご馳走してくださいました。迷える子羊を心配してくださったのでしょう。私たちの学年が一番印象的 で楽しかったと大きな慈愛に満ちた目で語ってくださいました。先生がなくなられた年は俵万智の「サラダ記念日」の歌集が出たころで、「啄木の 悲しき玩具  給わりき 恩師の訃報 友より電話」と詠みました。先生のご子息様は南の同期生です。
>
> この「すえひろ」を見るとき掲示板が一番で、後はリンク集です。
> 一週間に二三回は更新されることを切望します。
> 気軽にご投稿下さい。
> 森さんお正月の美術展の一押しは何でしょうか。教えてください。

p84ba12.onenum00.ap.so-net.ne.jp

● 469 Re:松山ロケもありました。 昨日観ました。つれあいも感動しました。
19 Apr (Sun) 10:45 
From:作道文江 11期  

 私は期待感が最高でしたから、作った側の気持でみました。母親役はふっくらした他の女優さんがよかったなあと勝手な思いをしながら、、、つ れあいは本を読むようにすすめても手に取らなかったのですが、、このドラマは一緒に観てくれ、「大地の子はフィクションだけど、これは実話なんだ。凄い な。中国人でテレサテンしか好きな人がいなかったが、こんな優しい中国人がいる。予想以上の感動作だ。」と言いまして、今朝は手紙を原作者に出したいとい うようなことを申して出かけました。
 伊予市のみかん山から瀬戸内海を見下ろしながら、主人公を横に歌うシーンがありました。文学の力というか、こういうドラマで平和への尊さを訴えてほしい と思います。あと5回あります。どうぞ引き続きご覧下さい。きっとビデオも作られるかもしれません。高視聴率でありますように!!!

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● 468 松山ロケもありました。母校が映るかも。
04 Apr (Sat) 05:08 
From:作道文江 11期  

[4//18午後9時NHK土曜ドラマ「遥かなる絆」について

[原作者の言葉・・・城戸久枝]
 私は父・城戸幹が「孫玉福」として、中国で生きた半生をたどる旅を続けてきました。この旅は、本を出版したことで終わったはずでしたが、ドラマ化という思わぬ形で続くことになったこと、本当に光栄に思います。お話をいただいたとき、両親と手を取り合って喜びました。
岡崎栄さん、小松昌代さんをはじめ、スタッフの皆さんが、私たち家族の言葉に真剣に耳を傾けてくださり、その熱意に感動しました。また、私たちの気持ちを 大切に書いてくださった吉田紀子さんの素晴らしい脚本にも感激しました。ドラマに関わるすべての方には感謝の気持でいっぱいです。
戦争のこと、残留孤児のこと、中国のこと、そして家族のこと、、、それぞれの家族の歴史と重ね合わせながら、このドラマを観ていただけたら嬉しいです。

[脚本家のことば・・・吉田紀子]
 昨年夏、プロデューサーの小松さんから、久しぶりに電話があり、執筆の依頼を受けた。実はその時一度、この仕事をお断りしている。仕事が立て込み、時間 があまりにもなかったからだ。けれど「あの戦争から遠く離れて」は送られてきた。読み出したら最後、涙は止まらず、気づいたら受話器を握りしめ「書きま す。」と叫んでいた。それくらいこの本のパワーと城戸幹さんという人物に惹きつけられた。中国の歴史も戦争も私の理解を遥かに越えた大きすぎる題材だっ た。しかし、母と息子・父と娘という家族の物語としてなら書けるのではないかと思った。あとはただ玉福に久枝になりきり筆をすすめた。完成した今、本当に あの時断らなくて良かったと思う。この作品に関わった全ての皆さんに感謝。感謝。

[演出にあたって・・・岡崎栄]
 中国東北部の頭道河子という村を、脚本家の吉田紀子さんも一緒のシナリオハンティングから始まって、都合3回訪ねました。牡丹江市から北へ車で1時間 半、畑や田園の広がる中、丘陵を縫うように走る砂利道を通って村の外れの牡丹江の岸辺に立つ時、いつもふと"人間の運命とは"と考えさせられてしまいま す。
この村に4歳から10数年(28歳で帰国したわけですから、24年と言った方が正しいのかもしれませんが)、中国名・孫玉福として生きた城戸幹さん、よく こんな所にと、言葉を失って立ち竦むのです。そして、あらためて幹さんを慈しみ育てた養母・付淑琴さんの深い愛を思います。以前作った「大地の子」は、背 景に残留孤児の方々の苦難の物語はありますが、実際は山崎豊子さんが綿密な取材の上に作り上げた壮大なフィクションでした。しかし「遥かなる絆」は、ドラ マですから完全に事実ではないとしても、真実の話です。1970年の幹さん帰国の時、発車間際の列車の傍で泣き崩れ「玉福、行かないで!」と叫ぶ義母。淑 琴さんの姿は、淑琴役の岳秀清さん、玉福のグレゴリー・ウォン君、そして中国俳優たちの迫真の演技があったからということもありますが、それでも目の前に 展開されている情景は旧満州で何度も何度も繰り返されてきた悲劇です。私たちは、酷寒のマイナス20度という厳しい条件の中でしたが、その事実の現場に今 自分たちも身を置いているという身震いするような感動で撮影を続けていました。
これ以上は申し上げません。舞台の間隙を縫い、ある時は地方公園の金沢から友人の運転する車で松山ロケに駆けつけてくださった加藤健一さん・原作者・城戸 久枝さんの役で母国語のように中国語を駆使しなければならないという難役に、心の壁をときほぐす表現で感動を盛り上げてくれた鈴木杏さん、、、、
今、このドラマをご覧いただけることに、私たちは誇らしささえ感じております。

NHKの土曜ドラマのホームページから転記しました。
良い作品に出来上がっているように思います。
是非宣伝してください。

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● 467 45期生城戸久枝さん原作のドラマ『遥かなる絆』はじまる!!!
02 Apr (Thu) 11:52 
From:作道文江 11期  

4月18日土曜日午後9時より大宅壮一賞受賞の「あの戦争から遠く離れて」を原作にしたドラマ『遥かなる絆』がはじまります。全6回土曜日に放送されます。
NHK土曜ドラマの案内には次のように書かれていました。
あの「大地の子」から14年、2009年の今感動もあらたに話題のノンフイクシヨン「あの戦争から遠く離れて」をドラマ化。日中国交回復前の1970年、自力で日本への帰国を果たした残留孤児の父とその娘の物語です。
父親は加藤健一、娘は鈴木杏、母親は森下愛子が演じられます。

4月18日午後9時  N H K  1チャンネルにスイッチ入れましょう!!!

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● 466 映画「ワルキューレ(Valkyrie)」について
27 Mar (Fri) 07:14 
From:岡田 次昭 南高 11期  

映画「ワルキューレ(Valkyrie)」について
                    

トム・クルーズ主演のこの映画は、史実に基づいております。この映画を理解するために、ヒットラー暗殺事件の概要とドイツ敗戦までの動きを下記に記載しておきます。
1944年7月20日、国内予備軍参謀長クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐は、ヒットラーを暗殺するために、東プロイセンのヒットラー総統大本 営「ヴォルフスシャンツェ(狼の巣)」に赴き、爆弾をセットした書類カバンを作戦会議室のテーブルの下に持ち込みました。爆発と同時に、彼と部下のヘフテ ン中尉は急用を理由に、車で現場を素早く立ち去りました。ところが、予期せぬことが発生して、暗殺テロは失敗し、ヒットラーは奇跡的に軽症のみで生き残り ました。
その理由は、次の通りです。
@二個のプラスチック爆弾を準備するも、時間に追われて一個のみしかセットできませんでした。
A 当日の気温が高かったため、地下室で行われる予定の作戦会議は地上の会議室で行われました。そのため爆風が窓から逃げて、殺傷力が減じられました。
B テーブルの下に置かれた書類カバンを足元が邪魔と考えて総統副官のハイ ンツ・ブラント大佐がヒットラーの方向に向けてあったカバンを脚部に沿って奥側に押し込みました。この結果、まともに爆発を受けた4名が死亡し、一方、太 い樫の木で出来た脚部が遮蔽物となり、ヒットラーは爆風から守られて、軽症を負ったに過ぎませんでした。

ヒットラーが生き残ったことにより、クーデターは失敗し、ナチ政府による反逆者狩りが始まりました。軍人・官僚・聖職者・民間人の逮捕者は、約1,500名に達し、うち200名は銃殺刑及びピアノ線による絞首刑によって、処刑されました。
勿論、シュタウフェンベルク大佐は即日逮捕され、翌21日午前零時15分、国内予備軍司令部の中庭にて銃殺刑に処せられました。
9ヶ月後の1945年4月16日からソ連軍によるベルリンへの猛攻撃が開始されました。もはやドイツ軍はなすすべもなく、ベルリンは陥落しました。
4月30日、ヒットラーは、妻エヴァ・ブラウンと共に拳銃にて自殺しました。
5月1日、ヒットラーの後継者として大統領に指名されたカール・デーニッツ提督はアルフレート・ヨードル大将に全権を委任しました。彼は連合軍最高司令官 アイゼンハワー将軍と会談し、5月7日、ドイツ国防軍全軍の無条件降伏文書に著名しました。5月9日の零時にそれが発効しました。かくして、ヒットラーの 「第三帝国(Das Dritte Reich)」は脆くも(モロクモ)崩壊したわけです。

この映画は、上記の事実に沿って、シュタウフェンベルク大佐を中心にして描かれております。

この映画に登場する人物はすべてドイツ人です。ところが、トム・クルーズほかの登場人物は、すべて英語で会話しております。一方、命令書等はドイツ語にて記載されております。何となく私は、違和感を覚えました。
迫力のあるドイツ語で映画が進行すればよりよい効果があったと考えるのは私のみではないでしょう。

映画のあらすじは次の通りです。
1943年1月、シュタウフェンベルク大佐は北アフリカの最前線に赴任しておりました。彼は「良心」と「忠誠心」の葛藤に苦しんでおりました。ドイツの誇 り高い軍人である彼にとって、反逆は実質不可能の状態にありました。それはドイツ国防軍の最高司令官に就任したヒットラー総統が、国防軍全軍に対し、ドイ ツ国民や憲法ではなくヒットラー個人に対して忠誠の誓いを立てさせたからであります。その新しい宣誓は次の通りです。「私は、ドイツ国民およびドイツ国民 の総統であり、国防軍最高司令官であるアドルフ・ヒットラーに対して無条件の忠誠をささげ、勇敢な兵士としていつでも自らの命を捧げる用意のあることを、 この神聖な宣誓をもって神に誓います。」
しかしながら、悪行を重ねるヒットラー独裁政権に絶望した彼は、ドイツ祖国の未来の為に何らかの手を打たなければならないという使命感に燃えていました。 この無謀な戦いから部下たちの命を救おうとして上官に対し、撤退を進言し、ようやく撤退を聞き入れられたちょうどその時、連合軍の戦闘機による機銃掃射や 爆撃に晒されて、上官は戦死、彼は負傷して、左目と右手首を失いました。本国に送還された彼は生死をさまよいながらも、ヒットラーの独裁政権は放置できな いとの信念は全く揺るぎませんでした。
彼の戦傷が癒えるのに3ヶ月もかかりました。その後、ヒットラー暗殺を企てるレジスタンスの秘密会議にも彼は出席しました。
ある日のこと、シュタウフェンベルク大佐は自宅でワグナーの「ワルキューレの騎行」を偶然耳にし、大胆な計画を思いつきました。それはドイツ国内での有事 の際に反乱勢力を鎮圧する「ワルキューレ作戦」という既存のオペレーションを利用して、ヒットラー暗殺後のベルリンを掌握し、ナチス政権の転覆までも一気 に成し遂げるという遠大な計画でした。レジスタンスの主要メンバーであるトレスコ陸軍少将、ベック元参謀総長、オルブリヒト国内予備軍副司令官たちは、彼 の大胆な計画に耳を傾けながらも、二つの問題点も存在することを指摘しました。まず第一に、「ワルキューレ作戦」の文書を都合よく改竄した上で、ヒット ラーの著名が必要であること。第二は、「ワルキューレ作戦」の発動権を持っているフロム国内予備軍司令官をレジスタンス側に抱き込む必要があることでし た。
シュタウフェンベルク大佐とオルブリヒト国内予備軍副司令官はフロム国内予備軍司令官の執務室を訪れ、出世欲の強い彼の腹を探りましたが、彼は聞き入れようとはしませんでした。フロムは、聞かなかったことにして、この場をおさめました。
シュタウフェンベルク大佐は回復後、国内予備軍参謀長に昇進しておりましたので、ヒットラーに直接会うことが出来、密かに改竄した「ワルキューレ作戦」の 承認サインを貰うことに成功しました。さらにヒットラー側近のフェルギーベル大将を味方に引き入れることにも成功しました。
こうして、運命の1944年4月20日を迎えました。オルブリヒト国内予備軍副司令官の副官であるヴィルンハイムがブリーフケースに忍ばせた二つのプラスチィック爆弾を用意したことで、ヒットラー暗殺計画のすべてが整いました。
シュタウフェンベルク大佐と副官のヘフテン中尉は、ハインケルHe111に乗って、東プロイセンへ行き、そこから車でヒットラー総統大本営「ヴォルフス シャンツェ(狼の巣)」に向かいました。大本営入り口において厳重な警戒も無事通過しましたが、会議室は地下室から地上に変更されておりました。
会議室に入る前に、着替えをする為と称してトイレに入って、爆弾の準備に取りかかりました。
地上では殺傷力が弱く、しかも時間が切迫しておりましたので、爆弾のセットは、二個のうち一個しかできませんでした。会議室に入りますと、彼はヒットラーの近くに寄り添い、カバンを机の下に置きました。爆弾の爆発まで10分しかありませんでした。
ちょうど都合よく、シュタウフェンベルク大佐に緊急の電話がかかってきました。それを口実に、彼は会議室を後にしました。車に到着したところで、会議室は大爆発を起こし、シュタウフェンベルク大佐はヒットラーが死亡したものと確信しました。
検問のところで、停車を命じられるも、彼は機転を利かして、カイテル元帥に電話しました。これを見た検問の兵士は納得し、難なく無事脱出することが出来ました。
ベルリンに帰ったシュタウフェンベルク大佐は「ワルキューレ作戦」が未だ発動されていないことに驚愕しました。彼から連絡を受けたオルブリヒト副司令官 は、上官のフロム司令官に対し「ワルキューレ作戦」の発動を具申しました。しかしながら、総統大本営に連絡したフロムはカイテル元帥からヒットラーの生存 を告げられたために、これを拒否しました。それゆえ、オルブリヒト副司令官の副官であるクイルンハイム大佐が独断で「ワルキューレ作戦」を発動し、国内外 の軍にヒットラーの死を伝え、クーデター参加を呼びかけました。司令部に到着したシュタウフェンベルク大佐もフロム司令官の説得に当たりましたが、フロム はなおもカイテル元帥のヒットラー生存説を信じて、クーデターへの協力を頑強に拒否しました。また、独断で作戦を発動されたことに対してフロムは激怒し、 シュタウフェンベルク大佐に自決を迫りましたので、クーデター派と小競り合いとなりました。この結果、フロムは司令部内の一室に軟禁されました。
作戦発動の後、総統大本営からヒットラー生存の情報が流され、相反する二つの命令を受けた各地の軍部隊は混乱し、国内予備軍への問い合わせが殺到しました。
国内予備軍のレーマー少佐は、クーデター派の命令を信じて、部隊を動員し、親衛隊やゲシュタポ等の主要な党機関を占領しました。
レーマー少佐がゲッペルス宣伝大臣を逮捕に行ったところ、ちょうどヒットラーから電話がかかっており、代わって電話に出たレーマー少佐は、ヒットラーの肉 声を聞いて、この行動がレジスタンスのものであることに気づきました。ゲッペルスは、レーマー少佐をクーデター鎮圧の責任者に任命し、この時点でクーデ ターは失敗に終わりました。
結果的には、爆弾が一つであったことと、ヒットラーの副官がカバンを奥の方に押し込めたお陰で、ヒットラーは死亡することなく、軽症のみ負うことになりました。ヒットラーを暗殺できなかったが為に、、当日の夜にはクーデターは失敗に終わり、悲惨な結果を招きました。
かくして、シュタウフェンベルク大佐・副官のヘフテン中尉・ベック元参謀総長等レジスタンスの主要人物はすべて逮捕されました。午後11時頃、フロム国内 予備軍司令官は単独で即決の軍法会議を開催し、クーデター派に対し、銃殺刑或いはピアノ線による絞首刑の判決を言い渡しました。ベック元参謀総長はその場 において、拳銃にて自決しました。
翌21日午前零時過ぎに、オルブリヒト副司令官、ヘフテン中尉、クイルンハイム大佐それにシュタウフェンベルク大佐は国内予備軍司令部の中庭にて銃殺されました。
映画はここで終わりました。最後の字幕には、シュタウフェンベルク大佐の妻であるニーナ夫人は一度は逮捕されるも、終戦後に釈放され、2006年4月2日まで生存したと表示されました。92歳でした。

(シュタウフェンベルクの略歴)
正式名 クラウス・フィリップ・マリア・シェンク・グラーフ・フォン・シユタウフェンベルク
(Claus Philipp Maria Schenk Glaf von Stauffenberg)
1907年11月15日生まれ 1944年7月21日午前零時15分 銃殺刑
第二次世界大戦中のドイツ陸軍大佐
(ヒットラー暗殺計画の実行者)
シュタウフェンベルク大佐は、良心と信仰に従い反ヒットラーグループに参加したものの、当初はその地位から運動に貢献できず、無力感に苛まれていました。 しかしながら、アフリカでの負傷から回復した後に、ベルリンの国内予備軍参謀長に任命され、反ヒットラー活動の大物の一人である国内予備軍副司令官フリー ドリッヒ・オルブリヒト将軍の部下となりました。国内予備軍は前線への新兵の補充と国内の治安維持を任務、国内有事の対処計画書「ワレキュール作戦」の実 施部隊でした。反ヒットラー運動グループはヒットラー暗殺後にこの作戦を発動し、権力を掌握する計画を立てていました。
シュタウフェンベルク大佐の役割は、当初国内予備軍司令部から国内外の陸軍部隊に「ワレキュール作戦」を発令して親衛隊やゲシユタポの党機関・政府機関の 責任者を拘束することでした。ところが、ヒットラー側近の警戒は厳しく、限られた側近以外は近づくことすら困難な状態に置かれていました。そのためシュタ ウフェンベルク大佐は国内予備軍の参謀長であったことからヒットラーに接近でき、また、戦地での負傷により、ボディーチェックを受けることもなかったの で、彼がヒットラー暗殺の実行者に選ばれたのです。
1944年7月20日、東プロイセンの総統大本営「ヴォルフスシャンツェ」の出来事は当初に記載したとおりです。
(英雄)
戦後、シュタウフェンベルク大佐は「ヒットラーに対する抵抗運動の英雄」として称賛されました。
国内予備軍司令部のあったベンドラー街は、シュタウフェンベルク街と改名され、ここに記念館が開設されました。ヒットラー抵抗運動の5,000を超える写真や文書が館内に展示されています。
また、2007年には、シュタウフェンベルク大佐の生誕100周年を記念して、切手が発行されました。

余談ながら、去就が定かでなかったフロム国内予備軍司令官は、暗殺計画の黙認容疑と首謀者らを即決裁判にかけて処刑したことがヒットラーの逆鱗に触れて、1945年3月に処刑されました。
(了)

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● 465 書物「いい言葉はいい人生をつくる」について
27 Mar (Fri) 12:19 
From:岡田 次昭 南高 11期  

この書物の著者は、齋藤茂太です。歌人で精神科医の齋藤茂吉の長男として東京に生まれました。作家の北杜夫は実弟です。彼は明治大学文学部、昭和大学医学部を卒業して、慶應義塾大学医学部にて精神医学博士を得ております。
さて、彼はこの書物を2005年1月20日に89歳で上梓しました。この年で文章が書けたことに対して私は驚愕しました。普通の人間では出来ない快挙で す。今日まで68刷も発行されていることから見て、ベストセラーとなっていることは間違いありません。「いい言葉はいい人生をつくる」と「続 いい言葉は いい人生をつくる」の2冊で構成されております。いずれも価格は550円です。
残念ながら、その彼も2006年11月20日に心不全で黄泉の世界に旅立ちました。享年90歳でした。この書物を上梓してから、わずか1年10ヶ月後のことでした。
「はじめに」の最期のところで彼は次のように述べております。
『私はけっこう言葉にこだわる人間だ。新聞や本を読んだり、テレビを見ているとき、パーテイーでスピーチに耳を傾けるときなど、気にいった言葉に出会うと 手帳にメモしておく。そして移動の車中などで開いては反芻し、「うまいことをいうもんだなあ」などと感心している。気軽にページを繰っているうちに、ごく 自然に、人生を思い切り楽しんでしまうコツを会得していただけると思う。楽しく生きている人は、実人生でも成功をおさめているものなのだ。この本から、そ うした生き方のヒントをつかんで頂ければ幸いである。』
なお、この書物は、素晴らしい言葉の後に、彼が自身で綴った随筆的な言葉で解説しております。解説を読みたいと思われる方は、この書物を購入して、その醍醐味を味わってください。(末尾に一例を記載しておきます。)

特に、「美しい人生を見たいのなら、心の窓をきれいに磨くことだ」は実にいい言葉と私は考えます。(Ⅺの09に記載)

それでは、彼の残した素晴らしい言葉を下記に記載しておきます。



(原文のまま)


T. 私をささえた「楽天発想」の言葉

01 「できることが増えるより、「楽しめること」が増えるのが、いい人生。

02 人は感情を引きずりやすい。いい感情を引きずって生きよう。

03 「どうせ」という口癖を、「もしかしたら?」に変えてごらん。

04 自分自身にこそ、「あばたもえくぼ」で接しなさい。

05 高度な目標に何度も失敗するより、適度な目標を何度も達成しよう。

06 「成功しよう」とするより、「夢をかなえよう」とするほうが楽しい。

07 後れをとって俯いた時、足元に成功が見つかる。

08 小さな成功体験を忘れてないか。成功体験を励みにできる人が成功する。

09 人生に満足したければこうつぶやこう。「終わりよければすべてよし」。

10 幸福は、好奇心から生まれる。


U. 私を変えた「人間関係」の言葉

01 笑うことは、最も簡単な成功法。

02 悪い感情は話さず書こう。書いた紙はしまい込もう。

03 人にほめられる人よりも、人をほめられる人が賢者。

04 小さなことをほめよう。同じことでも何度もほめよう。

05 気持ちを合わせるには、言葉を合わせれば簡単。

06 うまく話そうとするとうまくいかない。普通に話そうとすればうまくいく。

07 第一印象は、訓練で変えられる。

08 気配りに、「今度」という言葉はない。

09 人は友人の望み通りの人になっていく。望みの高い友人をもとう。

10 人を動かすには耳を働かせなさい。人に好かれるには口を動かしなさい。

11 友だちのように話そう。友だちになれる。

12 「チャンスさえくれば」と思っていると、チャンスはやってこない。

13 頭は一度は下げたほうがいい。でも何度も下げないほうがいい。


V. 私を強くした「エラー逆転」の言葉

01 人生に失敗がないと、人生を失敗する。

02 トラブルが解決できなかった時は、「解決不能」を答えに次へ進もう。

03 悪いできごとは、最悪を避けさせるシグナルなんだよ。

04 「ムダにした」とあきらめるな。「ムダにしたくない」と考えよ。

05 過去は安い本と同じ。読んだら捨てればいい。

06 精神力は貯金と逆だ。引き出し続けることで増してくる。

07 何でもないところで転んだ人は、難所で転ばなくなるものさ。

08 最高の教訓は、最初の失敗にある。

09 「できない」思い込みも、「できる」思い込みも強さは同じだ。

10 クレームにこそ、「ありがとう」を言おう。


W. 私を明るくした「成功暗示」の言葉

01 頭はときどき空っぽにして、可能性に席空けてやろう。

02 「コロンブスの卵」は潜在意識にある。それを出しさえすれば成功する。

03 見えない野心があってこそ、努力が見えて生きてくる。

04 「火事場の馬鹿力」は腕力ではなく、心の力にこそいえるんだ。

05 「自分だけが」と思わず、「相手だって」と思うのが、いい暗示。

06 いま何がないかより、いま何があるかで発想しよう。

07 仕事は雑に考えると、雑事になってしまう。

08 「できるかできないか」ではない。「望むか望まないか」なんだ。

09 「うまずたゆまずやる」と、「休み休みやる」は結局同じことさ。

10 ビジネスライクとは、心の軽視ではない。

11 諦めないことだ。一度諦めると習慣になる。


X. 私をラクにした「お金と運」の言葉

01 欲望は、成功の一部なんだよ。

02 知らないことを聞ける人を増やすのが、財産を増やすこと。

03 人のためにお金を使う。人生の利回りは意外に高い。

04 外見に気が回ってくると、好運が回ってくる。

05 強気になるには、強気の振りをする。

06 欲望に適齢期はない。


Y. 私を幸福にした「心身健康」の言葉

01 「ありがとう」を多く言うと、ストレスが少なくなる。

02 何を謝るかより、どう謝るかに心が出る。

03 相手をほめると自分も元気になる。ほめる習慣はプラス発想の習慣なんだ。

04 小さな手間を省かないことが、大きなイライラを防ぐコツ。

05 健康は、習慣だ。

06 体に悪いことを人生から差し引くより、体にいいことを人生にプラスしょう。

07 ストレスをなくすには、リラックスを増やすことだ。

08 天使が飛べるのは、気をラクに持っているからだ。

Z. 心をリセットする言葉

01 行いの最大の報酬は、行いをやり遂げた満足にある。

02 休息を得るには、目先を変えるのが一番だ。

03 大切なのは倒れないことより、すぐに起き上がることである。

04 苦労から抜け出したいなら、肩の力を抜くことを覚えなさい。

05 いい考えを見つけるには、悪い考えを忘れるんだ。

06 「楽しい」と「楽だ」はワンセット。

07 「いいことがあるか?」と想像するより、「どんないいことが?」と想像しよう。

08 思わず一歩退くくらいなら、思わず一歩進んでみよう。

09 不運が続くのは、幸運が順番待ちをしているんだ。

10 始める前に自信は不要だ。始めれば自信がでるから。


[. 心がわくわくする言葉

01 したいことを減らすと実現しない。したいことが増えると実現する。

02 美味でないなら、滋味を味わおう。

03 行き帰りを楽しむことが、目的地を楽しむコツなんだ。

04 小さなことも誠実に行えば、大きな幸福に結びつく。

05 人を集めよう。幸福が集まる。

06 なにを笑うかで人間が分かる。なんでも笑えれば人間は変わる。

07 感情で表情が変わる人より、表情で感情を変える人が賢者。

08 過度に望んで不満を抱くより、適度に望んで満足を得よう。

09 なにかを光らせるには、光るまで磨くだけでいい。

10 肩書きを増やすより、「好き」を増やすんだ。

\. 心がプラスになる言葉

01 アウトプットの年齢だから、インプットが面白くなるんだ。

02 好きなことを続けられる例は少ない。続けられることを好きになろう。

03 よくない状況がよい転機になる。

04 「今はできない」を「絶対できない」と間違えないように。

05 楽観的になりたいなら、客観的になることだ。

06 やってもダメなら、ダメなやり方を改める。

07 腕を上げるには、ネをあげないことだ。

08 「べき」はあとでいい。「好き」は今がいい。

09 人生から帰ってくる球は、いつかあなたが投げた球。


]. 心を熱くする言葉

01 現状を変えるのは、愛情だ。

02 短いほめ言葉が、長い人間関係をリードする。

03 相手の口が重いときは、相手の気を軽くしてあげよう。

04 相手の長所と向き合えることを自分の長所にしてごらん。

05 妥協を重ねる関係は、心境が重なりにくい関係。

06 いつも好かれようとすると、いつか疲れてくる。

07 枠にはめることは、丸く収めることとは違う。


Ⅺ. 心を駆り立てる言葉

01 お金は金に寄ってくるが、夢にはもっと寄ってくる。

02 贅沢は敵だというときほど、素敵な贅沢を工夫しよう。

03 お金を出しすぎると、知恵が出にくくなる。

04 自分を変える、必要はない。機嫌を変えるだけですむ。

05 出口のトラブルは、入り口で解決できないか。

06 正面を突くのは無策。意表を突くのが対策。

07 人がつまずく場所に好機がある。道を見失ったとき希望が始まる。

08 他人に花をもたせよう。自分に花の香りが残る。

09 美しい人生を見たいのなら、心の窓をきれいに磨くことだ。

10 「知りません」ですむときも、「知りませんが」と従姉妹とプラスしよう。


Ⅻ. 心が成熟する言葉

01 不便が不幸だとは限らない。

02 生き方上手は、痛み止めの言葉をもっている。

03 墓に眠るのは死者ではない。生きている自分の記憶である。

04 「さようなら」と言わずに、「ありがとう」とほほえもう。

05 本当は損得などない。得したと思うことが得なのだ。

06 死ぬときの言葉を探すことは、いい生き方を探すことだ。

(ご参考)

T. 私をささえた「楽天発想」の言葉

01 「できること」が増えるより、「楽しめること」が増えるのが、いい人生。

(本人の随筆的解説 例)

人生、長く生きると、人の価値は「何ができるか」ではなく、「何を楽しめるかにかかっているのだとわかってくる。ものごとを楽しむということは、高度な感 性なしにはできない精神活動だと思う。例えば雨である。雨は、大気中の水蒸気の粒がしだいに大きくなり、地上に落下してきた液体に過ぎない。だが、その雨 を、日本人は実にさまざまに形容して楽しんでいる。春は春雨、菜種梅雨、花の雨。夏は卯の花腐し、(クタシ)、五月雨、夕立、驟雨。秋は秋の雨、秋霖、冬 は時雨、寒の雨……と言う具合に、いとおしみ、自分の心情を託したりする。あらゆることに楽しみを見つけることは、人間だけに許された生の醍醐味である。 私にはとりたてて才能といえるようなものはないが、しいていうなら、何でも楽しみに変えてしまう「才能」には恵まれているのではないか、と思っている。若 い時から人一倍、いや、二〜三倍は仕事を抱え、かなり多忙に過ごしてきたが、その多忙さえ楽しんでしまうところがあった。(以下略)

(了)  

A型
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● 464 書物「老いの身辺をさわやかに生きるための言葉」について
27 Mar (Fri) 12:13 
From:岡田 次昭 南高 11期  

私は、曽野綾子さんの書物に出会いますと、衝動的にそれを購入してしまいます。彼女は1931年9月17日生まれの77歳です。その彼女が今般この書物を上梓しました。この御年で上梓できる彼女は本当に尊敬すべき女性です。
彼女は、20冊以上の優れた書物からすばらしい言葉を厳選して「減らす」「老いる」「失う」「消える」「生きる」に分類してこの書物を纏めています。
発行所は株式会社イースト・プレスで、2008年12月30日に出版されました。

人間60歳を過ぎますと、年末近くには多くの喪中ハガキを受け取ることは否めない事実です。友人・知人の死を知る毎に、涙に咽ぶことが往々にしてあります。これもやむを得ないことと認識しなければなりません。
「減らす」の05のところに「に私たちは、一定の年になったら、もう明日は生きていなかもしれないという予想のもとに一日一日の始末をしておくべきなのでしょう。」
私は、その時に至って後悔しないようこの言葉を噛み締めて、残された人生を精一杯生きていく所存です。




(原文のまま)


T. 減らす

01 思い出
古い写真をまた一山捨てる。CDも何十枚と棄てる。死ぬまでにどんどん棄てよう。納戸も整理して空き間だらけになった。大切なものは思い出だけ、という実感がある。
(『現し世の深い音』)

02 品物
一般に、品物は一つ買ったら一つ捨てるべきであろう。一つとっておいたら、古いものを一つ捨てなければならない。限られた面積に住む庶民生活の、それが道理である。
(『完本 戒老録』)

03 いいことずくめ
よく人は、老年は先が短いのだから、という。その言葉は願わしくない状態を示すものとして使われるものだと思う。しかし私はそう感じたことがない。もう長 く苦労しなくて済む。もうお金を溜めて置いて何かに備えなければならない、と思わなくて済む。もう長く痛みに耐えなくて済む。晩年はいいことずくめだ。晩 年には、人生に風が吹き通るように身軽になる。晩年には、人の世の枷が取れて次第に光もさしてくる。
(『晩年の美学を求めて』)

04 帳尻を合わせる
若かろうと年取っていようと死は必ずやって来る。その前に自分が生きている間に得たものを始末していくことは、「帳尻を合わせる」ことである。
(『晩年の美学を求めて』)

05 一日一日の始末
私たちは、一定の年になったら、もう明日は生きていないかもしれないという予想のもとに一日一日の始末をしておくべきなのでしょう。
(『旅立ちの朝に』)

06 弱さ
人間の弱さを認識すれば、弱さを補強してやる幾つかの手段を考えておくことも謙虚な方法である。
(『魂の自由人』)

07 器
人にはそれぞれ、自分の器に合った暮らし方がある。器とは普通器量や才能のことをいうが、その他にも運命的なものや、性格から来るものもあると思われる。
(『晩年の美学を求めて』)

08 分相応
「分相応」を知るということは、生きて来た者の知恵の一つである。逆の言い方をすると、すべてしたいことをして生きて来た人など、一人もいないのだということを体験的に知るのである。
(『晩年の美学を求めて』)

09 もったいない運動
「もったいない運動」など、私の年代ではずっとやってきた。それは存在と才能を使い尽くし、死後にはきれいに何も残さない計算のできることだ。人間でも物でも、それをどう使えるかわからない人には、経営も人事も創作もできないだろう。
(『平和とは非凡な幸運』)

10 相続
相続を放棄するにも受けるにもどちらにも理由はある。しかし私の実感としては、何ももらわないで済ますことは、実に爽やかだ。損得の勘定が、一番風通しを悪くする。
(『平和とは非凡な幸運』)

11 毒
大金を持っていたって、人間は一日に三食か四食以上食べても幸福ではないのである。だからお金というものは、或程度以上に持っていても、人間を毒するだけである。
(『至福の境地』)

12 一人
人間は、寂しいことだが、一人で暮らすことくらいできなくては人に迷惑をかける。なにより私たちは一人で死ななくてはならないのである。
(『夫婦、この不思議な関係』)



U. 老いる

01 老年
老化と病気とは、どこで切り離したらいいか私には分からないが、うまく年を取っている人はそれほど多くない。老年というものほど勇気のいる時代はない。しかもその勇気も外に向かって闘争的に働きかけるものではなく、自分の中に沈潜する勇気である。
(『心に迫るパウロの言葉』)

02 芸術家
老年は一歩一歩、歩きながら味わうことのできる年なのである。その意味では、誰もが芸術家である。老人になって俳句や和歌を作り始める人が多いのは、そのせいなのである。
(『完本 戒老録』)

03 ゆっくり
急ぐことはない。ゆっくりと遅いほどいい。
(『完本 戒老録』)

03 年を取る
子供の頃は、どちらかと言うと相手と似ていることがいいことだと思っていたが、年を取ると人間は違っていることのほうがおもしろく思えてきた。いいとか悪いとかの問題ではない。世の中にはこんなにも違う社会や人が存在するのかと思うと感動するのである。
(『平和とは非凡な幸福』)

04 淋しさ
淋しさは、老人にとって共通の運命であり、最大の苦痛であろう。皮肉なことに、老いてなお、子供が独立していなかったり、金銭の苦労があったりする人は、 この淋しさという苦しみを免除されている。淋しさは一応、恵まれた老人に課された、独特の税金だと言ってもいいかもしれない。
(『完本 戒老録』)

05 強固な目的
もしかすると百歳まで生きてしまうなら、今のうちから必死になって体を保たせることを仕事にすべきだ、ということだ。深酒や喫煙をやめ、運動をおこたら ず、誰かの世話になればいいという甘えを捨てて、死ぬ日まで自分のことは何とか自分でする、と言う強固な目的を持つことだろう。
(『平和とは非凡な幸福』)

06 温厚
人間は年を取ると次第に温厚になる、という。私は温厚には少しもならないが、いい加減になることは多少できるようになった。なぜいい加減になることができるかといえば、他人と自分の能力の限界というものが、ごく自然に見えてきたからである。
(『心に迫るパウロの言葉』)

07 ユーモラス
老年にユーモラスでいられたら、最高にすばらしい、と思う。ユーモアというものは、客観性と創造力(想像力でもいい)と、寛容の精神なくしては、見られないものだから、これがある間は、まだ幾つであっても立派に「人間をやっている」のである。
(『狸の幸福』)

08 寡黙
会話は、何歳になっても、人間が社会と触れるために必要なものだろう、と思う。事実、ぼけの最初の徴候は寡黙になると言う形で現れることが多い。
(『至福の境地』)

09 会話
買物一つでも、ただモノを買えばいいということではない。買いながら相手と会話する。楽しい会話ができれば、買わなくても喜んでくれる人はたくさんいるのだ。それほど会話というものが、人生で大きな意味を持つ。
(『至福の境地』)


10 老人特有
どうでもいいようなことを考えるのは、老人特有の徴候だと誰かが言った。私のことである。私は昔からそう言う癖があったので、ずいぶん若い時から老人だったことになる。
(『至福の境地』)

11 料理
老人になってもすることがある人は幸せだというが、料理もその一つだろう。実利的な私は、料理は創作だし、家族が喜ぶから面白いものだ、と思う、男の人も、どうして老年には料理を趣味にしないかと思う。そうすれば、食べに来てくれる友達も増えるだろうし、健康にもいい。
(『緑の指』)

12 残っている仕事
しかし老年は、もうどっちへ転んでも大したことはない。何しろ持ち時間が長くないのである。仕事の責任も多くはない。残っている仕事は重要なことが一つだけだ。それは、内的には自己の完成だけである。
(『心に迫るパウロの言葉』)

13 完成
私たちは若いときから、常に多くのことを望んでささやかな努力もして来たが、かならずしもそれを手にしたわけではなかった。しかし老年は、若い時には忙しさに取り紛れてできなかった自分の完成のために、まさに神から贈られた時間を手にしているのである。
(『心に迫るパウロの言葉』)

14 拒否
自分と気の合わない人というのができることは仕方がないかもしれないが、だからと言って、その人を全面拒否することだけはやめよう、とも思う。
(『心に迫るパウロの言葉』)

15 任務
死ぬ日まで何とか厳しい生活に身を置き続けて、思考と運動機能を細々とでも保ち続け、健康保険をできるだけ使わないようにすることが、老後の大きな任務になった。
(『平和とは非凡な幸福』)

16 年月
学歴などなくても、学校秀才でなくても、高齢者は必ず、彼か彼女が生きて来た年月だけ余計に学んでいるはずだ。学んだ分だけ、人は必ず賢くなっているはずである。
(『晩年の美学を求めて』)

17 年を取ったら
年をとったら、勤めているのではないのだから、時間だけはいくらでもある。どんなに行動に時間がかかろうとも、それで文句を言う人はいない。とにかく歯磨 き、洗面、トイレ、食事などを自分ですること、の他に、自分のための簡単な食事の用意、洗濯機を使って衣服を清潔にすること、気分のいい時に自室の掃除を すること、くらいは、終生する決意をしなければ、日本はやっていけない。
(『平和とは非凡な幸福』)

18 平静
若い人は別として、殊に私のような老年は、肉体と同様、心も死ぬまで何とか平静に近い状態を保てればいいのである。
(『最高に笑える人生』)

19 生きる力
しかし一番のモッタイナイは、自殺すること、人を殺すこと、世間に妥協して自分の才能、性格、持ち味などを生かさず、組織のなかに埋没させて生涯を終わる ことだろう。うまくいけば、自分の病気や家族との死別によって味わう不運や悲しみさえ、人は生きる力に転換することが可能だ。
(『平和とは非凡な幸福』)

20 賢さ
年を取った人々は、はっきり言って現在の社会ではほとんど尊敬をはらわれていない。それは社会の中で当然備えているはずの賢さを十分に発揮している人が多 くないからだ。どうしてそうなのか、なぜ生きてきた証を晩年に十分発揮していないのか、私は改めて考えてみたいのである。
(『晩年の美学を求めて』)

21 高齢
高齢でも他人のために働けたら光栄なのに、そうしない年寄りがかなりいる。年齢で他人と自分を無力な者だと規定して考えてしまうのである。
(『至福の境地』)


21 境地
命をもいとおしむようになる、というのは、もしかすると老年の特徴だろうか。そういう気もするが、それならそれで、私はその境地を楽しみたい。私は何でもその年齢に一番合ったことをするのが好きだ。それでこそ無理なく輝けるのだ。
(『緑の指』)

22 不安
何十年も生きて来たことのよさは、この世にうまい話などないということを一瞬で認識できることのはずだ。それにたとえ大金を儲けても、使う時間も残り少な い。もちろん騙される人は差し当たりの生活苦とか先行きが不安だとかいう理由で、「うまい儲け話」に乗ったのだろうが、既に高齢であれば、これからそんな に長く生きなくても済むのだから、先行きなどを不安に感じなくてもいいはずだ。
(『晩年の美学を求めて』)

23 死に欲
年を取ると「死に欲」が出て、却って物資に執着するようになる、という現象は、私たちがあちこちで見るところである。しかし老年というものは、ほんとうは物に頼る時期ではない。
(『心に迫るパウロの言葉』)

24 急ぎ足
もはや、急ぎ足に何かをする時ではない。急ぐことは老齢に何のいい結果ももたらさない。残り時間は少ないのだが、人生のレールは敷かれているのだから、ゆっくり、怠けず続けるだけで充分である。
(『完本 戒老録』)

25 病気
病気が怖ければ、もっとよく歩き、毎日の食事をうちで作ることに手を抜かず、アレルギーを防ぐためにも家の掃除をよくし、頭の体操を兼ねて勉強をし続けることなのだ。
(『魂の自由人』)

26 礼儀
体が悪くなり、能力がおとろえ、親友が死んだら、苦楽、悲しい思いになるのも当然である。当然だから、そのままそのような顔をしていいということは、この 世にはないのである。外見だけでいい。心から明るくしろなどということはできない。人間は、そのような嘘ならおおいについていいのである。明るくふるまう ことは、外界への礼儀である。
(『完本 戒老録』)

27 愚痴
ただ、はっきりしているのは、愚痴ばかり言う老人の傍らには、人間が集まらなくなる、ということである。これは自然であろう。愚痴は、日かげの感じを与える。なんにでもおもしろがっている老人に陽の匂いがするのと正反対である。
(『完本 戒老録』)

28 冒険
老人こそいつ死んでもいいのだから冒険していいのだ。
(『安逸と危険の魅力』)


V. 失う

01 喉許過ぎれば
一般論として、人間に忘れる機能がなかったらどうなるのだろう。自殺者はもっとふえ、精神は後向きになって、社会は恐ろしい停滞を見せるだろう。喉許過ぎればという人間の浅はかさもまた、一つの大切な機能なのだ。
(『至福の境地』)

02 苦悩と悲しみ
決して他人の不幸を放置していいということではないが、人間は幸福な時だけでなく、苦悩と悲しみがある時にさらに厚みのある人間になるということも真実なのである。
(『平和とは非凡な幸福』)

03 幸福
はっきり言えば、幸福である間はだめなのである。幸福である限り、人間は思い上がり、自信を持ち続け、そのような幸福や自信がいつくずれるか、と思っては らはらしている。いや、はらはらする人はまだいい。たいていの人が、自分は「幸福にふさわしい人間」だとさえ思っているのである。
(『心に迫るパウロの言葉』)

04 忘れること
私は昔から、忘れることだけはわりとうまかった。普通の意味では、これは決して才能とは言えない。しかし私は恨みを長く覚えることは、自分が惨めになることだ、ということだけは体験的に知っていたように思う。
(『心に迫るパウロの言葉』)

05 上がる希望
秀才はいつも現世でいい「場所と地点」ばかり選びたがるから、常に落ちる危険に脅えている。学校秀才ではなかった私が言えることではないが、これはどう考 えても愚かなことだ。しかしどん底からスタートすれば、もうこれ以上落ちようがない。上がる希望だけが残されているというすばらしさである。
(『社長の顔が見たい』)

06 ボランテイア
私はある神父に、「ボランティアは楽しくなったらやめよう」と言われました。楽しいと感じるのは、自分が遊んでいるだけだから。楽しくなくてもやるとなった時が、本当のボランティアだ、とおっしゃったのです。
(『日本財団9年半の日々』)

07 絶対の喪失
しかし絶対の喪失は決してなくなってはいない。絶対の喪失は、地球が存在している間は人間の死だけである。他者と自らの……。だからそれに耐えるためには心の準備をしなければ、と私は若い時から思い続けて来た。
(『最高に笑える人生』)

08 後悔
諦めることなのだ。できることとできないことがある。体力、気力の限度がある。諦めて詫びるほかはない。それだけに、一瞬でも、人や家族に尽くせる瞬間があったら、それを喜んで大切にしなければならない。人間は必ず、どこかで義理を欠いて後悔と共に生きる。
(『中年以降』)

09 人間が幸福になる道
人が幸福になる道は、失ったものやないものを数えず、残っているものを喜ぶことなのだが、この女性はまさにその小さな幸福の秘訣を知っていたのである。
(『最高に笑える人生』)

10 小さな不運
また不運を笑うと言っても、命を落としたり、長い病気をしたり、職場でずっと長くうとんじられる、というような重大なことだったら笑うに笑えないから、せめて小さな不運を楽しめるようにしたかったのである。
(『魂の自由人』)

11 予測
人生には予測だけで物事を決めなければならない時もありますが、やってみなければわからないことも多いものです。
(『日本財団9年半の日々』)

12 自立心
自立心を失った世代の人々は、なんとかして人の好意か厚意にすがろうとする。お金がないわけではない。相当のお金を持っている人でもそうである。それより もっといけないのは、病人や高齢者は、それくらいのことをしてもらうのは当たり前だ、と言う気持ちが、多くの人にあることである。
(『晩年の美学を求めて』)

13 感謝
老年ばかりでなく、人間の一生が幸せかどうかを決められる最大のものは、感謝ができるかどうかだと思うことはある。
(『心に迫るパウロの言葉』)


W. 消える

01 星
星たちは死の名人であった。弱いものから、星は声もなく消えていった。それが、運命であることを知って、星は少しもあらがわず、力のないものから消えるの である。人間がこれほど完璧に声も上げずに消えて行くことが可能だろうか。星の声もない日々の死を前にすると、人間の死に方のおおげさなことがおかしく思 えてくるのである。
(『砂漠・この神の土地』)

02 前提
死は不成功ではないのである。死は前提であり、真実である。要はその死をどのように使うかである。死までの時間を、どのように生き切るかである。とおばさんが言う。
(『ボクは猫よ』)

03 最高の折り目正しさ
何もかもきれいに跡形もなく消えるのが、死者のこの世に対する最高の折り目正しさだと私は思っている。亡き人の思い出は、その子や孫が自然に覚えている範囲だけでいい。その人がこの世に存在したことを、銅像を建てたり記念館を建てて残そうとするのは私の好みではない。
(『晩年の美学を求めて』)

04 遺言状
遺言状を書いても、何もすぐ死ぬわけではない。長生きして何通書き直してもいいことである。気楽にいつでも書くくらいの余裕がほしいと思う。
(『完本 戒老録』)

05 二つのこと
何歳で死のうと、人間は死の前に、二つのことを点検しているように思われてならない。一つは自分がどれだけ深く人を愛し愛されたかということ。もう一つはどれだけおもしろい体験をできたか、である。それが人並み以上に豊であれば納得して、死にやすくなる。
(『晩年の美学を求めて』)

06 日記
よく日記を残したり、遺書にくどくどと感情的なことを書き残す人がいる。経済的な配慮に関しては、事務的に処理するのもいいが、ほかのことは何も言わずに死ぬほうが美しいように思う。
(『完本 戒老録』)

07 自分の葬式
死者は、自分が自分の葬式の主である権利があるだろう。というよりその望みを叶えるのが、その人への愛だ。豪華な葬式を望む人は葬式産業の隆盛を支えるし、質素な葬式を望む人には最後の静謐を与えたい。
(『至福の境地』)

08 不老・不死
自然の死に対して、死と抵抗しようという動きが一方にある。生命科学の発達は、あらゆる場で、人間を病気と死から、健康と不老・不死の方向に向かわせる。軽薄にも人間は、ほんの一瞬、死を前にすると、不老・不死こそ、究極の幸福と思いそうになる。
(『至福の境地』)

09 現世
幸せだ、という人にも苦労がないわけではなく、死にたいという人もなかなか実際には自殺しない。楽しいことにも辛い要素があり、辛いことに楽しさが皆無というわけではない。つまり現世では完全にいいことも悪いこともない。
(『心に迫るパウロの言葉』)

10 手助け
自分の病気を悲観して死んでしまいたいと思っている人も、家族や友人が、その時に自分に与えてくれた手助けを思うと死ねなくなる。
(『心に迫るパウロの言葉』)

11 他人
他人にいいと思ってもらうのを生きる目的にしている以上、その人は生きていないのです。
(『仮の宿』)

12 晩年
しかしどんな場合でも、晩年というものはすばらしいものであった。たとえどんなに厭なことがあっても、晩年ならそんなに長く耐えなくても済むからだ。
(『晩年の美学を求めて』)

13 肉体と精神
自分が持って生まれた個性ある肉体と精神に、最高の磨きをかけるのがすばらしい人間だ。そしてその人だけが、魂の自由人なのである。
(『魂の自由人』)


X. 生きる

01 生きやすい生き方
誰も、自分が行きやすい生き方を選ぶよりほかない。最上の道ではないが、まだしも耐えやすい、と思う道を選ぶのである。
(『夫婦、この不思議な関係』)

02 いい人
自分がいい人だと思われることをやめるだけでも、魂はかなり風通しがよくなるものである。
(『魂の自由人』)

03 善意
しかし時とすると、善意ほど恐ろしいものはない。悪意は拒否できるが、善意は拒否する理由がないからだ。
(『社長の顔が見たい』)

04 相手の心
私たちは相手の心を完全に救ったり、相手にまちがいのない情報を与えたりできる、と思う方が思い上がっているのである。
(『魂の自由人』)

05 二十四時間
一日は二十四時間しかない。時間が一番やり繰りがきかない。時間が一番残酷だ。時間が一番誠実を要求する。誰に、どこに、何を棄てて何のために使うか、をはっきりさせることを要求する。私は時間が恐ろしい。
(『中年以後』)

06 権力と財力
正義の感情というものはないと困るのだが、ありすぎると人間を硬直させる。権力と財力とは、あればあったで、必ず毒を持っている。別に羨ましがることもない。私たちは与えられた範囲で自分が自分の主人として時とお金を使うのが最も幸福なのである。
(『至福の境地』)

07 自分の姿
つまり、人間は他人から、実に思いもおけぬ面を指摘され、そこで自分の姿を発見するのである。他人から発して長い深い付き合いをするようになる夫婦の場合 は、もっと強く、自分の未知の部分を相手によって発見し、さらに成長か堕落か知らないが、能力や性格の変質までなされる場合がある。
(『夫婦、この不思議な関係』)

08 ささやかな大事業
妻に対して、あるいは夫に対して、この人と結婚してよかったと思わせることは、多分「ささやかな大事業」である。私は社会的に大きな仕事をしながら、妻に 憎まれて生涯を終えた人を少なからず知っているから、なおのことそう思うのかも知れない。たった一人の生涯の伴侶さえ幸福にできなくて、政治も事業もお笑 い草だと私は思っている。
(『至福の境地』)

09 できること
人はその人が生きた時点で、自ずから「できること」「するべきこと」がある。それを認識するかどうかで、神にもなれば、詐欺師にもなるようだ。
(『平和とは非凡な幸福』)

10 人生
キリストの一生ばかりでなく、私たちの一生も悲しみが、苦痛から無縁ではあり得ない。しかし、肉体と霊魂が一致して生きる、たかが数十年の人生は、地上に 出た蝉の短い生涯のように、この上なく貴重で、おもしろいものだと思わなければならないだろう。苦しみさえも、甘受するのが当然だと言えるほど、人生は短 くて一回きりのものなのである。それを思うと、やはり自分に与えられた生活を生き抜かなければいけないと思う。
(『まず微笑』)

11 ほんとうの命のいとおしみ方
命というものは、待ったもなく、おやすみもなく、こちらの都合も考えないものだ。しかも「命は美しい」といいながら、命は絶えずあたりを汚している。排泄 をし、呼吸して炭酸ガスを出し、衣服を垢で汚し、動作によって周囲の物資を破壊する。その自然の営みを、全面的に受け入れてこそ、ほんとうの命のいとおし み方を知る。
(『安逸と危険の魅力』)

12 運命
胸を張って、顔を上げて、めちゃくちゃにされた生を生き抜き、グチをこぼさずに死んで行きたいと思う。いや死ぬほかはないと思う。そうだ、顔をあげて、しっかりとその運命と向き合うのだ。
(『円型水槽』)

13 出会い
私たちが生きている時間は本当に短い。会う人も、会える時間も、それは得難いものだ。私たちはまずさわやかに挨拶し、お互いに礼節と人情を尽くして会って いる時間を楽しくし、この世で会えたという偶然を心の奥底で深く感謝すべきだろう。楽しく暮らすというのは、物資的なことばかりではない。出会いを楽しむ ことも含まれる。
(『正義は胡乱』)

14 自分が自分らしく
私の幸せは、私が望めば、自分が自分らしく、必要にして充分なだけ持っていれば、それで誰からも非難されないことであった。
(『魂の自由人』)

15 健康
私自身も、健康で恐れるものが比較的少なかった時にも学んだが、健康に自信を失った何度かの時に、もっと深く人生を味わったような気もした。
(『心に迫るパウロの言葉』)

16 世間
人間は長い間人生を見て来ると、次第に世間の評判はどうでもよくなる。ほんとうはどうでもよくないのだが、所詮世間も他人も真実を知るものではない、と知るからである。
(『最高に笑える人生』)

17 死に甲斐
もし生き甲斐という言葉があるとするなら、死に甲斐という概念もありましようし、この二つはまさに全く同じものであることに私たちは驚かされるのです。
(『旅立ちの朝に』)

18 人間の生き方
人間の生き方は、できるだけ目立たない方がいい。人間が発生してからどれだけ経つのか私には考える気力も知識もないが、その間の夥しい死者たちが生きて力 尽きたその方法は、大河のように自然なものであった。その偉大な凡庸さに従うことが、実は人間の尊厳でもある、としみじみ思うのだ。
(『最高に笑える人生』)

19 人の真実
人の真実は、ただその人にしかわからない聖域としてそっとしておくのが礼儀だろう。そして多くの人は誠実に精いっぱいに生きたのだから、その人にとって多分一番いい道を選んだのだ、と私は思っている。
(『最高に笑える人生』)

20 年貢の納め時
年貢の納め時、という言葉を私は好きだ。人にも物にも、すべて限度がある。しかしそれは、自分で決定すべきで、それが自由人の選択である。他人にあなたは そろそろですよ、と言われることもない。しかしいつまでもしがみついていることもない。人間らしさと人間の尊厳は、生だけでなく、死についてもある。
(『ほくそ笑む人々』)

21 土地
人が生きて栄える土地では、同じだけの人が死ぬのである。人が生きているだけで死ぬことがない土地などどこにもないのである。
(『社長の顔が見たい』)

(了)   

A型
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● 463 書物「ふっと心がかるくなる禅の言葉」について
27 Mar (Fri) 12:06 
From:岡田 次昭 南高 11期  

3月中旬、私は、東急田園都市線梶が谷駅近くの文教堂にてこの書物に出会いました。私は、禅に関する書物は難しいと自分勝手に判断しておりま したので、読んだことがなく、興味もありませんでした。しかしながら、この書物を読みますと、私にも何となく分かるような気がして、早速これを購入しまし た。
初心者用に、易しく解説されております。
この書物は、人生の指針となるべき言葉に溢れております。
詳細をご希望の方はこの書物を購入して、その素晴らしさを堪能してください。
なお、この書物の定価は、510円で、出版社は株式会社永岡書店です。

「はじめに」のところで駒澤大学仏教学部教授 永井政之氏は次のように述べています。
『落語「こんにゃく問答」によっても知られるように、訳のわからぬやりとりを世の中では「禅問答のようだ」と言います。たしかに予備知識のない人にとっ て、話し言葉の記録である「禅問答」は、当事者だけが納得出来て、余人には理解不能なやりとりとしか見えないかもしれません。しかし、禅の歴史や考え方を 少しでも学んでみると、「禅問答」が荒唐無稽なものでは決してなく、むしろ禅宗の大きな特徴である人間凝視、人間解放のあゆみそのものを記録していること に気づきます。本書に収録した禅語は、そのような記録の一端です。量的には、「九牛の一毛」ですし、本来の意図を踏まえつつも、あえて現代風に読み込んだ ものもあります。しかし採り上げた一つ一つの禅語の意味するところを、口絵に添えられた墨跡とともに味わっていただければ、時空を超えた現代においても、 禅の教えが我々に生きる智慧や励みを与えてくれるものと思います。どこのページから読み始めてくださっても結構です。フッと「無所得の世界(いっさいの執 着のない世界)」に気づかれると思います。』

ご参考までに、「禅」の祖師は達磨大師であることを記載しておきます。『今からおよそ2,500年前、インドの小国の王子であった釈尊(お釈迦さま)は菩 提樹の下で座禅を組み、瞑想の中で悟りを開いたと言われています。釈尊は北部インドの各地で教えを説き、その後を弟子の摩訶迦葉(マカカショウ)が引き継 ぎました。釈尊から数えて二十八代に登場するのが、日本では達磨さんや達磨大師の名で親しまれる菩提達磨(ボダイダルマ)です。南インドの王子として生ま れた達磨は、四十年におよぶ修行を経て六世紀前半に中国へ渡り、禅思想が発展する大きな契機をつくりました。達磨は9年もの間ひたすら岸壁に向かって座禅 修行を続けたといわれ、また達磨が唱えた「禅によって悟りを開く」という実践的な教えは多くの人々に受け入れられていきました。中国の禅はこの達磨を始祖 として隆盛を迎え、その後、分派していきます。』



(原文のまま)

T. ふっと背中がかるくなる

01 両忘(リョウボウ)

「白か黒か」へのこだわりを忘れて

生死、苦楽など、相対的な対立を忘れ去り、二元的な考え方から脱すること。「内外両忘」「善悪両忘」「両頭座断」なども同様の意味で使われる。

02 放下著(ホウゲジャク)
  
一切を捨て去るとすべてが生きかえる

厳陽という僧が趙洲從諗(ジョウシュウジュウシン 唐代の名僧)に「すべてを捨てました。さらにどんな修行をすればよいでしようか?」とたずねたとき、趙洲が即答したのがこの「放下著(捨ててしまえ!)」。「著」は強調する助詞。

03 掬水月在手(ミズヲキクスレバツキテニアリ)

慈悲の光はだれにもでも注がれる

中国の詩人・千良史の「春山夜月」という詩の一節。「弄花香満衣(花を弄すれば香り衣に満つ)で、いずれも禅でよく使われる。

04 挨拶

ふだんの挨拶にも生き方があらわれる

「挨拶」も禅語のひとつ。挨も拶も「せまる」「おす」という意味があり、禅では問答によって相手の仏法修行の深浅をはかることをいう。

05 日日是好日(ニチニチコレコウジツ)

どんな日もかけがえのない一日

唐代の僧・雲門文偃は、ある日、大勢の弟子たちに向かって「今から15日以後の自分の心境をひとことで言ってみよ」と問いかけた。誰も即答できずにいると、雲門はみずから「日日是好日」と答えた。

06 無可無不可(カモナクフカモナシ)

物事のよしあしをはじめから決めつけない

分別や執着を離れ、可も不可も超えた境地で何事にも対処するということ。

07 莫妄想(マクモウゾウ)

過去や未来を思い悩まず、いまに集中する唐代の無業禅師は誰に対しても「莫妄想(妄想するなかれ)」と唱えたという。

08 無事是貴人(ブジコレキジン)

あなたの中にある純粋な魂と出会う

臨済宗の開祖・臨済の言葉「無事是貴人、ただ造作することなかれ、ただこれ平等(ビョウジョウ)なり」から。正月の掛け軸にも好まれる。禅でいう「無事」は仏道や救いを外に求めない心をいう。

09 天真に任す(テンシンニマカス)

欲を離れ自然のままに身を任せよう

曹洞宗の禅僧であった良寛和尚は、四十歳のとき越後国上山(クガミヤマ)の五合庵に入り二十年近く独居をつづけた。生涯に多くの和歌を残したが、これは「生涯懶立身」で知られる詩の中の言葉。

10 明歴歴露堂堂(メイレキレキロドウドウ)

心の目をいっぱいに開いて見よ

「歴歴」はあきらかなようす。「露」は「あらわす」「あらわれる」の意味。妄想を離れた心には世界が一点の曇りもなくあきらかに見えてくることをいう。

11 柳緑花紅真面目(ヤナギハミドリハナハクレナイシンメンモク)

ありのままだよ、それが真実だよ

宋代を代表する詩人・蘇東坡の詩の一節。美しい春の景色を前に「柳は緑、花は紅、これが本来のありのままの姿だ」と詠嘆したもの。

12 喫茶去(キッサコ)

だれにでも分けへだてなく相対する

趙州和尚は、新米の修行僧にも位の高い僧にも同じように「喫茶去(まあ、お茶でも召し上がれ)と語りかけたという。一説に「お茶でも飲んで出直せ」の意味もあるという。

13 雨奇晴好(ウキセイコウ)

降っても晴れても、どっちもいいね

「奇」は、ふつうと変わっている、珍しくて面白いといった意味。「好」には美しいという意味もある。晴れても雨が降ってもどちらも景色は趣がある、と盧山の風景を詠んだ蘇東坡の詩の一節から。

14 冷暖自知(レイダンジチ)

あれこれ考えるより自分でやってみろ

道元禅師の「正法眼蔵」の弁道話に、「証の得否は、修せんものおのずからしらんこと、用水の人の、冷暖をみずからわきまふるがごとし」とある。

15 一期一会(イチゴイチエ)

今日の出会いはただ一度限り

江戸幕府の大老で、優れた茶人でもあった井伊直弼が茶道の心得を記した『茶湯一会集』によって広まった言葉。初出は千利休の門人・山上宗二による『山上宗二記』とされる。

16 無功徳(ムクドク)

善行に見返りなど求めない

六世紀前半、仏教に深く帰依していた梁の武帝が禅粗・達磨大師を招き、「私は寺を建て、僧を養成した。どんな功徳が得られますか?」とたずねた。 達磨はすぐさま「並びに(スベテ)無功徳」と答えた。

17 廓然無聖(カクネンムショウ)

カラッと晴れた大空を描いて

前項の「無功徳」と同じ梁の武帝と達磨の問答から。武官が「如何なるかこれ聖諦第一義(最も聖なる仏の教えとは何か?)と問うと、達磨は廓然無聖(廓然として聖もなし)」と答えた。

18 夢(ユメ)

何も残さず何にもとらわれることなく

漬け物でも知られた沢庵和尚が臨終のとき、弟子達に愒(ゲ)(仏をたたえる詩)を乞われて大書した「夢」が有名。また、道元禅師は「夢中に夢を説く」のが仏の教えであると説いた。

19 色即是空(シキソクゼクウ)

いまここにある自分を大切に

この世にあるすべてのもの(色)は、因と縁によって存在しているだけで、実体ではない(空)という大乗仏教の基本的な考え方。『般若心経』の「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」から。


U. 立ち止まって足下を見る

01 照顧脚下(ショウコキャッカ)

自分を顧みることを忘れぬように

日々の暮らしの足下をこそ照らし、顧みるべきだという戒めの言葉。

02 回光返照(エコウヘンショウ)

外にばかり向けていた目を自分の内側に

他人の言葉や考えに学ぼうと、外ばかり向いた目を内側に向けること。道元禅師の言葉に「須く言を尋ね語を逐う(オウ)の解行(ゲギョウ)を休すべし。須く回光返照の退歩を学ぶべし」とある。

03 洗心(センシン)

心の汚れを放っておかないで

座禅によって雑念や執着を捨て去れば心は新たになる。それにより心の汚れを洗うこと。日々の修行はすべて洗う作業ともいえる。

04 自浄其意(ジジョウゴイ)

いつも清らかな心でいるために

「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」という禅門でよく知られる偈文(詩の形式で仏を讃える言葉)

05 歩歩是道場(ホホコレドウジョウ)

素直な心さえあればどこも学びの場

修行は道場だけでするものではなく、日々の暮らし、言動のすべてが道場であり修行であるとする。

06 行住座臥(ギョウジュウザガ)

日常の立ち居振る舞いが心を育てる

行く、住まう、座る、寝るという日常の行動を四つの威儀という。禅宗では日常生活のすべてが修行であり、とくに規律と左方に則った行動を重んじる。

07 無位の真人(ムイノシンニン)

自分の中の「真人」に目覚めよう

臨済が説法で述べた、「赤肉団上に一無位の真人有り、常に汝等諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は、看よ、看よ」から。「無位」とは空間、時間、階級などを一切固定化しないという意味。

08 無一物中無尽蔵(ムイチモッチュウムジンゾウ)

すべてはかかわりあい支え合っている

「無一物中無尽蔵 花有り月有り楼台有り」という蘇東坡の詩の一節から。

09 好事不如無(コウジモナキニシカズ)

煩悩を生む「よいこと」ならないほうがいい

「好事とはよいこと、喜ばしいこと。よい出来事でもそれに執着する心が起きると煩悩や妄想のもとになると戒める言葉。

10 勢不可使尽(イキオイツカイツクスベカラズ)

ノリノリのときこそ反省を忘れずに

宋代の僧、仏鑑慧懃(ブツカンエゴン)が寺の住職になる際に、師の法演(ホウエン)が「およそ院に住す、己がために戒めるの」として与えた、いわゆる「法演の四戒」の第一戒。

11 規矩不可行尽(キクオコナイツクスベカラズ)

規則やマニュアルでしばるのもほどほどに

前項と同じ「法演の四戒」の第三戒。「規矩(キク)」とは手本や規律の意味。

12 百不知百不会(ヒャクフチヒャクフエ)

何も抱え込まずいつもサラの状態でいよう

宋代の無文(ムモン)禅師の言葉。そのままの意味は「何も知らず何も理解せず」で役に立たない人をさすが、禅では「知る・知らない」「是か非か」などの分別や相対的認識を超えた状態をいう。

13 喝(カツ)

相手を信じるからこその気合一発

気合を込めて叫ぶこと。また修行者の迷いを立つ為に老師が発する大声のこと。弟子に仏法を説くために臨済が「喝」を多用したのは有名。

14 心静即身涼(ココロシズカナレバスナワチミスズシ)

心が平穏であれば肉体もさわやか

唐代の詩人・白居易の詩の一節「是れ禅房に熱の到ることなきあらず、但だ(タダ)よく心静かなれば即ち身も涼し」より。座禅の心得としても使われる。

15 一日不作一日不食(イチニチナサザレバイチニチクラワズ)

つとめるべきつとめを果たそう

唐代の名僧百丈懐海(ヒャクジョウエカイ)の言葉。百丈は「作務」(労働)を重んじ、修行者の生活規定を定めた「百丈清規」は現在も禅寺で受け継がれている。

16 和光同塵(ワコウドウジン)

苦しむ人には無心に手を差しのべる

もとの言葉は「老子」の「道徳経」にある。「和光」とは自分の持っている徳や才智の光を和らげ、表に出さないことをいう。「同」は同化するの意、「塵」は俗世をさす。

17 一切唯心造(イッサイユイシンゾウ)

清も濁もすべては心がつくりだすもの
お盆に行われる施食会(セジキエ)で唱和する「甘露門」というお経の一節。

18 応に(マサニ)住する(ジュウスル)所(トコロ)無うして(ノウシテ)其の心(シン)を生ずべし

心はいつも自由に遊ばせておけ

「金剛般若経」の一説「応無所住面生其心」から。何ものにもとらわれない心ですべてにあたれということ。「住する」とはひとつところにとどまること。

19 明珠在掌(ミョウジュタナゴコロニアリ)

あなた自身が尊い宝物を持っている

明珠とは透明で曇りのない珠玉のこと。ここでは「仏性」「仏心」を明珠になぞらえている。掌とは手のひら。自分の中の仏性に目覚めて生きよということ。

20 松樹千年翠(ショウジュセンネンノミドリ)

変わらぬものの価値を見失わないで

「松樹千年翠 不入時人意(時の人の心に入らず)」という語句から、世の人の目には入らないが変わらぬ松の緑を讃える言葉。

21 一大事(イチダイジ)

今日をどう生きるかが最も大事

「生(ショウ)を明らめ(アキラメ)死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」(道元禅師)から。「一大事」とは仏法における最も大切なことをさす。





V. やさしく生きる・つよく生きる

01 主人公(シュジンコウ)

本来の自分を目覚めさせよう

「無門関」十二則にある「瑞巌主人公」が出典として有名。「瑞巌の師彦(シゲン)和尚、毎日自ら主人公と喚び、復た(マタ)自ら応諾す」とある。

02 随処に主と作れば(ナレバ)立処(リッショ)皆真なり

ブレない自分は「無心」でつくる

臨済禅師が弟子達に語ったとされる。「随処に主と作る」とは、どこでも自分が主役やリーダーになれということではなく、常に真実の自己を見失うなということ。

03 他は是れ吾にあらず(タハコレワレニアラズ)

今日なすべきことを自分でやりきる

道元禅師が宋に留学中に出会った典座(炊事係の長)との会話から。「他人は他人」という自己中心的な意味ではなく、自分のための修行は自分でやらないと無意味だということ。

04 隻手音声(セキシュノオンジョウ)

声なき声はどこで聴くか

「両掌相打って音声あり、隻手に何の音声がある」という白隠の有名な公案。隻手とは片手。公案とは修行者が悟りを開くために課題として与えられる問題のこと。

05 誰家無明月清風(タガイエニメイゲツセイフウナカラン)

さあ、窓を開けて深呼吸

明るい月の光やさわやかな風がとどかない家がどこにあろうか。仏心は平等であることを示す圜悟克勤(エンゴコクゴン)の言葉。

06 雪裡梅花只一枝(セツリノバイカタダイッシ)

苦難に耐えてこそ真実をつかむことができる

道元禅師の師・如浄の言葉「仏が凡夫としての眼を失ったとき(悟りを得たとき)雪の中に一枝の梅の花が香る。いまはどこも茨だらけだが、春風が吹けば梅の花がいっせいに咲き乱れるだろう。

07 和敬清寂(ワケイセイジャク)

互いを認め合うことがはじまり

茶祖とされる村田珠光(ムラタジュコウ)が一休宗純に禅の心をもって茶を点てるよう勧められ、茶道の心をしるした言葉がもとという。のちに
千利休が茶道の根本精神として示して広く伝わった。

08 宇宙無双日乾坤只一人(ウチュウニソウジツナクケンコンタダイチニン)

天地に我一人、自信を持って生きていこう

「宇宙無双日」とは、宇宙に太陽は二つないということ。「乾坤」とは天と地。「乾坤只一人」とは天と地の間に自分ただ一人であるということ。

09 可及其智不可及其愚(ソノチニハオヨブベキモ ソノグニハオヨブベカラズ)

利口になるより大馬鹿になってみよう

悟りに到っても、悟りを得たという自我まで捨てきれなければ真の悟りではないことを「愚」の言葉で示したもの。愚とはなかなかに深い言葉で、あの良寛さんは「大愚良寛」という名前でした。親鸞聖人はみずから「愚秀(愚かな坊主)」と称したそうです。

10 啐啄同時(ソッタクドウジ)

殻を破るべきタイミングを逃がさずに

「碧巌録」第十六則に「およそ行脚の人は須く啐啄同時の眼を具し、啐啄同時の用あって、まさに衲僧(ノウソウ)と称すべし」とある。「用」は働き、「衲僧」は真の禅僧の意。

11 一華開五葉(イッケゴヨウヲヒラク)

無垢な心にはいつか果実が実る

達磨大師が二祖(二代目開祖の意)の慧可(エカ)大師に仏法を伝えた言葉。のちに五代を経て禅宗が五派に別れて花開くであろうと予言した言葉とされる。

12 行雲流水(コウウンリュウスイ)

身を軽くして生きてみる

行く雲、流れる水のようにゆうゆうと自在に場所を変え、いっさいのものに執着することなく生きること。またそうした悟りの境地をいう。

13 百花春至為誰開(ヒャッカハルイタッテタガタメニカヒラク.)

与えられた命をただ無心に生きる

冬枯れの季節を過ぎて春風が吹けば、野にはたくさんの花が咲き乱れる。だれのためにでもなく、ただ命のままに咲く花の無心を詠じた言葉。



14 不雨花猶落(アメナラズシテハナナオオツ)

真理はほら、そこにある

「槿花露を(キンカツユヲ)凝らし、梧葉秋になる、この中現成(ゲンジョウ)の事如何提唱せん」という修行僧の問に趙州和尚が答えた言葉とされるが、原典は不祥。

15 眼横花直(ガンノウビチョク)

当たり前のことを、当たり前に

道元禅師が、宋に渡って如浄のもとで悟りを開き、帰国したとき語った言葉「眼横花直なることを認得して他に瞞(マン)ぜられず」から。

16 逢茶喫茶逢飯喫飯(ホウサキッサ ホウハンキッパン)

ごはんのときはごはんを無心にいただこう

曹洞宗総持寺の開山・瑩山禅師が、師である義介(ギカイ)のもとで悟りを得たときの言葉。「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」と読んでもいい。

17 自灯明 法灯明(ジトウミョウ ホウトウミョウ)

自分とその信じるものをよりどころとして

釈尊(釈迦)が亡くなる間際、弟子が「師が亡くなられたあとは何を頼りに生きたらいいのでしょうか?」とたずねた。そのとき釈尊が示したのが「自らを灯りとせよ、法を灯りとせよ」という言葉。

18 月落不離天(ツキオチテテンヲハナレズ)

人も月も仏の世界から離れることはない

雲門文偃(ウンモンブンエン)が開いた雲門宗(唐時代に栄えた禅宗のひとつだが後に衰退)の福厳守初(フクゴンシュショ)や、臨済宗の浄因道臻(ジョウインドウシン)の言葉として知られる。

19 白馬蘆花に入る(ハクバロカニハイル)

同じに見えてもひとつではない

蘆花とは芦の花で、秋に多数の白い小花をつける。白い馬が芦の花の中に入り、見分けがつかなくなるようすをいう。

20 身心脱落(シンジンダツラク)

心と体を覆っているものをそぎ落とそう

道元禅師が修行のため宋に渡り、天童山の如浄のもとて悟りを得たときの問答に見られる言葉。

21 拈華微笑(ネンゲミショウ)

微笑みだけでも心は通う

釈尊がある説法のとき無言で一輪の花輪を差し出すと、ただ一人の弟子だけが微笑みを返し、釈尊はその弟子に真実のいっさいを伝えたという故事による。


W. こころざしをなくさないで

01 八風吹けども動ぜず(ハップウフケドモドウゼズ)

逆風にも突風にもたじろがずに

「八風」とは人の心を惑わし、あおりたてる八つのもの。八風にもゆるがない不動の心を育てよという意味。


02 紅炉上一点の雪(コウロジョウイッテンノユキ)

純粋な心を燃やして邪念をけちらせ

「碧巖録」に「荊棘(イバラ)の林を透る衲僧家、紅炉上一点の雪の如し」とある。日本の南北朝時代の高僧、抜隊得勝(バッスイトクショウ)と月庵(ゲツアン)宗光の問答でも知られる。


03 水到れば渠成る(ミズイタレバキョナル)

歩んだあとにはひとすじの道が残る

「渠」は溝・掘割のこと。もとは中国の古詩「学問の根深うして方に(マサニ)帯固く、巧名の水割って自ら渠成る」

03 名利共に休す(ミョウリトモニキュウス)

名誉もお金もいらないという覚悟

「名利」は名聞(ミョウモン 名誉)利養(リヨウ お金、財産)の略。道元禅師は「修行者は名聞利養にとらわれてはいけない」と戒め、総持寺を開いた瑩山禅師も「名聞利養は悉くこれを近づくべからず」と説く。

04 把手共行(ハシュキョウコウ)

信じる人と手をつないで行こう

無門慧開(ムモンエカイ)の言葉に「『無』という関門をくぐることができれば、達磨や歴代の祖師たちと手をとって歩き、同じ目ですべてを見、同じ耳ですべてを聞くことができる」とある。

05 木鶏鳴子夜(モツケイシャニナク)

無我無心であればこそ器も大きくなる

宋代の風穴延沼(フウケツエンショウ)の言葉だが『莊子』の闘鶏を育てる名人の話が原典。「木鶏」は木で作った鶏、「子夜」とは子の刻(深夜12時頃)で「子夜に鳴く」とは人知れぬ働きに重ねて「無心」を象徴している。

06 春在枝頭已十分(ハルハシトウニアッテスデニジュウブン)

幸福はあなたのそばにある

宋代の詩人、載益(タイエキ)の「春を探る」という詩の一節から。道元の師、如浄の「春在梅梢帯雪寒(春は梅梢に在りて雪を帯びて寒し)」という句もある。

07 天下の人のために蔭涼と作らん(テンカノヒトノタメニオンリョウトナラン)

人のためにつと日影をつくる人に

臨済が師の黄檗希運のもとで修行していたとき、兄弟子の睦洲が臨済を評価し、黄檗に伝えたとされる言葉。

08 瓦を磨いて鏡となす(カワラヲミガイテカガミトナス)

結果ばかり求めて行動するのをやめる

唐代の僧、南獄懐讓(ナンゴクエジョウ)と弟子の馬祖道一(バソドウイツ)の問答が有名。悟りを得る目的で座禅をするな、自分の利のために修行をするなという意味。

09 流水、無心にして落花を送る(リュウスイ、ムシンニシテラッカヲオクル)

無為自然に身を任せ合える関係を

散る花とそれを運んでいく流水の関係のように、人とのまじわりにおいても無心・あるがままであれという意味。

10 平常心是道(ビョウジョウシンコレドウ)

特別なことより、まずふだんの心がけ

唐代の名僧、趙洲(ジョウシュウ)が修行中に師の南泉普願(ナンセンフガン)とかわした問答に由来する。禅の本質を端的にあらわしたもので、もとは南泉の師の馬祖道一の言葉という。

11 曹源一滴水(ソウゲンノイッテキスイ)

一滴の水だっておろそかにしない

現在の禅宗の源流をたどると、唐代に曹渓(中国広東省)にいた六祖慧能にたどりつく。「曹源」は曹渓の源流と同時に慧能のことをさす。

12 不思善不思悪(フシゼンフシアク)

あなたは純粋な魂を忘れてしまったのか

慧能が五祖弘忍(コウニン)から禅法を継承したとき、それを認めようとせず迫ってきた門下の慧明に(エミョウ)に言った言葉から。

13 滅却心頭火自涼(シントウメッキャクスレバ ヒオノズカラスズシ)

暑さなら暑さ、苦悩なら苦悩に同化しろ

戦国時代、甲斐の惠林寺にいた快川紹喜がこの句を唱えて火中に身を投じたことで有名。もとは唐代の詩人・杜筍鶴(トジュンカク)の「夏日悟空上人の院に題す」という詩による。

14 百尺竿頭に一歩を進む(ヒャクシャクカントウニイッポヲススム)

そこで満足せずに、さらに歩みを進めよう

中国の禅僧、石霜(セキソウ)と長沙(チョウサ)の問答より。
「百尺竿頭如何が歩を進めん」という石霜の問に長沙は「百尺竿頭に須く歩を進め、十方(ジッポウ)世界に全身を現ずべし」と応じた。

15 竹影、階を掃って塵動ぜず 月、潭を穿つも水に痕無し(チクエイ、カイヲハラッテチリドウゼズ ツキ、タンテイヲウガツモミズニアトナシ)

何ものにも染まることのない自由な心で

もとの句は「竹影掃階塵不動 月穿潭水無痕」「潭」は深い淵。禅者の無心の行為は心中になんの執着も残さないということ

(了)         
  

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● 462 書物「世界のトップリーダー 英語名言集」について (夢を実現せよ、人を動かせ、創造せよ)
26 Mar (Thu) 11:59 
From:岡田 次昭 南高 11期  

2月下旬、私は二子玉川の高島屋内にある紀伊國屋書店にてこの書物に出会いました。中身を見ると、欧米の有名人の名言かぎっしりと詰まってお りましたので、早速これを購入しました。有り難いことに、英文と英訳以外にCDがついております。目と耳から英語に親しむことが出来ます。なお、この書物 の初版発行日は2009年2月10日で、発行所は有限会社Jリサーチ出版です。

「はじめに」のところで著者(David Thayneさんと佐藤淳子さん)は次のように述べています。
『本書は、世界のトップリーダー125人の名言を紹介したものです。日本でもお馴染みのビル・ゲイツ、カルロス・ゴーン、ココ・シャネルなど世界各国の多 彩な人物を取り上げました。折しも、本書を執筆中、サブプライムローンの破綻をきっかけにした金融危機がアメリカ、ヨーロッパ、そしてアジアや新興国にも 波及する事態となり、グローバル化した経済は、国も企業も個人も飲み込み、大きく揺れ動くのだということを実感させられました。もちろん日本も、こうした グローバル経済の中にあります。高度成長期を支えた終身雇用制度は崩壊し、経営者と社員との関係は家族的なものからドライなものに変化して来ました。金融 危機のあおりで、輸出産業が大打撃を受け、こうした混迷の時代、ビジネス界の先人たちの言葉に耳を傾ける意味は大きいと思います。世界のトップリーダーた ちの言葉は、ユニークで、力強いメッセージに溢れています。英語特有の言い回しも楽しんでいただけることでしょう。200を越える名言の中から、ひとつで も心に響く言葉を見つけてもらえるなら、筆者としてうれしい限りです。言葉はときに大きな力になります。逆境にあるとき、迷いを吹っ切りたいとき、大きな 決断を迫られたとき、ぜひ彼らの言葉を思い出してください。』

ここに掲載されております名言は、比較的易しい英語で書かれております。
ご参考までに英訳を記載しておきます。英文と見比べてください。
すべてを紹介できませんので、200を越える名言の中から、その一部を下記に記載しておきます。
心に響く言葉がありましたら、筆者の希望に適うことになります。





T. Success (成功)

01 Success is a lousy teacher. It seduces smart people into thinking they can't lose.
( Bill Gates 1955- マイクロソフト社 創業者)

成功は最低の教師である。賢い人間を騙して、失敗するわけないと思わせてしまう。

02 One sound idea is all that you need to achieve success.
(Napoleon Hill 1883-1970 アメリカの作家 )

成功に必要なのは、ひとつのしっかりしたアイデアである。

03 No man will succeed unless he is ready to face and overcome difficulties and prepared to assume responsibilities.
(William Boetcker ウィリアム・ ボエッカー1873-1962 アメリカの宗教家)

困難に向き合って克服する準備も、責任を負う覚悟もなくして成功する人などいない。

04 There are no secrets to success. Don’t waste time looking for them. It is the result of preparation, hard work, and learning from failure, loyalty to those for whom you work, and persistence.
(Colin Powell 1937- アメリカの元国務長官)

成功に秘訣などない。秘訣を探すことに時間を消費してはいけない。準備、努力、失敗からの学習、仕える人への忠誠、粘り強さ、それらの結果が成功なのだ。

05 Before everything else, getting ready is the secret of success.
(Henry Ford 1863-1947ヘンリー・フォード アメリカ自動車産業の父)

準備しておくこと。これが何よりの成功の秘訣である。

06 If you have no critics you’ll likely have no success.
(Malcolm S. Forbes 1919-1990フォーブス誌の元発行人)

批判してくれる人がいなければ、成功もないだろう。

07 Success is not the key to happiness. Happiness is the key to success.
If you love what you are doing, you will be successful.
(Albert Schweitzer 1875-1965 ドイツ生まれの医者、神学者、哲学者、音楽家)

成功は幸福のカギではない。幸福が成功のカギなのだ。自分のやっていることが好きなら、きっと成功するだろう。


U. Dreams (夢)

01 All your dreams can come true, if you have the courage to pursue them.
(Walt Disney 1901-1966 エンターテインメント界の巨星)

追い求める勇気があれば、全ての夢はかなう。

02 What you get by achieving your goals is not as important as what you become by achieving your goals.
(Johann wolfgang von Goethe 1974-1832ドイツの詩人、小説家、劇作家)

目標を達成して得たものは。目標を達成することでなった自分ほど重要ではない。

03 A goal is a dream with a deadline.
(Napoleon Hill 1883-1970 アメリカの作家。成功哲学の祖)

目標は締め切りのある夢だ。


04 I don’t dream at night, I dream all day; I dream for a living.
(Steven Spielberg 1946- アメリカの映画監督)

私にとって夢は夜見るものではない。寝ても覚めても夢を見る。夢を見るのが仕事なのだ。

05 The best way to make your dreams come true is to wake up.
(Paul Valery 1871-1945 フランスの詩人、小説家)

夢をかなえる最善の方法は、目を覚ますことだ。

06 Dream no small dreams for they have no power to move the hearts of men.
(Johann wolfgang von Goethe 1974-1832ドイツの詩人、小説家、劇作家)

小さな夢は見るな。小さな夢には人の心を動かす力がない。


V. Opportunity (チャンス)

01 Business opportunities are like buses, there’ s always another one coming.
(Richard Branson 1950- イギリス人 権威に挑む異端の経営者 )

ビジネスチャンスは、バスと同じである。いつだって次がくる。

02 Trouble is only opportunity in work clothes.
(Henry Kaiser 1882-1967 アメリカ造船業界の父 )

トラブルこそ、仕事着をまとったチャンスである。

03 Fortune knocks but once, but misfortune has much more patience.
(Laurence Pete 1919-1990 カナダ生まれの教育者)

幸運は一度しかノツクしない。しかし、不運はもっとしつこい。

04 The optimist sees opportunity in every danger; the pessimist sees danger in every opportunity.
(Winston Churchill 1874-1965 第二次世界大戦時のイギリスの首相)

楽観主義者は、どんな危険の中にもチャンスを見出し、悲観論者は、どんなチャンスにも危険を見る。

05 There is always an opportunity to make a difference.
(Michael Dell 1965- アメリカの実業家 DELL社の創設者 )

世の中をよくする機会は、常にある。

06 In the middle of difficulty, lies opportunity.
(Albert Einstein 1879-1955 ドイツ生まれの物理学者)

困難の中にこそチャンスはある。

07 Today knowledge has power. It controls access to opportunity and advancement.
(Peter Drucker 1909-2005 アメリカを代表する経営学者)

今日、知識が力を持つ。それはチャンスと進歩への道を支配する。


W. Money (お金)

01 If you work just for money, you’ll never make it, but if you love what you’ re doing and you always put the customer first, success will be yours.
(Ray Kroc 1902-1984 マクドナルド社創設者)

あなたはお金のためだけに働いているなら成功はおぼつかないだろう。自分の仕事を愛し、常に消費者を第一に考えているなら、成功はあなたのものだ。

02 There is no class so pitiably wretched as that which possesses money and nothing else.
(Andrew Carnegie 1835-1919 アメリカの鉄鋼王)

お金以外のものを持たない類の人々ほど、哀れで惨めな人々はいない。

03 Money does not change men, it only unmasks them.
(Marie Jeanne Riccoboni 1713-1792 フランスの小説家)

金は、人を変えるわけではない。人の仮面をはがすだけだ。

04 Money will make you more of what you already are. If you’re not a nice person, money’s going to make you a despicable individual. If you’re a good person, money’s going to make you a better person.
(Bob Proctor 1944- 成功哲学に関するスピーカーの第一人者)

金は、その人の本性をより強く引き出すものである。あなたがよい人間でなければ、金は卑劣な人間にするだろう。あなたがよい人間であれば、金はよりよい人間にしてくれるだろう。

05 Anybody who thinks money will make you happy hasn’t got money.
(David Geffen 1943- アメリカの映画プロデューサー)

お金が幸せにしてくれると思っている人は、お金を手にしていない。

06 Money isn’t the scarcest resource ─ imagination is.
(Linda Yates 1963- ペインテイド・ウルフ社の共同創業者)

金は希少な資源ではない。希少なのは想像力である。


X. Leadership (リーダーシップ)

01 Management is doing things right; leadership is doing the right things.
(Peter Drucker 1909-2005 アメリカを代表する経営学者)

正しく物事を遂行するのが経営であり、正しいことを行うのがリーダーシップである。


02 Innovation distinguishes between a leader and a follower.
(Steve Jobs 1955- アップル社の共同創業者)

革新は、リーダーと追随者を峻別する。

03 Good leaders must first become good servants.
(Robert Greenleaf 1904-1990 アメリカのビジネス・コンサルタントの草分け)

よきリーダは、まずはよき部下にならなくてはいけない。

04 The only safe ship in a storm is leadership.
(Faye Wattleton 1943- 女性の権利を訴えるアフリカ系アメリカ人活動家)

嵐の中にあって唯一安全な船は、リーダーシップである。

05 Leaders aren’t born; they are made. And they are made just anything else, through hard work.
(Vince Lombardi 1913-1970 アメリカンフットボールのチーム『グリーンベイ・パッカーズ』を率いた主将)

生まれついてのリーダーはいない。他のことと同様、懸命に励むことでなるものだ。


Y. Motivating People (やる気にさせる)

01 Everyone wants to be appreciated, so if you appreciate someone, don’t keep it a secret.
(Mary Kay Ash 1918-2001 全米最大手の化粧品会社創業者)

誰もが感謝されたいと思っている。だから、誰かに感謝するなら、それを隠さないことである。


02 If you just communicate you can get by. But if you skillfully communicate , you can work miracles.
(Jim Rohn 1930- アメリカの作家)

コミュニケーションするだけなら、なんとかできる。しかし、うまくコミュニケーシヨンすれば、奇跡を起こすことがてぎるのだ。

03 Don't find fault, find a remedy.
(Henry Ford 1863-1947ヘンリー・フォード アメリカ自動車産業の父)

あら探しをするな、解決策を探せ。

04 The most important thing in communication is hearing what isn’t said.
(Peter Drucker 1909-2005 アメリカを代表する経営学者)

コミュニケーションで最も大事なことは、言葉にならないことに耳を傾けることだ。


Z. Decision Making (決断)

01 Indecision is often worse than wrong action.
(Henry Ford 1863―1947 アメリカ自動車産業の父)

決断しないことは、ときとして間違った行動よりたちが悪い。

02 It is in the small decisions you and I make every day that create our destiny.
(Anthony Robbins 1960- アメリカの作家)

運命を決めるものは、日々、下している小さな決断にある。

03 Whenever you see a successful business, someone once made a courageous decision.
(Peter Drucker 1909-2005 アメリカを代表する経営学者)

成功したビジネスでは、必ず誰かが一度は英断を下している。

[. Difficulty (困難)

01 I'm Happy when competition is strong. It gives us more opportunity to improve our operations and products.
(Carlos Ghosn 1954- 日産V字回復の立役者 )

競争相手が強いのは幸運なことだ。われわれに、事業運営や商品を改善する、より多くのチャンスを与えてくれる。

02 Face reality as it is, not as it was or as you wish it to be.
(Jack Welch 1935- GEの元CEO)

過去の姿でも、願望でもなく、あるがままの現実に向き合うことだ。

03 When you’re going through hell, keep going.
(Winston Churchill 1874-1965 第二次世界大戦時のイギリスの首相)

地獄を体験しているなら、そのまま突き進め。

04 How you think about a problem is more important than the problem itself - so always think positively.
(N0rman Vincent Peale 1898-1993 プロテスタントの伝道師)

重要なのは、問題そのものよりも、問題についてどう考えているかである。だから、常に前向きに考えることだ。


[. Creativity (創造性)

01 In order to be irreplaceable one must always be different.
(Coco Chanel 1883-1971 二十世紀のファッションリーダー)

かけがえのない存在になるには、常に人と違っていなければならない。


02 What is now proved was once imagined.
(William Blake 1757-1827 イギリスの詩人・画家)

今、立証されていることは、かつては空想でしかなかった。

03 To imagine the unimaginable is the highest use of the imagination.
(Cynthia Ozick 1928- アメリカの女流作家)

想像できないものを想像することは、想像力の最大利用である。


\. Ability (能力)

01 Too many people overvalue what they are not and undervalue what they are.
(Malcolm S. Forbes 1919-1990フォーブス誌の元発行人)

現実の自分ではない姿に過剰に憧れ、真の姿を過小評価する人があまりにも多い。

02 If you think you can, you can. And if you think you can’t , you’re right.
(Mary Kay Ash 1918-2001 全米最大手の化粧品会社創業者)

できると思ったら、できる。できないと思えば、その通りになる。

03 You have wings. Learn to use them and fly.
(Rumi 1207-1273 トルコの詩人)

あなたには翼がある。それを使うことを学び、飛びなさい。


]. Action (行動)

01 The way to get started is to quit talking and begin doing.
(Walt Disney 1901-1966エンタテイメント界の巨星)

スタートを切る方法は、しゃべるのをやめて動き始めることだ。

02 The only man who never makes mistakes is the man who never does anything.
(Theodore Roosevelt 1858-1919 アメリカの第二十六代大統領)

ミスをしない人間は、何もしない人間だけだ。

03 Well done is better than well said.
(Benjamin Franklin 1706- 1790 アメリカの政治家・物理学者)

よく為すは、よく語るに勝る。


Ⅺ. Change (変化)

01 Change before you have to.
(Jack Welch 1935- GEの元CEO)

変革せよ。変革を迫られる前に。

02 Change is the law of life. And those who look only to the past or present are certain to miss the future.
(John F. Kennedy 1917-1963 アメリカの第三十五代大統領)

変化は人生の常である。過去と現在ばかりを見ている人は、必ず未来を見逃す。

03 There are two kinds of fools: those who can’t change their opinions and those who won’t.
(Josh Billings 1818-1885 アメリカの講師、ヒューモリスト)

愚か者には、二種類ある。意見を変えられない者と意見を変えようとしない者だ。


Ⅻ. Time (時間)

01 Wisdom is the power to put our time and our knowledge to the proper use.
(Thomas J. Watson 1874-1956 IBM初代社長)

知恵とは、時間と知識を正しく使う能力のことである。

02 I never waste time looking back.
(Eleanor Roosevelt 1884-1962 アメリカの第三十二代大統領)

私は決して過去を振り返ることに時間を消費しない。

03 Don’t spend time beating on a wall, hoping to transform it into a door.
(Coco Chanel 1883-1971 二十世紀のファッションリーダー)

そのうち扉に変わるだろうと期待しながら壁を叩き続けるようなことに時間を費やしてはいけない。

04 You will never find time for anything .You must make it.
(Charles Buxton 1823-1871 イギリスの政治家・作家)

何をするにも時間は見つけるものではない。作るものだ。

05 Everything comes gradually and at its appointed hour.
(Ovid B.C43-A.D17 イタリアの詩人)

すべては徐々に、そして指定された時間に起こる。
(了)

A型
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● 461 書物「文藝春秋SPECIAL 素晴らしき日本語の世界」について
26 Mar (Thu) 11:46 
From:岡田 次昭 南高 11期  

平成20年10月、近くのスーパーマーケットにて、私はこの書物に出会いました。全編日本語に関する文章で埋められております。永久保存版として私はこの書物を大事にします。
さて、外国人でありながら、完璧な日本語で文章を作成したピーター・フランクルとフランス・ドルヌに、私は興味を惹き、かつ、感動しました。
語学の天才であるピーター・フランクルはこの書物において、「一週間程度の短い期間の学習も含めると、三十カ国以上の言語に挑戦したことがある。その中で 最も難しいと感じたのは日本語だ。」と述べています。日本語は、平仮名・片仮名・それに夥しい漢字・それに、音読みと訓読みが加わって、複雑になっている からです。
それに、フランス・ドルヌ女史の「さすが」の詳細な分析は見事と言わざるを得ません。普通の日本人ではこの点に注目することは出来ないと考えます。
「さすが」という言葉のニュアンスがよく分かりました。まったく脱帽です。
その素晴らしい文章を下記に記載しておきます。日本人でもこれだけの文章を書くとなると大変な努力を要します。
末尾には、「あて字」をご参考として転記しました。この「あて字」は日本独特のものです。こう考えますと、日本語は本当に複雑で難しいことが分かります。



(原文のまま)

1. 日本語の素晴らしさ(ピーター・フランクル 数学者)
(プロフィール)
1953年3月26日、ピーター・フランクルは、ハンガリーのカボシュパールで生まれました。両親は、ユダヤ人の医師夫妻です。18歳で国際数学オリン ピックにて金メダルを獲得。1979年フランスに亡命し、1987年フランス国籍を取得しました。1988年日本に定住。彼は語学の天才です。囓ったこと のある言語は30ケ国語以上で、大学において講義できるレベルまで使いこなす言語は母国のハンガリー語の他、日本語、ドイツ語、ロシア語、スウェーデン 語、フランス語、スペイン語、ポーランド語、英語、中国語などです。専門の数学関係の著作論文は200篇以上もあります。

@世界一美しいか?
日本語と出会って四半世紀を過ぎた。にもかかわらず毎日のように知らない単語や表現に遭遇したり、面白い慣用句に驚嘆したり、美しい言い回しに感動し続け ている。日本語が大好きだという気持ちは深まるばかりだ。それでも「日本語は世界一美しい言葉である」「日本文学は世界に冠たるものだ」とは、絶対に書き たくない。僕は学者である。だから客観的な比較が不可能な事実については発言を控えたい。詩歌の美しさはとりわけ較べ難い。母国語とほぼ同じ水準で修得し た言語以外は詩歌を翻訳でしか吟味できないからだ。ボードレールの『悪の華』を原文と堀口大學の訳で読み較べてみた。それぞれ素晴らしい詩であったが、韻 を踏む習慣のない日本語で音読すると、調べも印象も全く違う。言うまでもなく、芭蕉の俳句をはじめ、日本の詩歌を外国語に訳す時も失われる部分が大きい。 だから、日本語はとても美しい言葉であるという事実に満足し、他言語との無駄な比較はやめてほしい。

A世界一難しいか?       
一週間程度の短い期間の学習も含めると、三十カ国以上の言語に挑戦したことがある。その中で最も難しいと感じたのは日本語だ。日本語以外にもアラビア語、 ヘブライ語、タイ語、ヒンディ語等、文字を覚えるだけでも苦労する言語があったけど、どれも日本語の平仮名と片仮名を修得する程度だ。しかし、日本語には 漢字もある。そしてその数は夥しい。
尤も(モットモ)、数だけを考えると中国人が使っている漢字の方がずっと多い。但し、漢字の原点である中国では、一つの漢字は基本的に一種類の読み方しか なく、それも音読み、つまりその漢字自体を知らなくても偏(ヘン)か旁(ツクリ)で推測できる。一方、日本語はそう甘くない。一つの漢字に複数の音読みと 訓読みが付くことは決して珍しくない。特に訓読みは手がかりがなく、只管(ヒタスラ)覚えるしかない。地名や人名になると更に大変である。例えば、美しい 港街、神戸と同じ字で群馬県や岐阜県の神戸(ゴウド)町、島根県の神戸(カンド)川、三重県の神戸(カンベ)がある。これだけ複雑な言語を学ばな ければならない日本の子供たちは可哀そう、という観点から、学校などで使われている漢字や読み方はかなり限定されてきた。僕に言わせるとこの考え方は誤り である。例えば、鰯(イワシ)、鮃(ヒラメ)、鯖(サバ)などの多くの魚の名前は所謂「国字」であり、日本人が自らよく観察して付けた名前である。片仮 名にしてしまうと情報量が減ってしまうのだ。
もっと大事な事に、言語が難しければ難しいほど、それを学ぶ子供たちの脳は刺激される。たとえ試験に出す漢字としてその読みを限定したとしても、教科書な どの文章できちんと漢字を使用してその読みをルビで示せばよい。兎にも角にも好奇心旺盛な子供たちから学ぶ機会を奪ってはいけない。

B日本語と西洋の言語
どの言語にも諺や慣用句などの独特な表現がある。外国人にとってそれらを正しく理解し、且つ使いこなす為には相当の時間と努力が必要となる。子供の頃から 学んできた独語や露語、また大学生の頃に修得した英語や仏語でも、母国ハンガリー語と全く違う諺や、びっくりするような慣用句が数多くあった。しかし日本 語とは較べものにならない。
その原因を探ってみると、やはり歴史的・地理的要素が強いと思われる。欧米人にとって古代ギリシャとローマ文明は原点となる。それは古代中国の日本への影響と類似している。
更に対照的な事を挙げると、日本人と日本語は仏教の影響を受けたのに対し、欧米人の思想は聖書の教えを反映している。前者の簡単な例として、『一期一会』 や『四苦八苦』がある。日本の言い回しの語源(純粋な大和言葉でも中国からの転用でも、仏教を元にした表現でも)は据え置き、欧米人にとって非常に新鮮で 興味深いことには変わりない。

C日本語は面白い
僕が日本の諺と出会ったのは、回展寿司の湯呑みだった。表面にはいろは歌留多の諺が並んでいた。『犬も歩けば棒にあたる』『花より団子』『論より証拠』など。店の人から貰い、全部覚えた。そして度々使うようになった。
相反するものが多いことも面白い。例えば、僕の大好きな『旅は道連れ 世は情け』に対して、『人を見たら泥棒と思え』という言葉もある。どちらを取るのかにその人の人生観が表れるのだ。
登場する具体的な表現が欧米と異なるとはいえ、根本は皆同じ人間なので世の東西を伝えたい内容は似ていることも多い。『一石二鳥』や『一挙両得』に対して ハンガリー語で『一発で二匹の蠅を撃つ』という諺がある。『五十歩百歩』や『目糞鼻糞を笑う』に対してハンガリー語で『一方は十九、もう一方は二十引く』 というものがある。
『虎穴に入らずんば虎子を得ず』に対してラテン語の『幸運の神は勇者の肩を持つ』もある。この『肩を持つ』を始め、日本の慣用句にはあらゆる部分を使った 独特の表現も多い。ある小説で『握り睾丸で……』という表現を見て驚嘆したことを鮮明に覚えている。『屁の河童』や『尻餅を搗く』も面白い。気に入った表 現を挙げると一冊の本が書けてしまいそうなので、この辺にしておこう。


Dこれからの日本語は?
「惚れた目には痘痕も靨」と言うけれど、昔は日本語が非常に単調で「デス・マス」だけがはっきり聞こえた。今ではその響きは耳を擽る(クスグル)麗しい音になっている。僕は「嫋やか(タオヤカ)」「穏やか」などの大和言葉の柔らかさを格別に気に入っている。
ところが最近になって、英単語による汚染が加速している。例えば、「ありがとう」を「Thank you」と言ったり、「了解」を「OK」と言ったり、「グローバリゼーション」のような、響きが悪くやたらと長い片仮名語を乱用するなどの傾向にある。日 本と日本語の美を護るのは、日本人の最大の務めではないだろうか?

2. さすが! 日本語の魅力 (フランス・ドルヌ 青山学院大学教授 女性)

「あなたが好きな日本語は?」と言われると、簡単には答えられません。一つ一つの言い回しというより、言葉全体として不思議なので日本語に興味があると 言った方がふさわしいと思います。でも自分の母語(フランス語)にはない不思議な表現、簡単に訳せない表現なら、少し検討しただけでも、数えられないくら いあることに気が付きます。もっとも多いのは、社会関係を表す言い回しです。数日前にもフランス語会話の授業で、ある学生が「先生、〈ただいま〉はフラン ス語で何と言いますか」と尋ねてきました。フランス語にはそういう言葉はないと答えたら、「無言でうちに帰ってくるのはおかしい」と納得しない様子でし た。もちろん、それと対になる〈お帰りなさい〉という答えもないのですが、では、フランス人は家に帰ってきた時どうするのか、と気になるかもしれません。 ふつうは相手がいる部屋まで行って帰って来たことを目で確認してもらい、そのまま会話を始めるのです。日本語に〈ただいま〉のようなタイプのあいさつがた くさんあるのは、おそらく日本人は社会的な時間を言葉で区切るのを好み、「句点」があった方が安心するからでしょう。
こうした社会関係の言葉は、それぞれ社会のルールやマナーを伝えるものですから、マナーが違っていれば、関係の言葉も違ってくるのは別に驚くことではあり ません。それよりももっと不思議な表現があります。その中でも、特に「私が好きな日本語」といえば〈さすが〉という語になるかもしれません。
この語の魅力はまず、その語だけで感嘆文になれることです。フランス語の感嘆表現と日本語のそれを比較研究していると、フランス語では正規の文章となった 感嘆文が極めて多いことに驚かされます。それに比べて日本語ではあまり多くないので、初めは研究者として不満を感じるのですが、よく調べてみると、たった 一語で感嘆文になるものがたくさんあることに気づきます。最近漫画ブームになっているフランスでは、日本の漫画の翻訳がたくさん出版されています。フラン ス語ではそのような、いわゆる「単語文」が少ないので、スペースの制約もあって、訳者は苦労しているにちがいないと思います。間投詞やオノマトペ(擬声音 や擬態語)はどんどん新しいのを作り出せますが、文となると、フランス語ではどうしても長くなります。つまり「まさか!」という日本語を訳そうとすると 「C’est pas vrai!」(「それは本当ではない」)と動詞を補って単語四つでできている「文」にしないといけません。「うそ」、「まじ」、「やった!」、「勝っ た!」についても同じようなことが言えます。感嘆文は気持ちを表現する文だと考えれば、コンパクトで、爆発するような一語の方が確かにインパクトがありま す。若者にとっては日本の漫画の一つの魅力でしょう。
しかし「さすが」の場合は、それだけでなく、一つの語の中に複雑な意味が含まれているので、面白い言葉です。例えば、「さすがの私」という表現がありますね。なにか優れた能力を持っている「私」が前提にされているようですが、
いったいどういう特徴を持っているのでしょうか? 「さすがの私でも、読みきれない」という全体の文からは、多分本をたくさん読める人、忍耐強い人という性格が想像されます。何故それが分かるのでしょうか。語源を見たら分かるかもしれません。
すでに渡辺実先生が『さすが! 日本語』という著書でこの語の複雑さを論じています。語源は「しかすがに」で、現代語の譲歩を表す「なのに」、「たしかにそうだが」に相当します。
「うち霧らし(ウチキラシ)雪は降りつつしかすがに吾家(ワギヘ)の園に鶯鳴くも」というタイプの例です。
譲歩というのは、普段はA〈雪/冬〉とB〈鶯/春〉が共存しないのに、このケースでは雪があるのに、鶯もいることをどう見ても認めるしかないということです。原則として「A→非B」なのに、実際は「A+B」だというパターンです。
「さすがの私でも読み切れない」の場合、否定と肯定は逆になりますが、同様な論理が働いていると言えます。「私」にはある特徴或いは素質A(「本をたくさ ん読める」、「忍耐強い」など)があることから、本を終わりまで全部読む(B)ことが期待されるが、実際はこの論理のプロセスが破壊されたということにな ります。原則としてA→Bなのに、実際はA→非Bになるというわけで、ヴァーチュアルな世界とアクチュアルな世界の間にずれが生じることになります。こう して力点はものの特徴、資質の方に移っていくというのもまた興味深い現象です。
しかし、「さすがの」の代わりに「さすがに」にしたら、また違うことになるようです。例えば「さすがに疲れました」、「でも雪の日に外に出て、公園を散歩 するのはさすがに大変です」というタイプです。一見したところ、論理のプロセスは破壊されていないようにみえます。しかし、「さすがに疲れました」と「当 然疲れました」とを比較すれば分かるように、「当然疲れました」の場合、動作に必要な努力からすると、疲れるのは当たり前だという論理的な解釈に対して、 「さすがに疲れました」の場合は、主体としては努力する性質をもっているのだが、(いくらなんでも)それを実現するとなると厳しいということになります。 主体の性質・能力と動作のあいだの関係で、一種の期待はずれが生まれるということです。要するに、期待と実現のあいだがアンバランスになります。
こうしてようやく、現代語におけるこの語の典型的な用法、たとえば「さすが剣道六段!」という感嘆文に行き着きます。こういうタイプの例では、一般的に は、そのものの性質・能力から考えてその通りの結果が導かれたという解釈をしがちですが、そうなると、以上で述べた用法との関係はなくなります。
「さすが」が現れる文は発話者がただ問題となっているものの優れた能力を認めるだけでなく、そこに一種の驚きの感情も表現されています。エモーションを表 す感嘆文も当然そうですが、断定「さすがですね」の場合もそうです。(その人が剣道六段と分かっているが、実際見ると、本当に剣道六段の性質をもってい る、驚いた)という解釈になります。驚きは予想がはずされたことから出てきます。ヴァーチュアルな世界とアクチュアルな世界のずれです。
こうして対象が想定される性質・能力通り行動したにもかかわらず、そこに驚き、ずれ、最後には感動まで生まれるという複雑なプロセスをたった一語の「単語文」で言えるのは、さすが! 日本語の魅力です。

3. 難読あて字の世界  (松井高志 ライター)

あて字の定義はいろいろあるのですが、ごく広い意味では、中国の文字である漢字を用いて日本語を表すこと自体、既に「あて字」なのだそうです。
ここでは、私たちが日常イメージする、狭義での、読みと漢字がイレギュラーな結びつきをしている、いわゆる「あて字」を取り上げますが、その「黄金期」は 幕末・明治〜昭和初期と思われます。この時期に書かれた落語・講談本や通俗小説には、おびただしい数のあて字が使われていて、中には洒落・語呂合わせ・略 語に誓い感覚の、随分ユニークなものがあります。それではその中から、愉しいあて字を紹介します。  

ヤタテ カミイレ カンザシ ソロバン
墨汁 夾嚢 釵児 十露盤

ウブ ワカラズヤ アマノジャク ウツケモノ
初心 没理漢 我儘者 放心家

オケラ タマカ モノモチ オツリ
無一文 倹約 富豪 剰余銭

ベランメエ デクノボウ ヘボ オタフク
米蘭明 土偶人 平凡 三平二満

ゾット ムット ゾッコン フト
慄然と 勃然と 万魂 不図

オモト アサガオ サボテン ヤマブキ
万年青 蒡牛花 覇王樹 棣棠

マクラ ベンチャラ ケンケン トバッチリ
前置詞 世辞 片足飛 余波

ジレッタイ シガナイ ソソッカシイ ハシッコイ
自烈度い 貧究 疎忽しい 敏捷

ズラカル ヤリコメル マゲル ウカバレル
退却る 面折る 質る 成仏る

コソコソ ウロウロ ヒソヒソ ゾロゾロ
孤鼠孤鼠 鵜鷺鵜鷺 秘密秘密 陸続

セメテ グッスリ アワテフタメク
九毛一毛 前後不覚 周章狼狽

(了)

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